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『イドコロをつくる』 [読書日記]

イドコロをつくる: 乱世で正気を失わないための暮らし方

イドコロをつくる: 乱世で正気を失わないための暮らし方

  • 作者: 伊藤 洋志
  • 出版社/メーカー: 東京書籍
  • 発売日: 2021/03/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
内容紹介
不安の感染を防ぎ、思考の健康さを保つ。縁側を自作する、近所の公園を使いこなす、銭湯に行く、行きつけのお店を大事にする、お気に入りの散歩道を見つける、趣味をつくる、一人で自然を眺める、仕事仲間、生活共同体、親しい友人を手入れする……現代において正気を失わないために各人が意識的に確保したい「イドコロ」を思考の免疫系という考え方で提案。個人でできる小さい広場のつくり方、見つけ方。
【購入(キンドル)】
ブータンでは何年かに1回、GNH全国調査というのが行われている。僕は直接質問項目を吟味したわけではないが、その質問項目の中に、「病気の時に頼れる人は何人いるか」とか、拠りどころについて尋ねる質問があると聞いた。当然、ある程度は多い方が幸福度にはプラス要素となる。

自分が心の安寧を維持するのに拠りどころとできる場所が何カ所あるかという質問でもされたら、ほどほどに多い人は精神的に安定している人と言えるのだろう。日本では、会社で変に細かい上司にやられるとか、学校で何かの拍子にいじめの対象になり、教師や学校もそれに目をつぶっていて、そのせいでメンタルをおかしくしているような人がかなり増えてきたのではないかと思われるし、そうしたハラスメントのターゲットとされる人々の側でも、1人で抱え込んで悩み続け、余計に負の思考のスパイラルに落ち込んでしまうようなパターンも多いのではないかと思われる。そういう場合の拠りどころと思われていた家族も、今は核家族化が進んでいるし、何よりも各世帯構成員が余裕を無くしているところもある。

そういうのに抗いたいという動きが、こうした書籍を世に送り出したのだろう。

僕が50代に差し掛かった頃、会社がアラフィフの社員を対象に、人生設計に関する研修を行ったことがある。そこでのプログラムの中で、「仕事以外での人とのつながりを挙げよ」との課題が出され、自分が何をやっているか、リストアップしてみた。

その頃は、地元の道場に通って剣道の稽古もしていて、会社の同僚と作った剣友会も月1回の稽古会が開かれていた。それが、会社を定時で上がろうという強力な動機となっていた。会社の同僚とはランニングクラブで時々駅伝や市民マラソンを走っていて、かつ15年も前に属していた走友会のメンバーとも、時々駅伝で選手の融通をしたりもしていた。地元に戻れば国際交流協会のボランティアもしていて、大学院のOB/OG同士で時々オフ会も開いていた。ちょっと読書や資料の読込み等に集中したい時は、最寄り駅近くにちょうどいい隠れ家的な喫茶店があって1時間ほど道草したり、また週末の早朝4時でも開いているファミレスがあって、ほぼ毎週通っていた。

本書の著者に言わせれば、これらはすべて「イドコロ」としてカウントできるらしい。当時も仕事はしんどかったといえばしんどかったのだが、それなりに精神的には安定していたと思う。但し、こんないろいろなことをやっていたがために、唯一、妻には不評で、夫婦仲がかなり悪化した時期でもあった。

それから8年が経過したが、そのほとんどを今はやめている。齢を重ねたことや、海外駐在で塩分を取り過ぎたからか、あまり激しい運動はしづらくなった。それに追い打ちをかけたのがコロナ禍で、気が置けない仲間と気軽に集まれなくなった。Zoomでオフ会やればいいじゃないかと言われるかもしれないが、皆が使いこなせるわけではない。駅前の喫茶店は駅前再開発の対象地域だったために閉店し、ファミレスも人出不足を理由に深夜や早朝の営業を取りやめた。ちょっと前まで「仕事の断捨離」と時々述べていた通り、僕は去年、母校の非常勤講師を辞めることを決断したし、プロボノでやっていた某財団法人の理事も任期満了で、財団からも距離を置いた。

もう一度、自分のよりどころを一から再構築し直しているところなので、こういう本には勇気は貰える。

本書は『「探求」する学びをつくる』の著者がある講演で薦めておられたので読んでみたものである。タイトルがすべてのような本である。イドコロづくりといっても大袈裟な話ではなく、行きつけの喫茶店やスナック、本屋や銭湯、なんでもいいという感じで心理的なハードルは思い切り下げられている。これなら俺でもできるというアイデアが必ず思いつくに違いない。

ただ、気になった点がいくつかある。1つめは著者の立ち位置で、おそらく著者はそういう「場」づくりに長年取り組んでこられた人なのだろう。イドコロが見つからなければ自分でも作れるという発想は、そういった著者のご経験から来ているのだと思われる。でも、すでに存在する場所をイドコロとして利用していこうという話と、自分でそういう場を作る話がごっちゃになっているため、なんだか焦点が絞れていない話の展開になっている気がしてならなかった。

2つめは著者の書きぶりが断定的であることで、読んでいて説教されているような居心地の悪さをずっと感じていた。おっしゃっていることは正論だ。反論もしづらい。著者の想像でしかない話を断定的に述べたり、同じ論点を繰り返したりと、読んでいて途中で嫌になる場面が何度かあった。それが、読了に時間がかかった理由である。

3つめは、著者の「イドコロ」定義の幅が広いことで、逆にイドコロ確保が目的化して、かえって疲れてしまうことがないのだろうかと点である。特に、著者のいう「獲得型イドコロ」はいったん確保したら維持していくのが大変なので、そういうのを多く持っていると逆に精神的負担感が高まるのではないかと気になる。そういうイドコロは他の人にとってもイドコロなわけで、お互いにそのイドコロをより居心地の良い場所にしようと試み、お互いの要求水準が違って対立してしまうということも起こり得る。

僕が昔所属していた走友会を辞めたのも、会長さんの厳しい要求に嫌気がさしたからだし、国際交流協会のボランティアも、関わっておられたシニアの方の僕に対する執拗な嫌味に僕が堪忍袋の緒を切らしたからだ。著者はあまり書かれていない(集中力を欠いた読書だったので書かれていたのを見落としていたかもしれない)が、イドコロが正気を失わせるきっかけにだってなり得ると僕は思う。

4つめ。そういう「場」づくりをナリワイとされている著者は、きっとみんなが頼りにしているいい人なんだろうと思うが、そういう人がその場以外にもイドコロをいくつも抱えておられるというのを知ると、その1カ所でしか接点のない人々が、著者に対してどういう思いを抱くのだろうかというところもあるのではないだろうか。

前述の某財団法人の理事は、代表理事だった方からの要請で引き受けたものだが、その代表理事が他にも多くの仕事を抱えていて、その財団法人の仕事は、彼の持ち時間の10%未満しか割いていなかった。実際、こちらが「これくらいはやったらどうか」というレベルのこともやってくれていたわけではない。

一見わかりやすいメッセージであるように見えて、本書は結構わかりにくいものを含んでいたように思える。「イドコロ」のプロデュースというのはさておき、自分自身を構成するポートフォリオとして考えたら、小さな幸福感を得られる場所を幾つか確保することの必要性には疑う余地はない。僕は今はそのポートフォリオをゼロから再構築している過程なので、デカいことは言えないが。

あ、ゼロじゃないね。家族がいるから。そして、こういう正気を維持するのが難しい世の中だから、うちの子どもたちにとっても、息抜きができる場所であることを心掛けたいと思う。

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