『人新世の「資本論」』 [持続可能な開発]
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人類の経済活動が地球を破壊する「人新世」=環境危機の時代。気候変動を放置すれば、この社会は野蛮状態に陥るだろう。それを阻止するためには資本主義の際限なき利潤追求を止めなければならないが、資本主義を捨てた文明に繁栄などありうるのか。いや、危機の解決策はある。ヒントは、著者が発掘した晩期マルクスの思想の中に眠っていた。世界的に注目を浴びる俊英が、豊かな未来社会への道筋を具体的に描きだす。
4月から5月にかけて、どこの書店に行っても店頭平積み台にデーンと陳列されていた話題の書である。個人的な印象だが、このところやたらとマルクスの『資本論』が話題に上ることが多いと感じていて、この際だから五度目の海外駐在に併せて読み込もうと思っていた古典の中に『資本論』も加えようかと考えた。しかし、マルクス『資本論』は岩波文庫版でも9巻もある。どうしても食指が伸びず、それなら代わりにマルクス解説本でお茶を濁そうと考え、駐在生活に携行する本の中に、この話題の書を加えた。
結果的にはこれで良かったと思う。マルクスも、『資本論』のような公刊されている著作物以外にも、誰かに宛てた手紙とか、その下書きとか、メモとか日記とか、読んでいた本とか、他の人がマルクスについて語っている口伝とか、その思想の全体像を理解するにはいろいろな資料があると思う。また、『資本論』第1部が出たのは1867年だが、第2部、第3部は、1883年にマルクスが没した後に、エンゲルスが遺稿をまとめて著したものだそうである。ということは、第1部発刊からの16年の間に、マルクスも当初『資本論』で書いたことから、修正したいところもあったかもしれない。エンゲルスによるまとめがあったとしても、まだカバーしきれない遺稿などは存在したかもしれない。それらを著者なりにまとめて、「人新世」と呼ばれる現代を生きる僕らに示したのが、『人新世の「資本論」』ということになる。
ここで示唆するように、『資本論』で書いたことから、晩年に至るまでのマルクスの思想にも、変遷が見られるという点に著者は注目し、その変遷して晩年に行き着いたマルクスの思想を、著者は「脱成長コミュニズム」という言葉で表現している。
ここで本書の内容について多くを語ることは難しいけれど、実際に僕の周囲にいる若い世代の人々が、務めていた会社を辞めて、コミュニティビジネスやまちおこしの取組みに軸足を移していくケースを頻繁に見かけるようになったし、それなのにそのコミュニティを超えた広いネットワークとつながって、トークイベント等で堂々と自らの取組みを語って連帯を呼び掛けておられたりする姿も見かけるようになった。
自分の持つ技術や知見を生かしてビジネスでの成功を指向し、実際結構儲けておられる若い人もいる一方で、金銭的にはそんなに儲からなくても、コミュニティの中に身を置いて、隣人や自然とのつながりの中で金銭だけでは測れない豊かさを指向されている若い人も大勢いる。そういう、後者の方向を指向されている人々にとっては、本書は背中を押してくれる1冊だと思う。
また、本書では、注目点は僕とは少し異なるけれどもバルセロナのケースが出てきたり、デトロイトのケースも出てきたりする。
バルセロナの方は市民自治のケースが大きく注目されているが、僕はバルセロナが、生産手段の共有化を図って市域で消費するものは域内で生産するという取組みを高度に進めているという点で注目している。そして、その僕の注目ポイントも、著者の論点とは合致していると思っている。
デトロイトの方は、スラム化した市の中心部での有機農業を通じたコミュニティ再構築のケースだが、そうか、有機もグローバルに考えていたら資本主義から逃れられないかもしれないが、コミュニティ内での有機はコミュニティ形成に必要な市民間の会話を作るきっかけにもなるのだと思った。
著者は、SDGsを「大衆のアヘン」と呼んで、SDGsの取組みとは距離を置く。僕も、SDGsがビジネスチャンスだと盛り上がっている企業には冷めた視線を送っていた1人なのだが、少しばかり感情的な要素もある僕自身の企業観よりは、本書における著者の論理的な批判の方が説得力はあると思う。
とはいっても、大企業主導で、EVだ、太陽光だ、DXだ、IoTだと言っている流れは、そんなに大きくは変えられないだろうと思う。急いで読み進めたこともあって、本書では著者が企業はどうすべきかという点にはさほど具体的な示唆はしていなかったように僕には思えた。でも、本当に著者の論点がわかる人は、会社勤めを辞めてコミュニティに入っていったような人だ。また、コミュニティに入ってもリモートで起業しているような人や会社勤めを続けているような人もいるかもしれないが、そういう人々が企業のあり方を大きく変えていくリーダーシップを発揮できるのか、僕にはよくわからない。
そうした大企業に依存している政府も、そんなに大きくは変わっていかないだろう。ドイツには可能性があるかもしれないが、同じことを日本ができるとは限らない。
ただ、自分としては著者の示す方向を目指したいと思う。著者は、専門家任せではなく、市民が民主的・水平的に共同管理に参加していける共有財(「コモン」と著者は呼んでいる)の領域をどんどん拡張していくことが必要だと主張する。また、アンドレ・ゴルツの晩年の論考を援用する形で、「コミュニケーション、協業、他者との交流を促進」する「開放的技術」を、「人々を分断し、利用者を奴隷化し、生産物ならびにサービスの供給を独占」する「閉鎖的技術」と対比し、「開放的技術」の適用領域を増やしていくことが求められると主張している。僕はこのあたりの記述に、僕がこれから関わろうとしているプロジェクトとの親和性を感じる。
マーカーで線を引きまくった。多分、自分自身がロジカルに表現できない部分は、本書を振り返って、著者の論点に助けを求めることにもなると思う。
2021-05-29 14:50
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