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幸せが最も必要な場所 [ブータン]


【抄訳(www.DeepL.com/Translator(無料版)翻訳を筆者編集)】
(2022年12月28日)プンツォリンにあるアルコール・薬物依存症者のためのアフターケア施設「ハピネスセンター」は、2019年の設立以来、さまざまな依存症と向き合い、克服に取り組む千人以上の人々を支援してきた。しかし、その実績とは裏腹に、センターは今日も経営に苦慮している。定期的な財政難に見舞われ、センターは閉鎖や人員削減の危機にさらされている。

薬物・アルコール依存症に苦しむ人々にとって、ここは新たな始まりと二度目のチャンスの場だ。現在、約24人の会員が、生活の雑念から離れ、癒しのプロセスを享受している。

そのうちの一人、トンサのサムチョリン村出身のタシ・トブゲイ(30)は、ここ数ヶ月間、センターでアルコール依存症からの回復に取り組んでいる。彼はすでに麻薬との縁は切れている。先月から断酒を続け、センターの活動的なメンバーとしても働いている。

「以前、私はひどい状態でした。毎日お酒を飲み、中毒になっていたんです。今、私は酒をやめ、数ヶ月間酒を飲まずに過ごしたので、自分自身を誇りに感じています」(タシ・トブゲイ)

彼と同様、センターはワンデュポダン出身のチャド・ナムゲイ(31)の家でもある。センターと彼自身の努力により、彼はこの5年間、断酒を続けている。この間、彼は家に帰らず、さまざまな依存症に苦しむ人々を助けるために、自分の時間をセンターに捧げてきた。

「私が家に帰らず、ここでカウンセラーを務めているのは、私のように依存症に陥る人が出ないようにするためです。と、ハピネスセンターのカウンセラーであるチャド・ナムゲイは言いました。「依存症で苦しんでいる人を見るたびに、私は胸が痛くなります。

しかし、タシもチャド・ナムゲイももうすぐ家を失うかもしれない。良い活動をしているにもかかわらず、センターはその維持に苦労しています。

「食料、交通、場所など多くの問題に直面しています。時には、サービスを受けに来るたくさんのお客さんでいっぱいになることもあります。そんなとき、全員に食事を提供することはできません。また、数人の顧客には衣服を提供しなければなりません」(センター創設者バップ・ドージ・ゲレ氏)

最近、センターは新しい会員のための宿泊施設の確保にも頭を痛めている。

「現在のセンターでは、10~15人程度しか収容できません。しかし、今その倍の人数がここに滞在しなければならない。このままでは、町へ出て行って、また酒を飲んだり、ドラッグをやったりする可能性があります。加えて、身寄りのない年配者もいます」(バップ・ドージ氏)

センターは、セーブ・ザ・チルドレン、Nazhoen Lamtoen、プンツォリン市役所が開設したリカバリーコーナー・カフェからわずかながらの収入を得ている。しかし、毎月増え続ける会員を養うために配給の支援を求めなければならないことに変わりがない。

同センターでは、アフターケア・サービスのほかに、介入・紹介サービスも行っている。同様に、このセンターは、貧困にあえぐ人々や見捨てられた高齢者に避難所や食料、安らぎを提供している。

プンツォリンのハピネスセンターをブログでとり上げるのは二度目になる。前回はCSTを会場にして技能研修が開催されたという昨年5月の報だった(「社会への再統合への一歩となるか?」)。同じプンツォリン管内の居住者であっても、CSTの教職員や学生は結構頻繁に首都と大学を往来しているが(教員の場合は自家用車で)、社会からのスティグマに押されて就業機会を得ることが難しいアルコール・薬物依存症からの回復途上の人々は、国内移動に必要なお金すら捻出することが難しい。

本当に支援が必要な対象者は、簡単に国内移動ができたり、オーストラリアに留学する機会が得られたりする人たちではない。そういうことがかなわず、地域に残っている人々だ。しかも、そういう人々が増えてきているという報道内容になっている。

しかも、実名でテレビのニュースで報じられているということは、相当回復状況に太鼓判が押せて、本人も社会復帰に自信が相当ある回復者だという点も注意しておく必要がある。いろいろな事情もあって、メディアの前に出たがらない回復者の方が圧倒的に多い筈なのである。

バップさんは、こういう注目のされ方には相当慎重な姿勢を取られていた筈だが、それでも取材に応じたということは、個人の尊厳を損なうような報じられ方がされるリスクの少ない回復者を取材対象に選んだか、それともそうせざるを得ないぐらいにハピネスセンターの経営状況が厳しいということか、あるいはその両方なのだろう。

依存症からの回復に取り組む人々の居住施設は確かに必要だ。洪水災害に相当脆弱な河原に作られているハピネスセンターの事務所兼現居住施設も、本来ならもっと安全な場所に移転した方がいい。居住施設確保に向けたボトルネックは何なのだろうか。日本大使館の草の根無償資金協力で建設資金の拠出はできないものなのだろうか。

また、社会への再統合の努力を受け入れる側の社会にいる構成員の1人として、どのような接し方をしたらいいのか、もっと大々的な普及活動が行われるといいのにとも思う。極力普通に接するよう努力はしているつもりだが、生きてきた背景がまったく違うので、会話が通じないことも頻繁に起こる。相手にどれくらいの精神的負荷許容量があるのかもわからない。自分の接し方が本当にこれで正しいのかどうか、それを確認できる基準もない。

こういう努力を続けている回復者と、街で出会うのが当たり前の社会になりつつある。回復者側の努力もさることながら、受け容れる僕たちの準備を促進する方策はないものだろうか。

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