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ブータン人間の安全保障上の課題 [持続可能な開発]

デジタル・ガバナンスの時代の人間の安全保障上の課題を乗り越える
Overcoming human security challenges in the age of digital governance
2022年3月25日(金)、UNDPブータン事務所
https://undpbhutan2012.medium.com/overcoming-human-security-challenges-in-the-age-of-digital-governance-c037167864e8
UNDP-HSR001.png

本日ご紹介するのは、今年2月にUNDPから出された「人間の安全保障特別報告2022年版」(以下、SRHS2022)を引用した、UNDPブータン事務所の記事である。補足しておくと、UNDPには「人間の安全保障ユニット」というのが今もあって、国連の中での人間の安全保障の主流化に役割を果たしている。ただし、日本人の職員が配置されているのかどうかはわからない(多分されていないのではないかと思われる)。今回の報告書の編集チームの中にも、日本人は入っていないし、日本人の名前として載っているのは、高級諮問委員会(パネル)の共同議長として武見敬三議員の名前があるくらいだ。

UNDPがすごいと思うのは、レポートの量産能力の高さだ。先日、ブータンの若者の失業に関するレポートを紹介したばかりだが、こうした国別のレポートの他に、全世界対象にしてオピニオンを打ち出して何らかの国際世論形成を図ろうとするレポートも存在する。しかも、そうしたグローバルなレポートを、ブータンの文脈に落とし込んで紹介しようとすらされている。

これは素晴らしいことで、たとえて言えば、JICAの持っているシンクタンクがいろいろなワーキングペーパーを出しても、その示唆を各国の文脈に落とし込んで各々の国で紹介するような機能は、よほど意識の高い事務所でないとあり得ない。いや、ワーキングペーパーは「~~国における――」と国の条件指定が入っていることが多いため、普通に考えれば、研究対象になった国なら関心あるけれど、そうでない国の事務所にとってはほとんど関心がない。そもそも、JICAはそうしたグローバルなフラッグシップレポート自体を出していないので、単純にUNDPとの比較自体ができないのだが。

しかし、そうであったとしても、緒方貞子先生以来、「人間の安全保障」の推進役と自認していた日本が、UNDPにお株を取られているのも悲しいし、仮にレポート自体はUNDPが出しているものであったとしても、そしてフラッグシップレポートのようなものを出していないとしても、UNDPに書かれっ放しにされているのは悲しい。SRHS2022の分析枠組みの土俵の上に立って、「これはどうなんだ」と指摘したり、新たな視座を提供するようなコメンタリーを出せたら、「おおっ」と日本を見直したくなる。

でも、それじゃお前はSRHS2022を読んだのかと聞かれると、そこまではしてません。いきなりトーンダウンして恐縮ながら、そこまでのリサーチをしていたら、「それはお前の仕事か」という厳しいご意見も飛んでくるからだ。なので、UNDPブータン事務所のコメンタリーの字面だけを読んで、それで自分なりに考えてみたい。

先ず、SRHS2022はどうやら、「デジタルテクノロジーがもたらす人間の安全保障上の脅威」というところに焦点を当てているらしい。その脅威は、①サイバーセキュリティ上の不安、②ソーシャルメディア上で跋扈するフェイク情報、③技術イノベーションへのアクセスの偏りが不平等を拡大、④AIに基づく意思決定、ということらしい(下図参照)。

UNDP-HSR002.jpeg

コメンタリーでは、この4つの脅威をブータンの文脈でとらえ直し、ブータンの直面する課題を列挙している。それぞれについては一見するとそうだと思えるが、コメンタリーを読んでいて一貫して感じるのは、ブータンの人々を「保護」の対象として見ていることである。

例えば、サイバーセキュリティの脅威にさらされているというわりに、この国では脅威に対する防衛策が講じられていない。高価なウィルス対策ソフトウェアが入れられないんだからしょうがないではないかという、「落としどころの緩さ」「現状への甘え」というのがある気がする。フェイクニュースについても、このコメンタリーはそれらに翻弄されているブータン人という視点で描かれていて、フェイクニュースを流す主体もまたブータン人であるというところへの言及はない。デジタルデバイド問題で高齢者への言及があるが、そもそもデジタルテクノロジーへのリテラシー向上を教育上の課題としてしか捉えておらず、自分自身の問題と受け止めず、自分なりにその世界にダイブインして、キャッチアップしようとしていないのはシニアの政府職員ではないかとすら思う。

このコメンタリーで描かれているブータン人は常に受け身で、デジタルテクノロジーの脅威に翻弄される人々として描かれているが、その前提としてこれらの脅威に対する「保護」の提供主体が常に公的部門という前提があるように思えてならない。しかし、人間の安全保障では、人々の直面する脅威に対する「保護」や「エンパワーメント」の提供主体として、政府、市民社会、民間セクターなどに加えて、「人々自身」というのも想定されていた筈である。この、「人々自身」が、他の人々と共にデザインし、人々自身のために提供する「保護」や「エンパワーメント」は、あまりこのコメンタリーでは言及されていない。

国際機関が普及させたい言説を各国の文脈で主張すれば、自ずとそのメッセージの対象はその国の政府関係者ということになるのは仕方ない。だが、それをそのまま僕らが呑み込んでいたら、僕ら自身が何をすべきなのかという具体的な行動に落とせないと思う。

FabCitizenDesignGuideBook.jpg先週、3月23日(水)、慶應義塾大学SFC研究所とファブ地球社会コンソーシアムが開催した、「FAB CITIZEN DESIGN GUIDE BOOK~​持続可能な社会を担うひとやまちを育むための学びの実践ガイドブック」公開記念オンラインイベントを傍聴した。この週末を利用してこのガイドブックを読みはじめているところであるが(これは僕自身の業務とも関連性があるので)、その中で、「21世紀スキル」について、「知識を暗記する従来の学習方法で習得することは難しく、学習者は置かれた状況や課題に対して、知り得たことを応用しながら、他者と連携し、最適な判断を求められる」とその必要性が述べられ、「学習者自身で学び方を身につけていくこと、正しい情報の見極め方や情報技術の扱い方、他者とのプロジェクトの進め方、そして世界と自分との関わり」が強調されている。STEM教育を人間の安全保障の文脈で語っている文献はあまり知らないけれど、読んでいて、STEM教育というはSRHS2022の実践へのアプローチの1つとして、ヒントになり得るのではないかと感じた。(このレポートは、読了したら別途ご紹介したい。)

こう書いてきたら、結局SDGsともよく似ているような気がしてきた。結局のところは自分にできることをやるということになるのだけれど、今自分がやっていること、これから自分がやろうとしていることは、人間の安全保障の実現にどのように貢献しているのか、それを自分自身でしっかり規定できるのかどうかが問われている。

そういうエクササイズは僕自身もやっていない。他人様の組織の出したレポートやコメンタリーをチラ見したのを契機に、自分自身はどうなんだというところを、少し詰めないといけないな。

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