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『異彩を、放て。』 [仕事の小ネタ]

異彩を、放て。―「ヘラルボニー」が福祉×アートで世界を変える―

異彩を、放て。―「ヘラルボニー」が福祉×アートで世界を変える―

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2022/10/19
  • メディア: Kindle版

内容紹介
「ふつうじゃない」は可能性だ!
注目のスタートアップ企業ヘラルボニーの双子経営者が語る起業の軌跡!!
「障害」が絵筆となって生み出されるアート作品を世に解き放つ双子の起業家。ジャケット、バッグ、さらには駅や空港のアートラッピングと、その活動範囲はこれまでの常識を軽く飛び越え広がり続けている。「僕らは未来をつくっているんだ」という彼らの原点、そして未来を初めて明かす1冊。
【MT市立図書館】
前回に引き続き、「障害」をテーマに取り上げる。ヘラルボニーのことは、またしてもコテンラジオで知った。例の「障害の歴史」の8回シリーズが終わったところで、番外編として「株式会社ヘラルボニーの挑戦 〜障害×アートによるビジネスが描く社会の新たな目線〜」がOAされた。そこで本書の存在を知り、市立図書館で検索してみたら即貸出可能だったので、すぐに借りた。


内容紹介の記述でも多少イメージできると思うが、より詳述すると、同社のブランド事業とは次のようなものだ。

 異彩作家と契約を結び、作品をアートデータにし、その管理や契約手続きなどをヘラルボニーが担当する。そしてさまざまな企業や団体とコラボレーションしたり、自社プロダクトを企画制作・販売したり、仮囲いや壁面、車両ラッピングなどまちの風景をミュージアムにしたりする。そうやって得た収益を異彩作家やその在籍する福祉施設へ還元するのだ。
 それぞれの作家・福祉施設には、HERALBONYの物販売り上げの5%、ライセンス契約料の約3%、仮囲いアートミュージアム作品使用料の約10%が支払われる。
 また、アートデータ提供で契約料の30%、原画販売売り上げの40~50%を支払うことにした。(pp.130-131)

共同創業者の2人の双子は、4歳年上の兄がいて、幼い頃から一緒に遊んでいた。その兄が自閉症で、自分たちはいつも一緒に遊んでいてそういうものだと思っていたけれど、やがて周囲からもたらされるスティグマと直面するようになり、「兄の暮らすこの世界を、少しでもマシにしたい、兄に対する冷たい視線を、ずっと見て見ぬ振りをするのはもうイヤ」だと考えるようになった。

「障害者」という言葉に押し込んで、兄の、兄自身の個性や人格を見ようとしない社会に、うんざりしていたのだと思う。「障害者」は「障害のある人」という意味だけど、本当は、障害があるのは社会のほうだ。人じゃない。
 福祉分野は資格が必要で専門性が求められる業界だし、行政や福祉団体、あるいはボランティアなどが主に取り組んでいる。僕らのように家族の中に障害のある人がいたり、病気や事故で障害を負うことになったり……当事者や当事者に近い人にとって、福祉は「なくてはならない」ものだけれど、それ以外の人にとっては、それを意識する機会すらほとんどない。そんな現実が、僕らにとってはもどかしかった。(p.55)

「障害は人ではなく社会が生み出す」というのは、先日ご紹介した海老原宏美『わたしが障害者じゃなくなる日』でも提示されていた論点だった。また、いずれの書籍でも、「見方を変えれば障害者が雇用を生み出している」「障害者に食べさせてもらっている」という主張も示されている。

一時帰国に入る直前、僕はプンツォリンのSENスクールとミニ・メイカソンを共催し、その際にT君(8歳)という筋萎縮症の子と交流する機会があった。絵を描くのが好きな子で、左手で鉛筆やカラーペンが持てるような自助具が欲しいとお母さんから要望され、T君が普段使っている鉛筆に合わせて、ペンシルアシストをデザインし、3Dプリント出力してお渡しした。4日間ミニ・メイカソンに付き合ってくれたT君には、お母さんだけでなく、T君の弟もよくついて来ていた。いわば、ヘラルボニーの松田兄弟とよく似たシチュエーションで、松田兄弟の幼少期の話を読みながら、僕はT君のことを考えていた。

絵を描くのが好きならば、それに存分に時間を割けるよう、環境を整えることはできないものだろうか―――僕は配属先がSENスクールじゃないので、施設や環境整備においてファブラボが活用できるケースが出て来そうな時にしかお手伝いはできないのだけれど、美術教育分野の協力隊員がSENスクールに配属されていたら、SENスクールの子どもたちの異彩を解き放つことができるかもしれない、そういった思いを巡らせた。

一方で、本書を読みながら、すべての人がアート面での異彩を放てるわけではない、「アート」を持ち出すことで、描ける人と描けない人の線引きが新たになされるのではないかとの指摘もあり得る。その辺についての反論も本書にはある。

 そもそも、知的障害のある人がすべてすばらしい作品を生み出すとは限らない。検品作業が得意な人もいれば、クッキー記事をこねるのが得意な人もいて、床をピカピカに磨き上げるのが得意な人もいる。これといった得意なことがない人もいる。大切なのは、得意なことがあってもなくても、その人がその人のままでいて、幸せに暮らせることだ。
 だからその第一歩として、「障害者」というフィルターを外して、それぞれの個を認めてもらいたい。これまで障害のあるひとがどんなに絵が得意であっても、「障害者」という属性に押し込められ、絵を生業にするなんて夢のまた夢だった。障害者支援の枠組みの中に入れられて、みんな平等に分配されることが良しとされてきた。(pp.133-134)

人ひとりひとりをちゃんと見て、各々の持つ「異彩」が何かを見極めよと言われているのかと思う。
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