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亡き父を思う日 [家族]

2021年3月30日、父は87歳で他界した。その時のことは、さすがにブログでも詳述していない。直後のバタバタがひと段落して、4月3日に別のタイトルの記事の中で、ようやく記すことができた。

これから毎年3月30日は、亡き父を思う日にしたい。

26日(土)、雨の中、故郷・岐阜では父の一周忌法要が行われた。新型コロナウィルス感染拡大がここまで進んでなくて、僕も任地に一度は入れていたら、この時期はひょっとしたら里帰りできていたかもしれない。いや、首都の行動制限があまりにも長引くので、気分転換のために外に出たいという気持ちもあり、それで父の法事のことも考えて一時帰国できないかと検討もしたが、結局それも諦めた。

4月4日から、外国人来訪者の入国後施設隔離が14日から5日に短縮される。それがもっと早くわかっていたら、一時帰国してもすぐに仕事に復帰できていたかもしれないが、それも後の祭り。

来年の三回忌の時は、万難を排して出たい。

話は一周忌に戻すが、法事には、東京の家族が全員出てくれた。高校三年生だった次男は、第一志望ではなかったけれども取りあえず大学が決まり、大学四年生だった娘は、無事卒業して4月からの就職も取りあえず決まっている。長男は大学院1年目を終えようとしているところだが、法事から戻った直後に企業面接のアポが取れたと報告していている。

切りのいいタイミングだったこともあって、家族全員で行けたらしい。おじいちゃんにいい報告ができたのではないかと思う。親戚、従兄弟とともにおさまった集合写真を僕に送って来てくれた。1人来れなかった孫がいたが、残る6人が揃って写っている写真を見ると、新しい時代に移りつつあるなと改めて感じる。次世代の存在感が一気に増したように思う。

これで、孫が全員高校を卒業して大学にまで進んだ段階に入った。ここから先は、元々岐阜に住んでいない孫だけでなく、岐阜に住んでいたけれども進学のために実家を離れる孫も出てくる。大学生や社会人になればそれぞれの居場所もあり、それぞれの都合もある、おじいちゃんの法事に合わせて毎回岐阜で集結、というわけにはいかなくなると思うが、それぞれの都合に合わせてでもいいので、時々おじいちゃんのところに立ち寄ってあげて欲しい。

一周忌法要の翌日(27日)、僕は実家の母とLINE電話で少し話した。母も今年2月で80歳の誕生日を迎えた。法事の直後で、しかも大勢で押し寄せていた僕の家族が東京へと戻って行った後だっただけに、再び一人になって、それで疲れがドッと押し寄せてきたところかなと思っていたら、マーケットに出す野菜をパッケージングせねばと作業しているところだったらしい。元気でいてくれるのが幸いだ。

この1年で亡き父に報告できることといっても、僕の場合は無理やり任国には来たけれども任地には依然入れておらず、実質的な活動はまだはじめられていない。息子の活躍を見せてあげたい気持ちは依然あるものの、とてもいい報告はできそうにない。せいぜい孫の成長ぐらいのものか。

でもこの1年で固まってきたことはある。今の仕事を終えて、日本に帰るとき、僕は今の会社は辞めて、しばらくは実家の母と暮らす。そういうプランを、この1年でかなり固めてきた。うちの家だけでなく、親戚の法事もあるだろうし、世話しなきゃいけない田畑もあるし、ご近所とのお付き合いもある。それらと自分のここまでのキャリアの中で培ったスキルで生計手段として生かせるものを組み合わせて、しばらくは岐阜に滞在しようと思っている。三兄弟の中で、自由になる時間が最初にできる立場でもあるし。

孫たちが新たなステージに突入したのに続き、次は長男を皮切りに、息子たちが新たなステージに突入していく。そういう移り変わりを強く感じたこの1年だった。

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