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2021年のGOOD-BAD-UGLY [ご挨拶]

毎年大晦日にアップしている回顧録ですが、2021年版はとてもエモーショナル、かつマイナスオーラがかなり出まくった書きぶりになっているので、お見苦しいところがかなりあろうかと思います。気になる方は「BAD」「UGLY」部分はすっ飛ばし、No.1とNo.10だけをご覧下さい。

10.父の介護(BAD)
これは年末になって急に浮上してきた懸案事項で、本番は年明けからだろうと思っています。
―――1年前のブログの最後を、僕はこんなふうに締めくくっていました。

父と二人で暮らしていた実家の母と、離れて生活していた三人の息子たちの間で、どのように介護を進めて行ったらいいのか模索をはじめてから3カ月後の3月末、父は施設で息をひきとりました。東京都の緊急事態宣言が一時的にでも解除されて、僕が里帰りしていたタイミングでの出来事でした。しかも、5月中旬からのブータンへの赴任を控え、いったん渡航したら簡単には戻って来れない状況下で、母が介護疲れで共倒れになってしまわないかと心配していた中での突然の死去でした。オヤジ、タイミング良すぎます(苦笑)。四十九日の法要までは見届けられませんでしたが、おかげで、そこまでは息子の1人として、できるだけのことはして出発できたかと思います。

またしても生活環境に大きな変化があったわけですが、人生の手本としてずっと僕の前方に君臨していた父を失ったことは、やはり僕にとっては今年最大の悲しい出来事でした。

◇◇◇◇

以上申し上げた上で、2021年の個人的重大ニュースを以下で概括してみます。

1.Snapmakerとの出会い(GOOD)
2021年は、Snapmakerという、3Dプリンターとレーザー加工機、CNCの3つのモジュールの付け替え可能なデスクトップ工作機械の購入ではじまりました。これに加えて、年明けから3Dデザインのプログラム「Tinkercad」を徹底的に独習し、1カ月ほどで、人にも教えられるほどになりました。自宅の机の上で、何か急にものを作りたくなった時、デザインから3Dプリントまですぐにできるようになり、かつプリントに伴って発生するアドヒージョンの問題とか自分で解決策を探り、自分なりのフォーミュラを探すこともできたと思います。

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2.父の死去に伴い、見えてきたもの(UGLY)
今年1年、仕事の断捨離についてたびたび言及してきました。その中でも最も大きかったのは、2017年以降4年間プロボノで務めてきた某財団法人の理事を退任して、財団の仕事から距離を置いたことです。

この財団では、事業立上げから10周年を記念して、今年初めにその活動の歴史を本として出版し、売れ行きも良く、財団の認知度はこの1年でかなり上がりました。でも、その間、僕が3月に丸受けして1人で対外調整をしていた仕事も、父が死去してそれどころじゃない状態に陥った時、この財団はその状態を承知していながらバックアップも立ててくれず、お悔やみのひと言もありませんでした。さすがに、役員の親族に不幸があった時に、何もしてくれない組織ってどうかと思ったわけです。

「人の気持ちや受け取り方には思いを寄せていける理事会運営でありたい」と代表理事はおっしゃっていましたが、そのわりに当時僕が受けた仕打ちは何だったのでしょうか。ですから、その当時自分が関わっていた仕事はすべて責任もってやり遂げはしたものの、今後はもうやっていけないと思ったわけです。

3.某私大の客員教授の肩書をもらう(GOOD)
でも、その財団でやっていた仕事の関係もあって、某私立大学から客員教授の肩書をいただいたわけです。そこだけは財団に感謝してます。でも、そこから自分の仕事を広げるのは僕自身の裁量です。別に財団の関係の仕事だけやってればいいわけじゃない。それに、この大学の先生や事務の方々からは、父の死去の際にいろいろお心遣いをいただいた御恩があります。僕に仕事丸投げして助けてくれなかった組織とは大変な違い。で、ブータンに赴任する際にもミッションをいただきまして、その事業化にも少し取り組んでいます。勿論、本来ここに来ている目的の達成のための業務とのシナジーは考えないといけないわけですが。

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4.某私大の非常勤講師の肩書を捨てる(BAD)
逆に、2016年度から6年間にわたって務めてきた別の私立大学の非常勤講師の仕事は、今年度で辞めることにしました。頑張っても頑張らなくても報酬は変わらないのは、非常勤講師なんだから仕方ない。でも別に何かいいことがあったわけでもない、海外駐在していた自分たちを活用して、イノベーティブな研究活動が行われたわけでもありません。

でも、最大の理由は、履修登録しておきながら一度もオンライン履修室に登場しなかった履修生、最初はオンライン履修室で挨拶してやる気を披露していたけれども、課題提出もろくにせずに幽霊化してしまった履修生の多さにあります。新学期開始して数回提出課題に関してやり取りがあった上での履修放棄なら、講師の僕の責任もあるとは思いますが、のっけから履修放棄されては、何のために履修しているのかわけがわからない。そういう輩が増えて、やりがいを失くしたのが大きかったです。

5.書いたこと、喋ったことが形になる(GOOD)
今年は、前年から原稿執筆していた論考やコラムが本の一部になって刊行されたケースが2件、さらに自分が登壇した講演録のウェブ公開が1件、ケースメソッドの教材として英文で書いたケーススタディのウェブ公開が1件、形になりました。あともう1件、参加している英文書籍刊行プロジェクトで原稿を書き上げて提出しています。こうして形として残っていくのは嬉しいものです。

