『「インクルーシブデザイン」という発想』 [仕事の小ネタ]
「インクルーシブデザイン」という発想 排除しないプロセスのデザイン
- 出版社/メーカー: フィルムアート社
- 発売日: 2014/06/26
- メディア: 単行本
内容紹介【M市立図書館】
「インクルーシブデザイン」とは、対話から本当に大切なことを発見するためのプロセスです。社会のメインストリーム(主流)にはない、エクストリーム(極端)な部分に目を向けることにより、従来のデザインでは見落としていたアイデアや可能性を明確にすることが「インクルーシブデザイン」の特徴です。そして、エクストリームから生まれたデザインを、メインストリームに新たなイノベーションとして提供する。その役割を「インクルーシブデザイン」は果たすことができます。不特定多数のための大量生産される「デザイン」は、経済的にも環境問題的にも、既に限界を迎えています。これからは、つくり手とユーザーが一体となって問題解決力に富んだデザインを創造する時代です。包含的に社会の諸問題にアプローチするプロセス、それが「インクルーシブデザイン」なのです。
この本も、一時帰国で本邦到着早々近所の市立図書館で予約して、返却待ちとなり、借りられたのが本邦出発4日前という慌ただしさだった。読めるのかどうかがかなり怪しい状況ではあったが、空き時間を見つけては少しずつなんとか読み進め、出発前日の夕方には読み切った。
読み切りはしたものの、正直言うと、中古でもいいので1冊購入し、任国に携行したいとすら思う時があった。読み切れないからということではなく、いい本だからだ。「インクルーシブデザイン」だけでなく、「ユニバーサルデザイン」や「デザイン・フォー・オール」といった取組みについて、そうした概念が形成されてきた経緯や、その過程でのデザイナーの具体的な作品、著者の取組みなどが、わかりやすい日本語で書かれている。しかも、著者は日本での長期滞在経験や、勤務経験等があるため、日本への言及も比較的多い。訳本だというのをあまり意識せずに読める。ひょっとしたら元々日本人向けに書かれたのかもしれない。原書でJulia Cassim "Inclusion through Design"を検索しても書誌は出てこない。
ハードカバーでも電子書籍でもいいので原書でも1冊手元に置きたいところだが、そういうわけにもいかない。返却までの残り時間も限られているため、僕が気になって付箋をつけた箇所だけ一気に紹介する。
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インクルーシブデザインで著者が学んだこと
(その1)「当時の私は、好奇の目で日本を撮影すること以外の方法を持ち合わせていなかった。しかし、それはサービス業、製造業、環境分野など、あらうゆるシステムをデザインする中で、よりインクルーシブデザインに近づく際の基本的原則を体現していた。デザインするということは、まず人を理解するためにその人の習慣や行動を書き留め、その背景にある情報を収集し、そこから得られた知識や洞察力を活用することなのである。(p.7)
(その2)※省略
(その3)私たちをとりまく世界には、乏しい発想でデザインされた様々な障がい物が溢れ、創造的な解決策に乏しく、それが将来の希望をくじかせ、人生を困難なものとしていた。私は障がいに対する感覚が鈍い社会と日々戦わねばならなかった。娘の身体的発達を補助するため、好意で提供された器具や製品は、残念ながら見た目が非常に醜く、あなたは醜いのよと言っているようにさえ見えた。それらは技師が医療モデルに従って作製したもので、美的感覚など微塵も無く、装着すれば非常に目立ち、障がいを隠したい子供にとって、苦痛以外のなにものでもなかった。この現状を変えたいという強い思いが、私を当時バリアフリーと呼ばれていた障がい者向けデザインの全領域に傾倒させていくことになった。(pp.11-12)
