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起業の現実 [ブータン]

起業はバラ色の未来を必ずしも保証しない
Entrepreneurship isn’t all sunshine and rainbows
Samten Dolkar記者、BBS、2022年8月11日(木)
http://www.bbs.bt/news/?p=173243
【ほとんど抄訳】
成功は、より強い動機を持ち、集中している人に訪れる。しかし時として、強い動機を持つ人でも失敗はする。それがこの国の若い起業家の間でも起きている。起業家の道を既に諦めてしまった人もいる一方で、今も起業家を目指そうという人もいる。

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ミニチュア・ブータン(Miniature Bhutan)の場合、2019年に7人で起業したが、現在残っている創設メンバーは1人。なんとか残っているものの、事業がうまくいっているわけではない。ほとんどの土産物が外国からの輸入品であることから、ブータン製の土産物を作ろうと起業し、ティンプーのスタートアップセンターで事業をスタートさせた。初期は月4万5,000ニュルタムの収益を上げたが、パンデミックの影響で業況悪化し、創設メンバーが国内外での別の機会を探ろうとして、離脱していった。

今残っているソナムさんは、今も初期の夢が諦められないでいる。なんとかできないかと一縷の望みをつなぐが、見通しは定かではない。起業家ではありたいとして、自分の故郷の湿地を乾燥地に転換し、これを売却ないしは担保に銀行から新規借入れの道を探ったが、湿地を乾燥地に転換するには規制もある。ソナムさんは、他にも起業を妨げる要素があるという。この国の政策はダブルスタンダードになっていて、例えば、国内でものを作ってそれを外国で売ろうとしたら、起業家は多くの政策に精通していないといけない。しかし、外国で作られたものの輸入販売に適用される政策はない。

こうした政策のダブルスタンダードが、この国の起業家を敗退させる原因になっている。起業の道を諦めた人々は、英語能力試験を受けて外国を目指した。最近、ブータン企業家協会(BAE)は世界銀行ブータン事務所に対し、ティンプー郊外にスタートアップ支援施設を設立するのを支援して欲しいと要望書を提出した。起業するにはスペースが十分ではない。チャンザムト地区にあるスタートアップセンターは、増加する需要に応じきれていない。

しかし、起業が必ずしも悲観ばかりするものでもない。起業は不安要素に満ち、リスクもあるが、スリルもあると述べる起業家もいる。ビスケットブランド「ドゥナ・グー(Druna Ghu)」の創業者チミ・デマさんだ。彼女の事業もパンデミックの影響は受けた。出身の村の人々から様々な穀物を送って来られたが、加工施設はロックダウンで稼働していなかった。しかし、原料を送って来られたら、代金は振り込まないといけない。今日が難しければ明日再挑戦、その繰り返しだった。こうした課題を乗り切るには、自身が高いモチベーションを持ち続けることが必須だという。

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食品加工業はパンデミックでもなんとか持ち堪えたが、耐えられなかった事業のほとんどは観光に依存している。ミニチュア・ブータンのソナムさんはこう言う。起業家として続けていけない可能性はあるが、そのときはオーストラリアか米国、カナダで生計を立てたい。自分にも養う家族がいる。

初期の起業家の中には、ソナムさんのように業況回復を待ち続ける人もいる一方、起業家になりたいという夢を追い続けている人も多い。起業家であれば、自分がやりたいことができる。しかしそれには相当なハードワークが必要だ。いろいろな選択を強いられる荒波を乗り切るためには、それに耐えられる厚い面の皮が必要だ。

前回の記事で取り上げた王立経営大学院(RIM)での王様の演説を受けて、「根気」というところに焦点を当てたBBSの続報。特に何かの出来事があったからというわけではなく、2人の起業家と、たぶん、ブータン企業家協会を取材して構成された報道である。

今回の記事で取り上げられている起業家のことは、まんざら知らないわけでもない。ドゥーナ・グーのチミさんのことは、これまでに二度ほど紹介したことがあるのでこの場では述べない。

