『デザイン思考の道具箱』 [仕事の小ネタ]
デザイン思考の道具箱: イノベーションを生む会社のつくり方 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
- 作者: 直人, 奥出
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2013/11/08
- メディア: 文庫
内容(「BOOK」データベースより)【購入(キンドル)】
「イノベーション」は実は誰でも起こせる。これを商品開発はもちろん、製造、流通過程にまで広げ、さらには企業経営全体を刷新し、魅力溢れる商品を継続的に生み出す組織をつくり上げる。このコンセプトと手法が「デザイン思考」だ。GE、P&G、アップルなど海外の一流企業が続々成果を上げたノウハウの核を第一人者が徹底伝授。日本のモノづくりに革新をもたらした現場の教科書に、新章を増補した決定版。
ここ数カ月、頭を悩ませている大きな課題がある。昨年度、会社の新規事業アイデア募集に手を挙げ、僕の提案は審査を勝ち抜いて、なんとか採用の栄誉にあずかった。もともとこの新規事業の趣旨は、組織の枠を越えた斬新なアイデアを事業化しようというところにあった筈で、どこの部署にも落とし込めない、部署横断的に恩恵のある事業を、僕自身も提案したつもりだった。
ところが、ひとたび採択されると、予算管理を担う業務担当部署を決めろと主催者から言われた。もともとどこの部署にも落とし込めない事業を提案したつもりだったので、担当部署が必要と言われてもなんだかしっくりこない。しょうがないから関係しそうな部署に片っ端から打診したけれど、「なぜうちの部署が引き受けなければいけないのかわからない」とか、「人繰りがつかない。受け入れられる体制ができていない」とか、いい返答はどこからももらえず、僕のアイデアは宙に浮いた状態で既に半年が経過している。募集担当部署からは、ただ「早く決めろ」と言って来られるが、僕はこうして海外駐在に出てきてしまっているし、嫌がる部署を説得できる手段も限られている。
提案者、というか、タスクチームリーダーにカネを付ける仕組みでないと、結局組織論の部分で頓挫する。他の要因もあるにはあるが、これが主な理由で、だんだん自分の会社が嫌いになりつつある。特に、本書を読んだ後では、自分の会社は「創造性重視の経営」になっていないのではないかと感じる。
創造的なマネジメントをするためにもっとも障害となっているのは、実は日本の企業の特徴である事業部制であり、タテ割りの部門制度だ。(位置No.1299)
これからの経営において、事業部制などの社内事情にしばられた製品やサービスづくりをしていると、新しい商品をつくることができず、時代に取り残されることになるだろう。(位置No.1368)
さて、組織への恨み節はこれくらいにして、本書を購入した背景について少しだけ述べておく、実は、本書は購入したのは今から3ヶ月も前のことである。きっかけは、ブータンの学生と接していて感じた「自由な発想」の難しさにある。その文脈で最初に読んだのは藤原麻里菜『考える術』であり、1年前にも一度サラッと目を通していた『アイデアスケッチ』の再読だであった。さらに、その過程で、キンドルでも入手可能な手軽な本として、奥出直人『デザイン思考の道具箱』の存在に気付いた。読み物だから、購入した後、いつか読もうと思いながら3ヶ月を過ごしてしまった。
それをなぜ今読んだかというと―――特に理由はありません。積読状態を良しとしない意思の表れとしか言いようがない。
でも、結果的に、前述のような我が社の組織制度の問題も含め、僕自身の今抱えている課題に対して、示唆を与えてくれる1冊であった。
第1に、デザイン思考はブータンでもたまに耳にするけれど、今当国で進められているSTEM教育では見落とされている要素である。いったいどこが推進するのかはいまだによくわからない。民俗学や文化人類学はブータンではあまり重視されている学問でもないため、デザイン思考をブータンで形にするには相当な時間がまだかかるかもしれない。
デザインという行為が、いままでおもに美術系の大学で教えられてきたような形と機能を受け持つ狭い領域を超えて、ビジネス戦略を立案するための新しいアプローチとなりつつある。(位置No. 309)