のちにロンドンのロイヤルカレッジ・オブ・アートに新しく設立されたヘレンハムリンセンター・フォー・デザインで、2000年に始まったカレッジワークショッププログラムのキーワードにもなった「エクストリームを理解することによって、メインストリームを変革することができる」と言う言葉は、私の個人的経験だけでなく、デザインイノベーションの歴史によって実証された言葉である。利用する上でのエクストリームなシナリオこそが新しい製品アイデアや操作方法を圧倒的に生み出してきた。特にそれはコミュニケーション分野において顕著だった。
デザインは、市場の固定観念や憶測ではなく、確固たる証拠と情報のもとに築かれるべきであり、多様な利用者と利用者が持つその背景に深く関わらなくてはならない。それはデザイナーが好みやスタイルを主張しないということではない。デザイナーの良し悪しは、複雑なものを統合的に扱ってイノベーティブな新しいものを作る能力で決まる。(p.18)
決定的な違いは、マルギットはマーケティング調査やデータの集積から作り出された、一般化された人物ではないということである。残念ながら多くの場合、こうしたマーケティング・リサーチ的な調査が実質的なユーザー調査に取って代わり、そこから浮かび上がる人物像が生身の生きた人間に取って代わる存在となってしまっている。対して、デザインチームには直接、生身の生きた人間から情報が伝えられた。チームは彼女が世界とどのように交わるのかを彼女の言葉や表現、置かれた環境から直接目に資、感じることができたのである。それらは実験室の観察では得られないものである。彼らは彼女に共感することができ、その共感からマルギットの問題の本質に対してどう応えるか、さらなる微細なレベルでの理解が生まれ、ひいてはそれが言わず語らずして彼女と同じような状況のその他の多くの人々への理解、すなわち「デジタル・ディバイド」と呼ばれる人々の理解へとつながったのである。(p.40)
近年では、世界中のどこにおいても高齢化によってもたらされる結果と機会の可能性は経済を押し上げる共通のエンジンとなり、また経済を左右するものとなっている。超高齢社会である日本は、製造の拠点やインダストリアルデザインにおける優れた伝統を持つことを背景に、新しい市場の経済的なポテンシャルに他の国よりも早く気がつき、高齢者や障がい者にとって使いやすい製品やインターフェース、環境やサービスを打ち出してきた。(p.71)
インクルーシブデザインという新しい用語が登場する前年の1993年、デザイン史家のナイジェル・ホワイトリーが『Design For Society』という本を出版した。この本はビクター・パパネックのデザインについての議論、すなわち1971年の「デザイン・フォー・リアル・ワールド」で雄弁に展開された、デザインは社会に責任を持つものであるという議論の流れを汲む内容となっている。デザインによる排除は、どの社会にも内在する消費主義に基づくものであると、ホワイトリーは鋭く指摘する。「マーケティングの顧客分類は社会の多元的共存とは同義ではない。十分なお金がなければ市場で力を持つことができない社会の多くのグループ、すなわち、障がい者や高齢者、ある一定の割合を占めるエスニック・マイノリティや増え続けるアンダークラス(底辺層)と言われる人々は所得(ここでは自由に使える収入である可処分所得を意味する)が極めて少ない。ゆえに市場から排除されるのである。消費者中心のデザインはこうした人々のニーズには応えない、否、応えられないのである。なぜならこうした人々から利益が生みだせないからだ」とホワイトリーは述べる。(p.146)
加齢に関わる情報は、人間工学や医療の専門家たちにとっては目新しい情報とはならない。なぜなら、それはリサーチに基づいて得た必然的な結果であるからだ。こうした情報を適切に、理解可能なものとしてデザイン界および産業界に伝え続けていくことが普段の努力と課題になるのである。なぜなら彼らは優れたインクルーシブデザインを実現させる主要な役割を担う人々だからである。(p.163)
社会的な事例やビジネスの事例において戦略的にインクルーシブデザインを適用することは、はっきりとした経済的、人口動態的、社会的な理由に基づくものであった。ひとたび説得力のある証拠があれば、デザイナー、ビジネスマン、公務員、あるいは素人であれ、職業を問わずその良さを簡単に理解できる。誰しも若者中心に狭く対象が設定されたものより、幅広い人々を対象にしたメインストリームにある良いデザインの方が好ましいに違いない。しかし、私がデザイナーたちと共に仕事をするようになってから感じたことは、彼らの創造性や感性をインクルーシブデザインへと動かすためにより説得力のある材料が必要だということだった。年齢にかかわらず誰もが使いやすい製品、サービス、環境のデザインが、社会的正義やビジネスの上で利益があるということだけでは彼らの心を動かすには不十分なのである。(p.182)