ミニチュア・ブータンについては、確か2017年秋に行われた「スタートアップ・ウィークエンド」で優勝したビジネスアイデアをピッチした起業家である(「エコツーリズムでの起業??」)。お土産物として大量買いしてもかさばらないものとして、細い材木を削って小さな仏像を作ろうというコンセプトだったと思う。「スタートアップ・ウィークエンド」自体はアイデアピッチだけで評価されるので、実際に獲得賞金が事業資金に充てられるのかどうか、実際にそれが事業化されるのかどうかもわからない。僕はこのイベントに参加していたわけではなく、新聞報道で知った。それから数日後、JICAの所長のところに、「仏具を掘れる技術を支援してくれ」とアプローチがあった。アイデア先行で面白そうな構想を述べるのはいいが、技術やスキルが伴ってないケースが多いのではないかというのが、その時に抱いた印象だった。

そのミニチュア・ブータンが今でもなんとか残っているというのを知ることができたのは嬉しいが、結局共同創業者である友人が次々離脱して、残っているのが発起人のソナム・タシさんただ1人、なんとか事業継続の道(それも、お土産物とは別の事業で)を模索している点には寂しさも感じる。始める時はチヤホヤされるが、続けるのは本当に難しい。自分が前回駐在していた頃に注目を集めていた起業家が、こうして今事業から撤退する選択を迫られているのを見るのはつらい。

最近、パロの郊外で農場経営をやっている僕の友人で、今年のものづくり6カ月集中講座「ファブアカデミー」を受講していたUT君が、ファブアカデミーをドロップアウトしたと人づてで聞いた。ファブアカデミーは米国MITの講座を元にして作られた特訓講座で、ブータンでも近くのファブラボの施設を利用して課題に取り組むことは可能だ。彼は2018年に一度挑戦し、インド・マハラシュトラ州のファブラボに長期滞在し、残りわずか2回の課題提出というところまでこぎ付けていたのに、ブータンに一時帰国した後インドに戻れず、卒業できなかった。今回は残りの課題を済ませて卒業製作も完成させれば卒業という、比較的軽い負担での再挑戦だったが、それでもドロップアウトした。

ミニチュア・ブータンの話を聴いて、僕はUT君のことを思い出した。彼の農場も、立ち上げる時には友人と一緒に始め、荒れ地をリースして友人とともに開墾していった。荒れ地だからリース料も安く、必要資金は開墾や施設整備に充てられる。でも、開墾が進むにつれて地主が強気になり、リース期間終了後は退去を求められている。結局、友人たちは次々と離脱。UT君自身も、これ以上施設整備を進めるよりも、借入金の返済に目途をつけるため、短期的に収入が得られるようなキャンプ場運営や野外パーティー会場としての貸出等に事業転換を余儀なくされた。それも僕にはかなりの負担に思えた。だから、ファブアカデミーをドロップアウトしたと聞くと、やっぱり自分の事業の方との両立が難しかったのだろうなと、ドロップアウトという選択への落胆より、彼の身を心配する気持ちの方が強くなった。

高校時代の友人とかと一緒に事業を始めるのはいいが、うまくいかないと賛同者が離脱していく。そして、その理由はたいていが「カネ」。思っていたほど収入がなく、スタッフの給与未払いや、出資者への配当未払い、家賃や借入金返済の未払いなど、問題が膨れ上がっていく。そうすれば、スタッフは辞めていき、共同経営者も離脱していく。そして、余計に事業の持続性、収益力が損なわれていく。

数日前、そんなUT君から久しぶりにSMSが届いた。ファブアカデミーのドロップアウトを聞いてから初めてのコンタクトだった。10月に農業祭を開くので協力しないかと訊かれた。10月のパロといったら、稲の収穫でいい季節だろうと思うが、僕自身はかなりスケジュールが埋まっているし、そこまでデジタル工作機械を運ぶ手間を考えたら、容易には首を縦に振れなかった。今、パロに住んでおられる邦人の方々には時間があれば訪問してみていただけたら嬉しい。
タグ:起業
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