かつてはエンジニアリングや技術や品質が競争力の中心であった。しかしデザイン主導のイノベーションを前面に押し出して競争力のある商品やサービスを開発するためにもっとも必要なのは、人びとの行動を観察する学問である民族学あるいは文化人類学であり、創造性である。(位置No. 319)
デザインと言う行為は、自分が普通に暮らしている日常世界を他者の目で眺めるところから始めて、何か新しいアイデアを思いついたら、それを表現する構成を考えて、さらに最終的なスタイルを決定するという作業のことである。(位置No.430)
豊かな先進国の若者は、ある意味単調な技術習得や科学実験をあまり好まない。豊かで平和な国に育った若者たちは頑張らない。その若者を「鍛える」のではなく、豊かさが育んだ感性や創造性など、よい面に注目しよう(位置No.511)
第2に、デザイン思考の方法論を以下の通り整理してくれている点である。おおよそ自分がイメージしていた順序である。その各々の具体的な実践についても解説があるが、諸々の制約もある中でデザイン思考を実践しようとするとき、外せない大枠がこのあたりで整理されているのはありがたい指針となっている。
IDEOのティム・ブラウンによれば、デザイン思考は次のような順序で実現される。
・フィールドで観察する。
・自由なアイデアをブレインストーミングを通してつくりだす。
・プロトタイプをつくって考える。
・物語をつくる(位置No.806)
伝統的にビジネススクールの教え方は、すでに終わったことを知識としてまとめ、それを分析するという手法を使うので、まだ存在しない事例、この世にありもしないことを構想して説得するということを教えることはできない。(位置No.815)
第3に、フィールドワーク(観察調査)の強調である。ここではマーカーで下線を入れた箇所は具体的にはない。その重要性は理解したが、正直言うと、フィールドワークに充てている時間が意外と少ないのだなというのが驚きであった。できれば1日24時間、最低1週間ぐらいの参与観察を僕はイメージしていたが、本書の描き方はそうではない。短期集中型でその後すぐに調査結果のレポート(「ラップアップ」)を描くとなっている。1週間ぐらい参与観察しても、毎日フィールドノートを描くのは必須だから、違いは単に期間の長さだけなのかもしれないが。
第4に、プロトタイプ思考について詳述がなされている点である。しかも、ユーザー参加は僕が再三強調しているポイントでもあるし、パーソナル・ファブリケーションに至る趨勢も、僕らの活動はそれを踏まえたものにはなっていると思う。今、僕は自分が関わっているプロジェクトで立ち上げられるファブラボのビジネスプランの策定で頭を悩まされているが、本書のこのあたりの記述は、新しいラボのビジョンとして、踏まえておく必要があると強く感じた。
つくるものがハードであろうともソフトであろうとも、ユーザーの行動を十分に把握して顧客が望む製品やサービスを開発するためには、顧客を巻き込んだ形で作業を進める必要がある。(位置No.2253)
プロトタイプをつくる目的は、クライアントや上役を説得することではない。つくることで考える(= build to think)ためである。これは、考えたらまずつくってみるということである。(位置No.2262)
まずつくってみる。そこが何よりも大切なのだ。つくったものはたいてい失敗する。しかし、その失敗から多くを学んで素早く成功に結びつける。これがプロトタイプ思考である。(位置No.2271 )
プロトタイプというと、本格的なものを想起するかもしれないが、段ボールとか木とか粘土などでつくれるのだ。木、紙、段ボール、粘土などで考えるプロトタイプのことを、ダーティプロトタイプと呼ぶ。ある程度考えたら、すぐプロトタイプをつくってまた考えるという作業によって、イノベーションが可能になっていく。(位置No.2374)
ワーキングプロトタイプづくりにも大きな変化が訪れている。巨大なメインフレーム・コンピュータがパーソナル・コンピュータに置き換わっていったように、コンピュータ制御の工作機械の価格が、ここ10年下がり続けているのだ。プロトタイプをつくりながら考えるという作業を、簡単におこなうことができる環境が登場している。パーソナル・コンピュータという言い方にあわせて「パーソナル・ファブリケーション」と呼ぶこともある。
