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『昭和40年男』2022年10月号 [読書日記]

相変わらずである。前回の記事を予約投稿して以来、また4日にわたって管理ページへのアクセスができなくなった。ブログの記事は「書きたい」と思った時が勝負、特に時々取り上げてきたブータン時事ネタは旬が命だったので、時間を置いて管理ページにアクセスできるようになった時にやろうと思っても、そう簡単には書けない。またいつかアクセスできなくなるのではないかと考えると、このままSSブログで続けるのは怖くて仕方がない。今週は、サンチャイ★ブログをたたもうかと本気で考えた1週間だった。

10月29日(土)朝、久しぶりに、パズルを解けと求められる変な英語のページに惑わされずにいきなりログインさせてもらえた。いつかまたログインできなくなるかもしれないので、今のうちに書けるテーマで急いで書いておく。


昭和40年男 2022年10月号 [雑誌]

昭和40年男 2022年10月号 [雑誌]

  • 出版社/メーカー: クレタパブリッシング
  • 発売日: 2022/09/09
  • メディア: 雑誌

【購入】
この雑誌は、日本に帰っていた9月下旬に書店で購入。テレビも見ない、ネットメディアしか情報・娯楽のソースがない現地での生活の中で、たまに食事やくつろぎの時間にパラパラとページをめくるぐらいの軽い感じで読めて、かつ手を添えて読む姿勢をとらなくてもコーヒーテーブルの上に広げておけるような活字メディアといったら、やっぱり雑誌かムックということになるだろう。

『昭和40年男』は、もう創刊から6年ぐらい経過している雑誌で、昭和41年(1966年)の丙午を除けば過去60年間の中で最も年間出生者数も合計特殊出生率も高かった昭和40年代生まれ、今でいう五十代の購買層をターゲットにしている。会社勤めももう先が見えはじめて、組織の中では扱いに困る世代である。居心地の悪さを常に感じつつ、若い世代の社員のやること、経営層がやること、ともにいちいち癪にさわり、「今の若い奴らは…」とか「昔は良かった…」的な愚痴を、同世代の仲間同士で酒を飲むとつい愚痴っている世代だ。人口構成上は大きな割合を占めていて、収入もそれなりにまだあり、けれども今の組織の中ではお荷物となりつつあって、過去の栄光にすがろうとしている―――そんな購買層を狙った雑誌は、それなりの人気を博したようで、けっこう長生きしている。

日本にいたらパラパラ立読みで済ませるところが、海外駐在だとたまの一時帰国の際にこの手の雑誌は大人買いしてしまう。そういえば、過去にこの雑誌を買ったのも、前の海外駐在だった頃にまで遡らないといけない。(注記:記憶は嘘をつくな~。調べてみたら、僕が最初に購入したのは2015年12月号であった。)

◆特集 昭和の暮らしと俺たちの部屋
【第一章】大人への階段と変遷
・俺たちの部屋プレイバック 小学生編(クロガネブランドの魅力)
・俺たちの部屋プレイバック 中学・高校時代編(オーディオ機器で独立宣言!)
・俺たちの部屋プレイバック 一人暮らし編(俺たちの電話機メモリーズ)
【第ニ章】暮らしの中にあった原風景
・台所にモダンな風が吹いた
・応接間は我が家の自慢
・団地が誘う懐かしい未来
【第三章】名作の舞台になった家
・サザエさん・ドラえもん・男はつらいよ・昭和のマンガ家によーこそ!
【第四章】部屋にまつわるエトセトラ
・テレビの中の空想探訪記 ドラマの部屋・家の歌をつくるなら・夢見た未来の家

ジャケ買いだったが、2022年10月号(第75号)の特集も面白かった。表紙に載っていた「マジソンバッグ」「人生ゲーム」「スーパーカーのポスター」「観光地で買ったペナント」等は、本文の中では言及無かったけれど、こんな形で自分の「勉強部屋」をデコレートしていた過去は僕にだってある。