ただ、後述しますが、僕は昨年秋、いずれどこかの大学で教員や研究者をやりたいという希望は追い求めないという重大な決断をしたので、来年以降は、自分の名刺代わりになりそうな執筆以外、より選択的な対応をしていきたいと思っています。

6.任国には来たものの、任地には入れず(BAD)
新型コロナウィルス感染拡大で遅れに遅れた僕の今回の渡航は、インドでデルタ株の感染拡大がピークになっていた5月中旬、デリー経由で実現しました。経由地での滞在は結構怖かったです。

でも、こうして任国にまでは来れたはいいものの、本来の任地であるプンツォリンはブータンでもコロナ危険地域に指定されていて、簡単に行かせてもらえるところではありません。結局、配属先のCSTには着任することができず、同じくカレッジの入構制限により、全国各地の実家からオンライン講義を受けざるを得ず、それでティンプーにいたCSTの学生を対象にした研修を主催したり、将来的にどこかのファブラボのユーザーになってくれそうな学校の教員、障がい者団体などを対象にした研修を企画したりして、お茶を濁してきました。

それでも、日本で悶々としているよりは精神的にはやりがいはありますが、一緒に働いて下さる専門家チームの短期渡航がなかなか実現せず、また、コロナの影響でグローバルなサプライチェーンがなかなか機能せず、肝心の工作機械がなかなか調達できず、思うような活動が現地ではじめられないのはつらいです。また、組織に守られていた前回の駐在と違い、今回の首都滞在では一緒に動いてくれるカウンターパートがいないため、すべて自分一人で仕事を進めなければならない点も、けっこうつらいです。

7.新規事業提案、採択はされたものの…(UGLY)
昨年末に応募した社内コンペでの新規事業提案、書類選考、企画プレゼンを経て、4月に見事採用されました。でも良かったのはそこまでで、そこからは茨の道。組織の枠にとらわれない、斬新な発想での事業提案を発掘しようという掛け声は立派ですが、各論になると関連しそうな部署からは「うちじゃない」「人繰りがつかない」等と抵抗に遭い、事業化の目途がまったく立ちませんでした。コンペを主催した部署からは「早くなんとかしろ」と急かされ、11月には精神的にまいってしまい、本来こちらでやらねばならない仕事が手につかなくなった時期がありました。楽になりたいと思い、「辞退」すら申し出ました。しかし、「(辞退というのは)前例がない」というので、受け容れてもらえませんでした。

年末ギリギリまで事業化の可能性を模索しましたが、結局打開策は見出せませんでした。つくづく自分の所属している組織が嫌になりました。自分がこの提案にやりたかったことが何かを冷静に考えてみた時、別に無理に今の組織の中でやろうとしなくても、自分がこの組織を飛び出したらもっと自由にできるのではないかと思いました。年明けには外部審査員に進捗状況を報告せねばならないらしいですが、この新規事業は縦割りでかつ人繰りに余裕がほとんどない今のうちの組織ではとてもできないということがよくわかったというのが、1年間の苦闘の末の大きな成果だったと胸を張って報告しようと思います。

8.新規事業提案、でもできることはやった(GOOD)
新規事業提案の本丸部分は、自分のところで受けたくない部署の抵抗もあって話が進まなかったわけですが、既存の事業の枠組みにおいて、できることはやってきたという自負もありました。その部分でもハシゴを外されたケースはありますが(そこで受けた御恩は一生忘れません)、それでも自分に対して及第点はあげられます。来年になっても本丸の方の埒は簡単には明かないでしょうが、まだまだやれることはあるでしょう。そこは頑張りたいと思います。

9.子どもたちの成長にホッコリ(GOOD)
娘の就職がなんとか決まり、大学院に進んだ長男は英語で学会発表をやったりするところまで来ているそうです。そういう子どもたちの成長を聞くとやはり嬉しい。次男も大学受験頑張れと期待もしています。さらに嬉しいのは、我が子三人が三人とも違う分野に進み、にも関わらずオヤジが定年後のライフワークにしようとしている領域と、それぞれが何らかの形で接点があることです。彼らが各々の領域で極めていってくれれば、オヤジとしては馬鹿づらして子どもたちの世界から学ぶことができる。もっと言ってしまえば、子どもたち三人で協力し合っていってくれればなとも思います。毛利元就の「三本の矢」みたいになっていってくれたら面白いかも。そんな妄想を膨らませることができた1年間でした。

10.退職後の生き方のイメージ固まる(GOOD)
昨年11月の段階で、僕は少なくとも大学教員や研究者になるというキャリアパスは完全に諦めて、今や派遣されてきてやっている仕事をもっと極めるという決断はしていたのですが、それを今の所属組織の中で新規事業として立ち上げて、社内で従事できる道筋を作ろうとしたのが、上記7、8でも述べた新規事業提案でした。

それがいろいろな部署からの抵抗で頓挫しそうな今、発想を変えれば、別に社内で無理してやらなくても、社外でだってできる、むしろ社外に出た方が、事業設計を変にいじることなく、やりたい形でできるのではないかと―――。会社を辞める覚悟ができると、帰国してからの自分の身の振り方について突如としてアイデアが降って来て、そこからの逆算で、2023年に何をやるか、さらに逆算して2022年にこちらで何をやるか、すべてつなげて考えることができるようになりました。

2021年の最後の2カ月は、悩みと焦りに苛まれ、自分自身の仕事のパフォーマンスが相当落ちました。でも、来年自分が何をすべきかがはっきり見えてきたことで、今は精神的な不調を脱することはできそうな気がします。

今年も1年大変にお世話になりました。
読者の皆様の新年のご多幸をお祈り申し上げます。

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