『まち』 [読書日記]
内容(「BOOK」データベースより)
尾瀬ヶ原が広がる群馬県利根郡片品村で歩荷をしていた祖父に育てられた江藤瞬一。高校卒業とともに上京し、引越の日雇いバイトをしながら荒川沿いのアパートに住んで四年になる。かつて故郷で宿屋を営んでいた両親は小学三年生のときに火事で亡くなった。二人の死は、自分のせいではないかという思いがずっと消えずにいる。近頃は仕事終わりにバイト仲間と他愛のない話をしたり、お隣の母子に頼まれて虫退治をしたり、町の人々に馴染みつつあった。そんなある日、突然祖父が東京にやって来ると言い…。じいちゃんが、父が、母が、身をもって教えてくれたこと。
自分の読書記録管理のために長年利用している読書メーターで、最近「おススメの本」に挙げられていたので、コミセン図書室に先週本を返却に行った時、書架で物色して見つけた本。先日ご紹介した宮本輝『灯台からの響き』とともに借りたのだが、宮本作品の余韻を感じていたところにこの作品というのは、かなり分が悪い気がする。
なにせこちらは57歳のオジサン読者である。62歳で板橋在住の同じオジサンが主人公の作品ならともかく、『まち』の主人公の瞬一君は、僕の半分しか生きてない23歳の青年で、僕には土地勘がまったくない江戸川区平井在住である。生活圏がまったくかぶらないから、共感が得にくいのである。その点では著しく『まち』に不利なタイミングでの読書だった。その点は申し訳ない。
展開としても盛り上がりが少なく、特に序盤の展開がゆるやか、かつ登場人物のプロフィール紹介が詳しすぎて、なんでそこまで詳述しなければいけないのか、なんで直前までの話の展開の次がこの話なのかと、戸惑うことが多かった。終盤になってそこまでに播かれていた伏線はほとんどが回収されたので、読み終えればそれなりの満足感は得られると思うが、50代後半のオジサンが云々できるような小説ではないと思う。
ただ、地方出身で上京してきた青年が主人公の話というと、どうしても吉田修一『横道世之介』と比べてしまう。そして、そうすると、『横道世之介』の方がいいなぁと思ってしまうのである。吉田修一作品はオジサンでも読めるが、小野寺史宜作品がターゲットにしている年齢層はもっと若く、そして狭い年齢層なのではないだろうか。
逆に言えば、10代や20代の読者には、この作品の世界観は合っているのではないかと思える。
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