インド国境ルートの旅 [ブータン]
【抄訳(www.DeepL.com/Translator(無料版)翻訳を筆者編集)】
1月15日のこと。ティンプーからプンツォリン経由サムドゥップジョンカル(以下、SJ)への旅に、私は軽自動車で出発した。
朝8時半頃プンツォリン到着。インド高速道路NH31経由でSJに向かう車を探した。ルートに不慣れだったからだ。
待っていると、ティンプーからSJ直行のバスが、インド入国する車列の中に入っていくのが見えた。
インドのSIMを持っていなかったので、Googleマップは使えなかった。Googleマップがオフラインでも使えることは、この時は知らなかった。
高速道路では、無料カウンターをたくさん見かけた。道路脇の注意書きには「Toll Plaza(料金所)」と書かれている。インド通貨95ルピーを払うように言われたので、私は支払った。
私はバスを昼食地点まで追いかけ、停車したバスの乗客と一緒に昼食をとった。とてもおいしかったが、バスが消えてしまった。私はパニックになった。
途中、別の無料料金カウンターを2ヶ所通過したが、高額な料金を支払わなければならなかった。1ヵ所では600ルピーを払えと言われ、しぶしぶ払うことにした。私は、そのカウンターで、通常の料金の支払いで済むかどうか尋ねた。無理だった。バーコードのついたカードをもらったが、そこが最後の料金所カウンターだった。それをどうすればいいのか?
レシートには、私が支払った金額すら書かれていない。170ルピーと表示されていた。「さっきのカウンターで払った料金が消えてしまったんだ」と、ある係官は、とても淡々と言った。
《後半に続く》
私は旅を続けた。さらに悪いことに、私は道を間違えてしまい、ナンラム方面に向かっていた。私はそこから曲がって、再びインドの道を進み、NH31に戻った。そのころにはもう暗くなっていた。
パツァラにあるナンラム方面への分岐点を何キロか過ぎたところで、私は車を止め、当直の警察に助けを求めた。SJに行くのに正しい道を走っているのかどうかを訊きたかったが、彼は無礼にも非難を始めた。私の息子がシートベルトをしていなかったという理由で。
1,000ルピーを払うように言われ、罰金を払わなければThaney(警察署)に連れて行くと脅された。「500ルピー払え、早く」と毛深い手で私の鼻をこすりながら言ってきた。領収書も渡されなかった。その時、時計は夜の7時を回っていた。
SJに着く前に話したインド人は、「夜中に沿道の警察に止められても、車を止めるのはまずいだろう」と言っていた。でも、この苦労の末にSJにたどり着いたのだから、ありがたいことだ。
翌日、ボレロを運転するブータン人に会ったが、彼も同じような経験をしたという。彼もまた600ルピーを要求され、そのカードをスキャンして通行料を払うように言われたそうだ。しかし、その翌日、SJに戻るときには、そのカードはスキャンできなかった。
道路を利用する人にはそれなりの通行料がかかるのは当然だ。しかし、このような汚職はあってはならない。領収書にヘルプラインの番号が書いてあったが、それはインドのSIMカードを持っている人だけのものだった。
プンツォリンからSJに向かう高速道路は、大変な旅になる。
インド側の警察の汚職腐敗を摘発するような旅行手記。プンツォリンからゲレフやサムドゥップジョンカルまで、ブータン人はわりと気軽に移動しているように見えるが、この手記を読んでいると、このルートの旅はブータン人にとっても結構な難関だというのがわかる。個人車両での単独行はなるべく避けるというのが鉄則なのだろう。
ティンプーからサムドゥップジョンカルまで、頑張れば1日で行けるというのがわかる。但し、プンツォリンに8時30分には到着しているということは、ティンプー出発は午前5時前だった筈。プンツォリンまで行くのが大変だったであろうに、そこからがまた10時間以上かかったわけで、本当にお疲れさまでした。
このルートの旅は、1回ぐらいはしてみたいとずっと思っているけれど、ちょっと無理だな。僕らはインド入国ビザがシングルエントリーでしか発給されないため、仮にこのルートでプンツォリンからサムドゥップジョンカルまで行ったとして、そこからの戻りはブータン国内ルートで3日かけて戻って来なければならない。こういう旅行記を読んで、体験した気になってお茶を濁すことにしたい。
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