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「ファブラボ・マンダラ」あってこそ [ブータン]


6月4日(土)、ジグミ・ナムゲル・ワンチュク・スーパー・ファブラボ(JNWSFL)がティンプー・テックパーク内にオープンした。当日の開所式には、王子様が主賓として招かれ、王子様として初めての公務を無事に果たされた。

JNWSFLの概要については、機会があればまた紹介したいと思う。当日の会場の様子を報じたBBSの動画でも、ドルックホールディングス(DHI)のウジュワルさんがインタビューで結構語っているし、動画でもなんとなくJNWSFLの雰囲気は伝わると思う。まあ、いずれご紹介します。

僕もJNWSFLの開所式に列席したが、2017年7月のファブラボ・ブータン(現ファブラボ・マンダラ)の開所式も目にした僕にとっては、一種のデジャブだった。時の首相の列席。黒色のスタッフTシャツ。スタッフは皆輝く顔で、陳列される新しい機械の操作を嬉々として来賓に説明する。来賓はよくわからないけどなんだかすごいことをやってくれてる、これこそブータンの未来だ、頑張ってほしいと納得顔で笑う。どれも5年前にあった話である。

陳列されている初期の試作品の中に、PETボトルからPETフィラメントを再生する簡単な装置があった。3Dプリンターや小型CNCの試作品も展示されていた。PETフィラメント生成装置は、いずれJNWSFLとDHI傘下の3つのファブラボには標準装備されるという。

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で、これらの試作品、JNWSFLのスタッフが作った。それは間違いない。でも、必ずしもJNWSFLのスタッフが独自にアイデア出しから企画立案して、製作したというわけではない。ファブラボ・マンダラが今ホストしている6カ月間のものづくりブートキャンプ、「ファブ・アカデミー」に、DHIから派遣されている受講者が、グループワーク演習の一環として試作したものが含まれている。

このファブ・アカデミーは、ファブラボ・マンダラに対して、僕のプロジェクトから無理を言って、ブータン国内でのローカルハブになってもらったものである。ファブラボ・マンダラが、外国からのインストラクター招聘手続きやロジ面のサポートも含め、これを引き受けてくれなかったら、いや、このファブ・アカデミー受講の前提条件と言われていた工作機械の基本操作の習得機会だった「プレファブ・アカデミー」を昨秋ファブラボ・マンダラがホストしてくれていなかったら、これらの試作にはつながらなかった。すごいタイトな日程条件の中で、ファブラボ・マンダラはこれに応じてくれた。

BBSの報道がそこまで踏み込んでいないのは仕方ないが、このプレファブ・アカデミーも、ファブ・アカデミーも、僕やJICAが日頃のファブラボ・マンダラとの信頼関係をもとに、無理を承知で話を持って行き、なんとか実現させたものだ。DHIはそれに後から乗っかってきたに過ぎない。

つまり、今日の開所式は、ファブラボ・マンダラによる協力があってこその成果だといえる。ちなみに、ファブラボ・マンダラは、無理してファブ・アカデミーをホストしたことで、持ち出しが生じている。

なのに、今日の開所式、ファブラボ・マンダラからは誰も出席していなかった。呼ばれなかったのか、それとも呼ばれたけれども来なかったのか、実のところはわからない。主賓が王子様なのに呼ばれて来ないという選択肢がファブラボ・マンダラにあったとは思えない。おそらく真相はDHI/JNWSFLがファブラボ・マンダラを招聘しなかったのだろう。いずれにしても、DHI/JNWSFLとファブラボ・マンダラとの間で、信頼関係がうまく築けていない。それは、見る人が見ればわかる。

僕からすれば、ファブラボ・マンダラが発足当初に示したいくつかの成果がが認められて、その後スーパー・ファブラボを作ろうという構想につながっていったと思っている。ファブ・アカデミーのホストのことも含めて、ファブラボ・マンダラの代表のカルマさんは、主賓として招かれても良かったぐらいの立場である。

今日感じた違和感の根本は、ファブラボ・マンダラ不在でこの盛大な開所式が挙行されたことにある。今日参列していた全員が、ファブラボ・マンダラのことなど忘れたかのように、JNWSFLの開所を祝った。BBSの報道でも、ファブラボ・マンダラのことはひと言も触れていない(そもそも王子様の初の単独公務がメインだったし)。