この表紙は、いろいろな年代の要素が組み合わさって構成されているようだが、これを小学生編、中高生編、一人暮らし編と区切って見ていくと、ほとんどが僕らのやっていたことと重なる。「ああ、そういうの僕らもやってたなぁ」とか言って頷くことも多く、時代の変遷過程をそれなりに振り返って整理できたような気がする。

◆連載特集 夢、あふれていた俺たちの時代(昭和64年/平成元年)
・昭和40年男的こころのベストテン・大仁田 厚がインディープロレス団体FMWを旗揚げ
・岸谷 香が語るプリンセス プリンセス、大ブレイク
・映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』公開
・消費税導入、税率は3%・帝京高校 夏の甲子園初優勝・“マンガの神様”手塚治虫逝去

平成元年(1989年)という年は、大学院を出て銀行に就職した年で、昭和天皇崩御の時は池袋でバイトしていて、「平成」の新元号は西口の飲み屋で見ていた。就職してすぐに6月には「1週間連続休暇」(要するに夏休み)を取らされて、能登半島1週ドライブ旅行に出かけて、旅先で天安門事件の報道を見た。10月には三菱地所がニューヨークのロックフェラーセンターを買収、11月にはベルリンの壁崩壊と、国内外も動きが激しかった年だ。一方、就職したその年にリリースされた車の数々―――日産R32 GTR、フェアレディZ32、トヨタMR2、ユーノスロードスターとかは、いつか乗りたいと思わせるフォルムだった。

これらの記事の中でも特に刺さったのは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』だろうか。当時、僕は既に英検1級を持っていたので、就職した銀行が整備した研修所ではじめた土曜日の行員向け英会話研修のアシスタントを任された。新入行員にいきなり講師はさせられないというので、別の講師として得意先の企業の社長令嬢か誰かを連れてきて、その方のお手伝いをした。その先生が教材で使ったのがこの映画だったので、ビデオは何度も見た。Part 2がこの年の12月に公開されたというのは単なる偶然だが。

◆昭和40年男のための健康講座
そのままにしておくとますます衰える…放置しているとホントはこわい中高年の「筋力低下」

これもドキッとさせられる記事だった。今、宿舎と職場が歩いて通えるぐらいに近いため、1日1万歩を稼ぐのにはかなり苦労する状態だ。実際、足腰衰えたなと自覚もあって、何度か転倒しかけたこともあるぐらいだ。「筋力低下」、なんとかせねば。何やっていいのかわからないので、取りあえずこの記事を参考に、できることはやろうかと考えている。(たぶんやらない可能性も高い。ぐうたらなので。)

◆インタビュー
・ガツンとひと言。兄貴の説教/つボイノリオ
・俺たちのアイドル/増田惠子
・神のみぞ知る God Only Knows/石橋 凌

実は、本書を買って最初に読んだのがつボイノリオの記事。僕は年齢的には彼が東海地方のラジオ局で活躍し始めた初期の『ミッドナイト東海』や『ヤングスタジオ1431』は知らない。記憶につボイノリオが登場するのは、1975年、小学6年生の時の社会科見学のバスの中でクラスメートがかけた「金太の大冒険」が最初で、でもそれがCBCラジオの『土天(土曜天国)』のパーソナリティーのつボイノリオだとはすぐに結びつかなかった。

僕が深夜放送をガンガン聴いていたのは中学生の時代(1976年4月~1979年3月)だから、当時でいえばCBCラジオ『星空ワイド 今夜もシャララ』の水曜パーソナリティとしてのつボイノリオに最もお世話になったと思う(この番組は、月曜から金曜までほぼ聴いていた)。この番組が終わってから就寝するパターンだったので、つボイノリオが『オールナイトニッポン』を担当していたのを聴くことは実はそれほど多くはなかった。彼は僕らにとっては東海地方のスターだったのである。

まだご健在であるのを記事で拝見して、嬉しかった。


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