MITビット・アンド・アトムズ・センター所長のニール・ガーシェンフェルドが2005年に出した『ものづくり革命』という本で述べているように、MITでもプロダクトやサービスをつくるということが簡単におこなわれるようになって、いろいろと装置をそろえ始めている。「プロトタイプをつくって考える」「削って考える」プロダクトやサービスづくりの基本を、デジタルの感覚をもちながら取り戻そうということを様々なところが始めているのだ。(位置No.2542)
新たにMITメディアラボの所長に任命されたフランク・モスは、技術革新が生まれる可能性は、企業の役員室や起業家のガレージより、家庭のリビングルームからのほうが高くなると話している。とりわけ、「これまで新技術の受け手だった消費者の方から革新が生まれるようになる」とモスは述べた。(位置No.2551)
工場設備は非常に高いものだという意識があるが、実はそれほどでもないのだ。そのおかげで、我々はプロトタイプをつくる現場を自分たちの手元に置き、「プロダクトやサービスをつくって考える」ということができるようになった。大学の研究室では学生たちに「ハンダごてと旋盤で哲学しろ」と言っている。これが非常に効果的である。(位置No.2572)
CADソフトや3Dモデリングソフトで形状を定義して、それを聞きに送ることで加工をおこなうことができる。この機器を使って研究室では比較的精密なガジェットをつくってきた。精巧につくることができるので、複雑なインタラクションを行うプロトタイプが製作できる。また数値制御することができるので、非常に美しい曲線を使ってプロトタイプをつくることができる。(位置No.2581)
第5に、「コラボレーション」という言葉が本書では使われているが、上述のラボでは、ユーザーとクリエイターが一緒にデザイン(共創)する環境を作っていくことが求められる。これも上述のビジネスプランとも関連するが、ミッションを語る上で、この共創の場の提供は、触れないわけにはいかない重要なキーワードになると感じた。
創造的な組織をマネジメントするプラクティスとは、共同で作業をする手順を決めることではなくて、共同で作業をする時間をつくりだすことに他ならない。ある一定時間以上、共同でお互いのリズムを確認しながら作業をすることで、コラボレーションが可能になる。したがって、コラボレーションのプラクティスとは時間の演出能力なのである。(位置No.2625)
プロトタイプ思考で何度もつくって考えるには、何度もつくって考えることのできる場所が常に必要となる。私が教えている大学の研究室のそのための場所には、道具も材料もそろい、「創造の実験室」と呼んだりしている。(位置No.2974)
創造性のプラクティスも、学ぶ場があり、身体的に覚えることができれば、覚えた人が次の人材を育てていくことができる。創造性が、個人の問題ではなくマネジメントの問題であり、オフィスのデザインの問題であるというのは、コラボレーションのプラクティスをイノベーションの中に組み込んであるからである。プラクティスとしてモノづくりを学べる場所があれば、モノづくりは限られた人たちの「技」ではなくなる。(位置No.2994)
デザイン思考の方法論の概略をつかむにはいい本だと思う。特に、フィールドワークやプロトタイプに関する記述は、とても参考になった。ただ、ここで述べられている道具を活用した具体的な活動事例が詳述されていたらよかったかもしれない。この製品を生み出すために、いつどこで誰が何をやったのかより具体的な事例として。あまり製品名が具体的過ぎるのは機微に触れるからだろうが、そうした具体例がないのが本書の理解を少し難しくしている。道具の説明はわかった。でも、例えばフィールドワークに出るとして、1人の「師匠」に付くフィールドワーカーは何人いたのかとか、何時間ぐらい張り付いたのかとか、よくよく読むとわからないことが散見され、これを読んで実践しようと思った時に、困ってしまうケースがありそうな気がする。
そのあたりは試行錯誤して穴埋めしていけということなのかもしれない。物事は一発では決まらない。早めにどんどん試行して、失敗して、反省の中から次に生かす教訓を導き出す、そういう形で実践の中から学んでいくしかないのかもしれない。
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