忘れているだけならまだいい。中には、ファブラボ・マンダラの関係者がいないのをいいことに、平気で悪しざまに言っていた外国人もいた。「あれは私の助言を聞かないから失敗した」などと、あたかも終わったかのようなひどい言いっぷりだ。経営がうまくいっていないのは確かだが、内部事情をろくに知りもしないで、外から見ただけで勝手なことを言うなと言いたくなった。

今日見た光景は、2017年7月に見た光景と瓜二つだ。で、その後ファブラボ・マンダラが歩んだ道を、DHI/JNWSFLが歩まない、同じ轍を踏まないという保証がどこにあるのか、僕にはわからない。

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JNWSFLは未だ、ちゃんとしたビジネスプランを確立していない。今は米国MITが技術サポートしてくれるからいいが、蜜月が終わってMITが別のところに関心をシフトさせていった場合、いつまでもMITには頼っていられない。そうして、自分たちで開発できない、解決できない課題が生じたとき、JNWSFLはどうするか。それでもちゃんと国内での技術的なバックストッピングとして機能してくれるのだろうか。それとも投げ出すのか。

今日の開所式の会場横で、6年前に設置されたインド・タタ製のソーラーパネルが、設置後6日で壊れ、そのまま放置されているという光景を見てしまった。自分たちで手に負えないとすぐに放置するようなことを近くでやってきた人々が、ちゃんと自分のケツを最後まで吹き切れるのか、今日列席したすべての人は、その行く末をしっかり見守ってほしい。JNWSFLがそこにあるのなら、テックパークの中の施設の不具合を、全部解消するところから始めるべきだ。

2017年7月のファブラボ・マンダラ開所式と、今年6月4日のJNWSFLの開所式のいずれにも出席していたのは僕しかいなかった。それは、政権交代があったことや、ファブラボ・マンダラから誰も開所式に来なかったこと、当時ファブラボ・マンダラが動員していたブータンの若者が、それぞれ職を見つけて独立していったこと、そもそもファブラボ・ブータン設立を主導し、その後の展開に関するブループリント(スーパーファブラボ開設も含む)を、当時の政府の指示によって書かされたツェワンが、デンマークから帰国していないことなど、さまざまな理由によるものだ。

だからといって、ファブラボ・マンダラをこのまま無視していいのか?ファブラボ・マンダラがあたかも存在していなかったかのごとく報じていいのか?ファブラボ・マンダラがそこまでの認知を受けていないとか、あるべき事業の姿を実現できていないこととか、ファブラボ・マンダラ自身の経営上の課題も確かにある。しかし、ファブラボ・マンダラから恩恵を受けたDHI/JNWSFLが、この日、ファブラボ・マンダラに対して何の敬意も払っていないように見えてしまったのは、僕には残念でならない。

ともあれ、これでブータンのファブラボは5つとなった。2カ月後には、僕らのいる「ファブラボCST」もプンツォリンにオープンするだろう。JNWSFLを含むDHI傘下の4つのファブラボとは、人材供給とか、地域分担とかで相互補完関係にあるが、おそらくDHI傘下のファブラボが弱いと思われる地域コミュニティへのアプローチでは彼らとは異なるアプローチを取り、地域とのつながりをより地道に作っていきたいと思う。

一方で、ファブラボ・マンダラとはどうだろうか。「スーパー・ファブラボ」とは、他の一般的なファブラボに配備される工作機械を作れる工作機械(machine making machine)」を配備したファブラボだと理解されている。しかし、JNWSFLはそうした領域での事業もやらないわけではないが、STEM教育普及活動では、ファブラボ・マンダラがこれまでやってきた領域とかなりかぶることを事業計画に盛り込んでおり、ファブラボ・マンダラと競合する可能性が高い。

そんな中で、ファブラボ・マンダラを閉鎖に追い込まないよう、またカルマさんに事業継続への意欲を失わせないよう、ファブラボ・マンダラと協働できる事業を考えていかねばならない―――そんな意を強くした今日の開所式だった。

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