『道徳感情論』 [読書日記]
内容紹介【購入】
アダム・スミスの二大著作の一冊が『道徳感情論』(1759)です。本書こそが主著で、『国富論』はその副産物だったのです。個人とは「共感」能力を持ち、様々な「激情」を持っています。利己的であったり、社会的であったり、憤ったり、感謝したりします。スミスはこういった個人の心に「義務」「道徳」を確立して、新しい社会と人間のあり方を探りました。近代社会の原理を知るための必読書が読み易い新訳で登場!
2021年の年初の目標の1つに、「古典を読む」というのがあった。古典を様々な論者が様々な角度から解説した解説本はあるものの、意外とこれまで古典を読むというのをしてこなかったので、ものは試しに何冊かの古典にチャレンジしてみたいと考えていた。そのきっかけとなったのが、2020年9月に読んだ井上義朗『「新しい働き方」の経済学:アダム・スミス『国富論』を読み直す』だったので、当然『国富論』はメニューに入っていたのだけれど、スミスは『国富論』刊行の前に『道徳感情論』を発表していたということから、先にそちらを読んでみることにしたのだ。
でも、8月下旬には着手したこの古典解読も、なかなか捗らず、何度も何度も中断しながら12月初旬時点で270頁にしか到達していなくて、でも年越しの課題にはしたくなかったので、12月中旬から馬力をかけて、残る400頁もとりあえず「目を通し」た。アマゾンの多くのレビュアーが述べていることだが、これを一発で理解するのは難しいので、何度か目を通せと言われるのはわかる気がする。多分、スミス自身の原文のクセのようなものなのだろうが、関係代名詞の接続法がものすごく多用されているため、その関係代名詞がつないでいる名詞がどれだったのかがわかりづらい。また、それが肯定文なのか否定文なのかが文末になるまで予想できず、著者は多分肯定的に述べているんだろうと思っていたら最後に「~ではない」的な否定句で結ばれていて、何が何だかわからなくなったりした。
翻訳がそんなに拙いというわけでもないのだが、でも訳文が理解しづらいという、僕にとってはかなりの敗北感の残った古典読書になった。こんな調子で『国富論』も書かれているのかと思うと、ちょっと怯む。しかも、『国富論』は上下巻に分かれていて、『道徳感情論』のさらに倍のボリュームである。今年1年かかっちゃうかな。かなり気が重い。