『ナオミとカナコ』 [奥田英朗]
内容(「BOOK」データベースより)【MKレストラン文庫棚から拝借】
ナオミとカナコの祈りにも似た決断に、やがて読者も二人の“共犯者”になる。望まない職場で憂鬱な日々を送るOLの直美。夫の酷い暴力に耐える専業主婦の加奈子。三十歳を目前にして、受け入れがたい現実に追いつめられた二人が下した究極の選択…。「いっそ、二人で殺そうか。あんたの旦那」復讐か、サバイバルか、自己実現か―。前代未聞の殺人劇が、今、動き始める。比類なき“奥田ワールド”全開!
今月に入ってから紹介している本には、ティンプー市内のMKレストランの文庫棚から借りてきた本が多い。今月4冊借りてきているが(うち2冊は上下巻)、なぜかその中に奥田英朗作品が2作品含まれている。この棚に日本の書籍を寄贈された方の中に、奥田英朗ファンがいらっしゃるのは嬉しい。できればMKレストランでお目にかかって、ビールを飲みながら奥田英朗を語ってみたかった。
さて、以前ご紹介した『サウスバウンド』が上下巻で合わせて600頁超だったのに対して、今回読んだ『ナオミとカナコ』は1冊で600頁弱という分量だった。後者も直美が主人公の前半と、加奈子が主人公の後半とできれいに分かれているので、上下巻に分けるという手もあったのだろうが、出版社が違うとそのあたりの編集方針も異なるのだろうか。
1990年代のハリウッド映画『テルマ&ルイーズ』を思い出しながら読んだ。この映画の詳細はあまり覚えていないのだけれど、何かの拍子に人を殺めてしまった2人が、米国西部を逃避行して、最後はグランドキャニオンかどこかで、乗っていたオープンカーごと谷底へ向かってダイブするというシーンで終わっていた。
そういうエンディングに持って行ってしまうのかなと予想していたので、ハラハラしながらページをめくる手がなかなか止まらず、一気に最後まで読み切った。予想とは異なるエンディングだったけれど(どちらにも転びうる展開で、作者自身も最後の1頁に至るまでどちらにするか決めかねていたかもしれないような展開だったけれど)、余暇時間を過ごすために読む小説としてはかなり満足度のある終わり方だったと思う。
でも、『サウスバウンド』の時にも書いたが、娯楽作品として息抜きに読むには面白い作品ではあるものの、作者としてこの作品で何を訴えたかったのかはよくわからなかった。この作品のベースになった、作者が昔見た原風景とはいったい何だったのだろうか。ちょっと想像がしにくい。
中国人との接し方?日本の大都市では広がっていると思われる中国人コミュニティの実態?それとも興信所にできることとできないことの峻別?警察や大銀行はどこまでできてどこからはできないのかという権限の理解促進?百貨店の外商部が相手している有閑マダムのライフスタイル?―――それぞれ僕自身もあまり知らない世界の描写だから、読んでいて参考(?)になるところもあったのだけれど、ただただ「面白かった」という以上の感想が、ここでは書きづらいなというのが正直なところだ。
読み終わってスカッとしたんならそれでいいではないか―――そう自分に言い聞かせることにしようか?
今日は日本は秋分の日で、こちらも別の祭日である。僕のこちらでの勤務形態は六勤一休で、先週のようなティンプー限定の祭日も、所属先が地方の大学であるために僕には適用されず、在宅勤務で過ごした。でも、今日は全国一律の祭日で、僕は久しぶりに仕事のことをまったく考えないオフを過ごしている。
だから超長編小説でも一気に読めたのだが、その本から何を得るかを予めはっきりさせずにだらっと読み始めてしまったため、最初の数十ページはまったくエンジンがかからず、本当にこれで時間を潰していいものなのかと自問も始まってしまった。考えてみれば、東京で住んでいた頃にも近所の図書館で借りて読めたはずの奥田作品にあまり手を出せてこなかったのは、オビなどに描かれているあらすじになかなか共感できなかったというのが大きい。
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