『地球公共財』再訪 [仕事の小ネタ]
内容(「BOOK」データベースより)【読んだわけじゃないので…】
国境を超えて広がる問題にどう対処すればいいのか?環境汚染や金融不安、伝染病、安全保障など、地球規模に影響を及ぼす課題の克服には「地球公共財」の概念が不可欠だ。セン、サックス、スティグリッツなど最先端の知性が21世紀の国際協力像を論ずる新時代のテキスト。国連開発計画(UNDP)報告書抄訳。
僕が某私大で修論のテーマを決める際、いちばんしっかり読んだ文献である。このブログを書き始める以前に読了しているので、ブログで取り上げるのは初めてのことになる。
僕はお陰で修論でも国際公共財を取り上げたのだが、修論を提出して以降、ふだんの仕事でその時の修論執筆が役に立ったという局面は一度しかない。二国間援助で国際公共財支援を行うのはかなりの調整能力が求められえるし、当時の僕自身の論点も、むしろ国際機関向けの拠出を増やせというところにあった。
ところが、ここ1カ月ぐらいの間に、僕は、ひょっとして今僕が関わろうとしていること自体が国際公共財の生産活動なのではないかと思い始めた。きっかけは某ウェビナーにおける韓国援助機関KOICAの研究員の方のプレゼンだった。
その中で、この研究員は、「オープンソース・オープンデータ」を「国際公共財」と捉えておられた。久しぶりに「Global Public Goods」という言葉を聴いたなと思う一方、そうか、「オープンソース・オープンデータ」が「国際公共財」だというのなら、今世界のファブラボやメイカーコミュニティのネットワークにおいて、医療器具や障害者自助具の設計データをオープンソースにしようとする動きも、国際公共財供給のイニシアチブとして捉えられるのだ。そのことに気付いた。
もっと言えば、InstractablesやWikifactory等で推奨されている、ハードウェアの製作プロセス自体のオープン化の動きも、国際公共財なのだ。しかも、あまり援助に頼らない、民間レベルで進められている国際公共財供給なのだ。
ハードウェアのオープンソース化については、論文も結構出てきている。少し読み始めているが、「Global Public Goods/International Public Good」という言葉が一緒に使われている論文にはまだ出くわしていない。また、ハードウェアのオープンソース化を支援する動きは、ドイツや英国、米国の援助機関には見られるが、日本の援助機関ではほとんど聞かない。
ひょっとしたら、昔かなり読み込んだ国際公共財絡みの論文と、今起きている現象を組み合わせたら、今からでも何か書けるのではないか―――そんな気もするが、その一方で、僕は自分の頭の中にある「やることリスト」の優先順位を入れ替え、論文を書くことには今は重きを置いていない。
もっとはっきり言えば、7、8年ほど前から盛んに応募してきた大学教員ポストへの応募を、もう行わず別の道を進む決心がようやくできた。だから、細々と続けてきた母校での非常勤講師の仕事も今年度いっぱいで終了とし、今の仕事にもっと邁進するつもりでいる。上で述べたようなことは、自分が行うアドボカシー活動の中では論点として用いるけれど、学術論文として書くつもりは今のところない。
僕自身が今取り組んでいることは、機会があればいずれまた単行本にまとめられたらいいと思うが、その時の理論の箔付けに、「国際公共財」という言葉を改めて使わせてもらおう。
自分の母校での来年度の非常勤講師は辞退する旨意思表明を行った夜だが、その一方で、自分が書いた修士論文は今一度読み返してみたくなった夜でもあった。
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