『マインドストーム』 [仕事の小ネタ]
マインドストーム☆〔新装版〕☆: 子供,コンピューター,そして強力なアイデア
- 出版社/メーカー: 未来社
- 発売日: 1995/01/01
- メディア: 単行本
内容(「MARC」データベースより)【M市立図書館】
「ロゴ」の生みの親パパート博士が語る「ロゴ」言語の世界。新しい知識との関係づくりに向け、コンピューターがどのように人々の助けとなるか。コンピューターと未来と教育を語る。
彼岸の墓参りと業務での必要物資調達、それにミシン操作の経験を主目的として行った一時帰国も、いよいよ終盤となって来た。こちらからお願いして訪問した仕事の打合せの他に、派遣元に呼び出されて出頭した打合せで、某中間管理職から当事者を前にして言ってはいけない発言を聞かされ不快な気持ちにさせられたりと、いろいろあったここ数日だった。
待っているちょっとの空き時間も、地道に読書した。
本書のことを知ったのは、Sylvia Libow Martinez、Gary Stager著『作ることで学ぶ』を通じてであった。この本には、パパートが提唱した「構築主義(Constructivism)」という教育思想の形成過程をまとめた1章が収録されており、パパートの著書『マインドストーム』にも言及がされていた。構築主義の考え方を簡単に学ぶなら『作ることで学ぶ』を読むのでも十分だが、引用文献にも一応目を通したというアリバイを作っておきたかった。そこで、一時帰国の機会があれば図書館で借りて読もうとリストアップしていた。
目的がアリバイ作りだったので、論文が書きたくて精読するというフェーズではない。そういう機会があればいずれ再読することがあるかもしれないが、今回に関しては、かなりの飛ばし読みだったことを先ずお断りしておく。
先月初旬、東京ビッグサイトで開催されていたMaker Faire Tokyoに出かけたうちの長男が、初日のステージイベントを見てきた感想として、「「何も教えずに、挑戦させることが良い」にものすごく共感できた」と言っていた。普段そう思っていてもなかなか実践できず、ついつい教える行為に陥ってしまうのは自分の良くないところだし、STEM教育が叫ばれていてもブータンの教員も生徒もなかなかアジャストできていない大きな課題だと思うけれど、没頭して行われた遊びの経験が学習効果の最大化につながるという本書のメッセージは、今改めて肝に銘じる必要があると思う。そして、それは工科大学に放り込まれた文系出身者の僕自身が、胸を張って取り得る自分の立ち位置でもある。
必要があればまた再読することとして、初読で印象に残った箇所を以下に引用しておく。本書自体は子どもの学びのデザインが中心論題だが、僕が今回挙げるポイントは子どもに限らない学びに関するものだ。
我々の社会で、子供の学習に対する積極的な姿勢をどの程度大人が失ってしまったかには個人差がある。詳しくはわからないが人口の重要な部分が学習を殆ど全く投げ出してしまっている。これらの人々が意図的に何かを学ぼうとすることはまずないが、そんなことがあったとしても、自分を有能だと感じたり楽しんで学んだりすることはまずない。社会的、個人的な損失は莫大である。数学恐怖症は文化的にも物質的にも人々の生活を制限する。完全に学習を捨てたわけではなくても、自分の能力を断固として否定的にみているために学習が妨げられているという人はもっと多い。欠陥そのものが自己のよりどころとなる。「私はフランス語はできない、耳が言語に適していないから。」「私は数に弱いから実業家にはなれない。」「どうしてもパラレル・スキーのこつがわからない。いつも不器用なたちだったから仕方がない。」こういう確信は、迷信のように儀式的に繰り返される。そして迷宮のようにタブーの世界を作り上げる。ここでのタブーは学ぼうとすることである。これらの自己感がえてして当人の限られた現実、通常は「学校での現実」に対応していることを示す実験について、この章と第3章とで話そう。情緒的及び知的な援助が正しく与えられる学習環境の中では、「不器用な」人でもサーカスの玉投げのような曲芸ができるようになるし、「数に弱い」人でも数学ができるだけでなく楽しんでできるようになる。(pp.33-34)
教育学部と物理学科がそれぞれどのような論文を好むかについては、もっと一般的な意味でもいえることだ。大学だけでなく研究基金を与える機関においても、科学の理念にあまり深く関連した研究は教育という見出しの部門の中に入れたがらない。科学について、人々の考え方、学び方に関連した本質的な方向から考えるということは、誰も知ったことではないというように思われる。科学と社会の重要性については口先だけのことを言うが、その底にある方法論は、因習的な教育と同じで、既成の科学を特殊な観客に届けるだけにすぎない。人々のための科学を作る仕事に真面目に取り組むと言う考えとはまったく異質なものなのである。(p.218)
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