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『草原の椅子』 [読書日記]

草原の椅子(上) (幻冬舎文庫)

草原の椅子(上) (幻冬舎文庫)

  • 作者: 宮本 輝
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2001/04/05
  • メディア: 文庫
草原の椅子(下) (幻冬舎文庫)

草原の椅子(下) (幻冬舎文庫)

  • 作者: 宮本輝
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2012/12/25
  • メディア: Kindle版
内容(「BOOK」データベースより)
【上巻】遠間憲太郎は長年連れ添った妻とも離婚し、五十歳になりさらに満たされぬ人生への思いを募らせていた。富樫重蔵は大不況に悪戦苦闘する経営者だが、愛人に灯油を浴びせられるという事件を発端に、それを助けた憲太郎と親友の契りを結ぶ。真摯に生きてきたつもりのふたりだが…。人間の使命とは? 答えを求めるふたりが始めた鮮やかな大冒険。【下巻】憲太郎が恋心を寄せる篠原貴志子。両親に捨てられた五歳の圭輔。行き場のない思いを抱えた人間たちが、不思議な縁で憲太郎と結ばれてゆく。しだいにこの国への怒りと絶望を深める憲太郎は、富樫と壮大な人生再生への旅を企てる。すべてを捨て、やり直すに価する新たな人生はみつかるのか? ひとりひとりの人生に熱く応える感動の大長篇。
【購入(キンドル)】
今年は年初に「宮本輝作品を何冊か読む」と目標を立てていたが、なんとか10冊(分冊になっているものも別個にカウント)に到達することができた。以前読んだ著者のエッセイ集『いのちの姿 完全版』の中で、旅行でタクラマカン砂漠やフンザに出かけた時のエピソードが書かれていたのを思い出し、それをベースにこの『草原の椅子』という作品が生まれたのだろうと考え、今年の締めくくりとして読んでみることにした。上巻はKindle Unlimitedで。それが良かったので、下巻は購入して読んだ。

読書に臨むにあたっての僕の状況はというと、様々な出来事に対して、感情で対処してしまうことが目立って増えた数週間であった。目の前の仕事の方も思った通りには進まないことが多かったが、これに関しては感情で対処するにも相手がいない状況なので、そういうものだと諦めるしかない。ただ、僕を後方支援している方々に対しては、なぜそう来るかと理解できないことも多く、さらには、自分が日本に残してきた仕事の処理に関する「総論賛成・各論大反対」の反応には、一度はメンタルやられるかもというところまで追い込まれ、そこからなんとか気持ちを取り直して今日まで来たけれど、またもやハシゴを外される出来事に直面し、文字通りの悔し涙を流した。

組織に対する幻滅、あるいは憎悪―――そんなものを感じざるを得ないこの数週間だった。

翻って本作品だが、これまでいろいろな宮本作品を読んできた中で、これほど日本という国に対する幻滅や批判が主人公の口から述べられる作品は初めてで、戸惑った。作者本人があとがきでも述べられているが、「一種異常なほどの「この国への憎悪」に似たものがつきまとって離れなかった」と認めておられる。

これまで読んできた作品で登場した人々のほとんどが、善良な人々であった。ところが、本作品には、理解しがたい異常な言動や行動を伴う若い人々が何人も登場する。日本はおかしいと語る遠間や富樫にしても、若い頃には、今の若い人たちほどではないが、浮気を繰り返していた過去があったと認めている。(富樫に至ってはもっと最近のエピソードになっているが。)

おそらく著者が作品の中で描こうとしたのは、「おとな」というのがどういう人間を指すのか、「おとな」になりきれていないのがどのような人間なのかの対比だったのではないかと思う。

これまたあとがきで著者が述べていることだが、「おとな」とは、「幾多の経験を積み、人を許すことができ、言ってはならないことは決して口にせず、人間の振る舞いを知悉していて、品性とユーモアと忍耐力を持つ偉大な楽天家」だという。

―――あゝ、俺って「おとな」じゃね~な~(笑)。50代も後半になってるのに。

日本に「おとな」がいなくなったと著者は嘆いているし、それは作中でもかなり反映されている。遠間や娘の弥生は「おとな」の部類に入るのだろうが、弥生と同い年になるうちの娘と、遠間より年上にあたる僕の関係を見ても、どっちも成人していても振る舞いは「おとな」とはいえない。

国が悪いと批判するところはちょっと鼻につくが、「大人」が「おとな」でいることを難しくしている責任の一端は、国にもあるような気もするな。「おとな」でいるための余裕を誰もが失っているのではないのかとも思える。

などと責任転嫁しているだけなら楽だが、それだけでは自分の現状打開にもならないのだが、『草原の椅子』を読むと、「お前も少しは頭を冷やせ、人生の大事に対して、結局は感情で対処した人間は、所詮、それだけの人間でしかない」と言われているのかなと思える。

一時の感情で怒りをあらわにするのもいいが、「人情のかけらもないものは、どんなに理屈が通っていても正義ではない」と相手をあざ笑い、「それで正義だと思っているのなら結構、俺は人情を大事にして生きよう」と開き直るのもいいかなと思えてきた。人情のかけらもなく、理屈だけで各論を押し切ってそれで正義だと思っている人の声がまかり通っている組織にはあまり革新的なことは期待できないということだろう。

最後にもう1つ、上巻で富樫が言った「物を作るってことは、人間が生きるっていうことなんやなぁ」っていい言葉だな。このあたりの記述も僕には心に響いたな。自分自身の過去の選択への反省でもあるが。

人間が正直に生きるってことの根本には、物を作るってことが要としてあるんやなァって、商売もおんあじや。物を作ってる会社は、いざというときに底力がある。右の物を左に移したり、左の物を斜めに動かしたりして利鞘をかせいでる連中は、世の中の動きがちょっと変わっただけで、ころっと転びよる

また、そういう人々に光が当たる世の中になっていって欲しいなと思う。
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