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『親鸞・完結篇』上下巻 [読書日記]

親鸞 完結篇(上) (講談社文庫)

親鸞 完結篇(上) (講談社文庫)

  • 作者: 五木 寛之
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2016/05/14
  • メディア: 文庫
親鸞 完結篇(下) (講談社文庫)

親鸞 完結篇(下) (講談社文庫)

  • 作者: 五木 寛之
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2016/05/14
  • メディア: 文庫
内容(「BOOK」データベースより)
【上巻】東国から帰洛した親鸞に魔手が伸びる。専修念仏を憎悪する怪僧・覚蓮坊が、親鸞の長男・善鸞をそそのかし『教行信証』を奪おうとしたのだ。だが、その前に立ちはだかったのは、数奇な半生をたどり、宋の富商に身請けされたという謎の女借上、竜夫人だった。このふたりと、親鸞の因縁とは?入魂の三部作、完結。
【下巻】偉大な師にして父親の親鸞に認めてもらおうと善鸞は東国行きを志願するが、父子の懸隔はかえって広がる。一方で最後の闘いの時も迫っていた。怪僧・覚蓮坊、謎の女借上・竜夫人、若き日に出会ったツブテの弥七、黒面法師らとの、永く深い因業が解き明かされる。そして、九十歳で入滅――。渾身の三部作、完結。
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もう勢いで『完結篇』も一気に読んでしまうことにした。

自分の記憶が定かではないが、『青春篇』は親鸞が10歳ぐらいのところからはじまっていた筈なので、90歳で入滅するまで、足かけ80年もの生涯の物語であった。『激動編』は35歳から62、3歳頃まで、そして「完結篇」はそこから90歳までの京都で過ごした約30年間を描いている。

つくづく難しいなと思ったのは、この最後の30年弱の描き方である。基本的に西洞院の居宅からほとんど外に出ず、もっぱら手紙を書き、写経やったり歌を詠んだり。動きがあまりにも少ないので、小説として描くのは相当難しかったのではないかと思う。自ずと、親鸞本人よりも、その周辺の人々や、これまでのストーリーの中で、親鸞との絡みがあった人々ないしそのゆかりの人々等の動きの方が激しく、おそらくその多くが架空の登場人物になるので、エンタメ性を高めた話の展開になっている。

厳しい言い方になるが、この中で描かれる史実って、親鸞が京都で晩年を過ごしたことと、90歳で亡くなったことぐらいではないかと思ってします。

親鸞本人の人物としての面白さは、前二篇の方が圧倒的に大きい。思想的にも、『激動編』で描かれていた親鸞の布教活動上の悩みは、『完結篇』で解消されたわけではないように思えた。あまり成長の跡がないし、『激動編』の恵信を叩いてしまうシーン以降から見える、親族に対する親鸞のそっけなさが、人間としての親鸞の魅力をそいでいるようにも思えた。なんでそんなに信者が増え、今も後継指導者から教義に関する問い合わせが多く寄せられるのか。あまりうまく描かれていないような気がした。

また、京に戻ってからの動きがあまりにも少ないため、何のために東国布教から京に戻ったのかもぼやけてしまった。また京に戻っても特に何も動いていない一方で、東国の混乱はしきりに気にしている。そのあたりも、そもそもなんで京に戻ったんだっけというのをわからなくさせている気がする。

それ以上に戸惑ったのは、昔親鸞と因縁があった人を再登場させるのはいいにしても、親鸞本人が十分に高齢なのに、昔のシーンでは親鸞よりも年上で会った筈のツブテの弥七とか、黒面法師とか、あるいは親鸞よりちょっとだけ年下だった程度の良禅(覚蓮坊)、鹿野(竜夫人)、外道院などを、70代とか60代とかがまだ健在であったり、メッセンジャー役で出てくる常造にしたって80歳でまだ健脚って、当時の時代背景を考えたら、あり得ないほどの高齢ではないか。

エンターテインメントとして捉えればそこそこ面白かったのだが、あまり親鸞の人物や思想の理解にはつながらない小説だと思う。ああ言えばこう言う、あーでもないこーでもない的な切り返しを親鸞が行っているシーンが結構多くて、問答は好きだったようだが、断定的なことはあまり言わないシーンばかりである。

小説は小説として読んで、もっと知りたい人は評伝とか解説書とかを読んで勉強しなさいということなのだろう。

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