ジェニ・ジュ―リア・ワリンハイモはフィンランドのテキスタイルデザイナーで骨粗鬆症を抱えていた。彼女は、2008年にオスロのヨーロッパ・ビジネス会議において開催された24時間インクルーシブデザイン・チャレンジに参加したフィンランドチームのデザインパートナーだった。彼女はこう述べる。「私にとってこの経験は非常に勇気づけられる体験だったわ。なぜならこれまで私向けに製品がデザインされる場合、大抵の人は私の弱った骨についての情報ばかりを欲しがり、私の知識には関心を示さなかったから。私が何に興味をもっているのかなんて知ろうともしなかったの」。(p.197)
障がいを概念的に再び正しい位置にポジショニングする必要があることを私は痛感した。それは1991年にロジャー・コールマンがRCAにおいてエイジプログラムを開始し、高齢者の概念を改めて正しい位置に置き直すことお同じだった。学生が高齢者のために嫌々ながらデザインを行なう状況と似たような状況に直面したのだった。コールマンは、高齢者は自分たちとかけ離れた異質なよそ者ではなく、むしろ自分たちの未来の姿としてとらえる学生たちを促した。コールマンが始めた「未来の自分たちのためのデザイン」コンペティションでは、学生は積極的で面白い高齢者たちと一緒に作業を行なった。それは学生が自分たちの将来に自らの希望を重ね合わせることを可能にし、高齢者と自分を引き寄せてとらえることを促す方法の一つとなったのだった。こうして的外れの同情心ではない、むしろ創造性に富んだ利己心がデザインの発想の推進力となったのである。(pp.198-199)
知的障がいを抱える成人を労働者として抱える授産施設の挑戦は、生み出す製品がユニークでありながら一貫した高いプロ品質を保ち、製品の一部、あるいはすべて受益者である知的障がい者によって製作されることだった。重要なのはその製品がメインストリームの店舗でも販売されるような、本格的な品質を実現することである。チャリティバザーで同情心から買われるような品質のままではだめなのである。
これは、こうした授産施設の社会的文脈やそこで働く人々の限界と可能性を理解する必要性を意味する。そして、彼らに内包される「不完全さ」とユニークさを積極的かつ肯定的なものに読み換え、高いデザインの品質へと落とし込んだ上で、創造的活動を行うことが求められた。このためにはもちろん、チームは生産プロセスそのものをデザインしなければならなかった。そして商品群のブランドアイデンティティを構築し、デザインガイドラインの作成もしなければならなかった。こうすることでワークショップが終了した後も高い品質を保った生産が可能になるからだ。(p.266)
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消費者のボリュームゾーンに向けて大量生産するために作られた商品が、知らず知らずのうちにマイノリティを排除しているケースに注目した文献である。だからといってロングテールの消費者に合わせた多品種の商品を適量作ろうと言う方向性を必ずしも試行しているわけではなく、ボリュームゾーンでのデザインの包摂性志向を慫慂しているように思える内容だった。
障害者や高齢者に良かれと思って目立つ自助具を作って、かえってその障害を目立たせてしまうリスクに目を向けさせてくれた。その障害があってもなくても、その利用者(デザインパートナー)が得意とすること、やりたいことに注目し、それをやること、伸ばすことを考えるという発想も、ついつい僕たちが忘れがちになる。「その障害ではなく人を見よう」———肝に銘じておきたい。
あまりまとまりのない紹介記事となってしまったがお許しを。
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