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『光秀の定理』 [読書日記]

光秀の定理 (角川文庫)

光秀の定理 (角川文庫)

  • 作者: 垣根 涼介
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2016/12/22
  • メディア: 文庫
内容(「BOOK」データベースより)
永禄3(1560)年、京の街角で三人の男が出会った。食い詰めた兵法者・新九郎。辻博打を生業とする謎の坊主・愚息。そして十兵衛…名家の出ながら落魄し、その再起を図ろうとする明智光秀その人であった。この小さな出逢いが、その後の歴史の大きな流れを形作ってゆく。光秀はなぜ織田信長に破格の待遇で取り立てられ、瞬く間に軍団随一の武将となり得たのか。彼の青春と光芒を高らかなリズムで刻み、乱世の本質を鮮やかに焙り出す新感覚の歴史小説!!
【コミセン図書室】
NHK大河ドラマ『麒麟がくる』は、先週末に最終回を迎え、今もまだその余韻が残る報道がネットメディアを賑わせている。かく言う僕も、今週末に土曜の再放送を見て、本能寺の変に至るまでのプロセスと、本能寺の変そのものの描き方のすばらしさ、そして美しさを堪能した。また、巷の話題にもなっていた、「光秀=天海僧正」説を匂わせるような仕掛けを確認し、それでも断定的なエンディングにせず、視聴者のイマジネーションにゆだねるという終わらせ方に、ああドラマってこれができるからいいよなという、脚本の面白さを改めて感じた。真実なのかどうなのかもわからないで後世に伝わっている定説に基づき、そこから外れすぎると「史実と違う」と目くじらを立てるのもせんなきことだ。最終回は、ふだん大河ドラマを見ようともしない妻や娘までが見て感動していた。

テレビドラマにおける脚本家と同様に、歴史小説作家もまた、歴史上の出来事について読者のイマジネーションをどれだけ掻き立てられるかが、その腕の見せどころでもある。織田信長、本能寺の変、秀吉の中国大返し、山崎の合戦といった大枠さえ逸脱しなければ、あとの描き方は作家の自由だ。だから、光秀の周囲にどのような人がいたのか、光秀がどのように彼らと接していたのかなどは、自由に描いていい範囲に入ってくる。

で、久々に読んだ垣根涼介のこの作品も、光秀ものだから面白かった。光秀が信長家臣団に加わってからの実際の合戦のシーンは、将軍義昭を擁して信長が京に上る途中で起きた観音寺城攻めしかなく、光秀と絡んでくる法師「愚息」と兵法家「新九郎」の信長との絡みも、この観音寺城攻めで光秀隊が取った策の根拠を巡るものしかなかった。また、全体を通じて主人公は愚息と新九郎の2人であり、光秀は2人の目から描かれる部分の方が圧倒的に多い。光秀の初登場のシーンでは光秀に惹かれるもの、きらりと光るものが感じられるのだが、話が進むにつれて、がんじがらめのしがらみの中で光秀が窮するシーンの方が増えてくる。歳を経るにつれて剣の腕前が上がり、達人の域に入っていった新九郎とは立場が逆転してしまう。挙句は、観音寺城攻め絡みのエピソードの後はいきなり秀吉の韓攻めにまでワープしてしまい、光秀はいわゆる「ナレ死」である。

こういう、市井の人に歴史上の大きな出来事を語らせる、しかも変から15年も経過してから当時を回顧して残った人々に語らせるという手法は、「その手があったか」と目からウロコだった。

そして、目からウロコといえばもう1つ。この時代、室町幕府の将軍の剣術指南役というが吉岡憲法だったという話。言われてみればそうだと気づいた。宮本武蔵をかじっていれば当たり前のことなのだが、織田信長や明智光秀の出てくる天下統一に向けた興亡のストーリーに、吉岡一門がどう絡んでいたのかはブラックボックスだった。当時京にいた「戦で役に立つ」人々が、どう過ごしていたのか、信長や光秀、さらには秀吉らにどう関わっていたのか、考えると楽しくなった。

そして最後に細川藤孝。『麒麟がくる』でも光秀を裏切って秀吉につくが、本作品でも同様だった。この人のサバイバルに向けたセンスは素晴らしいとは思うが、なんか嫌な人物だった。最後の最後に、愚息と新九郎は藤孝を殺そうと試みるのだが…。そこは実際に読んで結末をご覧あれ!


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