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『Voluntary Architects' Network』 [仕事の小ネタ]

Voluntary Architects' Network──建築をつくる。人をつくる。

Voluntary Architects' Network──建築をつくる。人をつくる。

  • 出版社/メーカー: INAXo
  • 発売日: 2010/07/10
  • メディア: ペーパーバック
内容紹介
建築家・坂茂が立ち上げた「Voluntary Architects' Network」は、20世紀末から世界で漸増する地域紛争や自然災害の復興支援を行なってきました。《紙の教会》を建てるきっかけになった1995年の阪神淡路大震災から、2010年のハイチ地震復興活動までを貫く坂茂の「Voluntary Architects' Network」による活動が、21世紀の新たな建築家像を描き出します。本書では、坂茂+慶應義塾大学SFC坂茂研究室による約20の活動を紹介・解説するとともに、その活動に共鳴するブラッド・ピット氏(俳優、カトリーナ被災地復興支援組織「Make It Right」主催)、北山恒氏(横浜国立大学Y-GSA、2010年ヴェネツィア・ビエンナーレ建築展日本館コミッショナー)との対談、その他資料を収録。「紙の建築家」「行動する建築家」と呼ばれてきた坂茂の核心に迫る一冊です。

今月に入り、住んでいる街の生涯学習センター主催の市民向け講座「世界の都市から学ぶ」というのに申し込んだ。受講料3000円も払ったけれど、1回目の台湾編を受講して、3回目のバルセロナ編では僕が期待していたような話が多分聴けないだろうと思ったので、通うのを辞めてしまった。

最も聴いていてつらかったのは、新型コロナウィルス感染拡大が始まったばかりの台湾に講師の先生がご夫妻で旅行されて、現地の人々ではなく建築物の写真をたくさん撮って来られて、それを見せられたことだ。このブログでも時々書いているが、僕も結婚25周年の今年は、妻と台湾旅行しようと考えていた。しかし、結局実現しなかった。2月は妻が手術入院したし、術後の経過を考えれば行けても3月下旬か4月だったが、その時期はそもそも渡航自体がNGだったから。

ただ、それだけがその後の欠席の理由だったかとそれも違う。僕は建築物とはそれを利用する人があっての建築物だと思っているが、その地域の人々への言及がほとんどない、単に建築物のデザインだけを淡々と見せられたプレゼンのあり方にも途中で嫌気がさしてきたのである。地元の人たちはそのデザインをどう思っているのか、利便性はどのようにいいのかといったことだ。

それでも、講演を聴いて、建築物はそれぞれ設計した建築家によって特徴があり、見れば誰が設計したのか想像がつくという講師の先生のお言葉は、そうなのかと気付かされた。その中の1つが、坂茂さんの設計した台南市美術館の2号館だった。

素人にはどこに坂茂の特徴があるのかよくわからなかったが、本書を市立図書館で借りてページをめくってみたらよくわかった。梁の部分は確かに特徴があるかもしれないし、そして、もしそれが防水コーティングされた紙製パイプで組み立てられたりしていたら、もっと坂茂だといえる。

坂茂の説明は、ウィキペディアでも十分詳しいので、ここではあまり書かないけれど、ウィキペディアにあった、「マイノリティ、弱者の住宅問題に鋭い関心を寄せ、ルワンダの難民キャンプのためのシェルターを国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR)に提案し開発・試作した」というくだりあたりは、よく承知しておく必要がある。難民用のシェルターの建築資材の選定の難しさは、本書の冒頭でも語っておられる。

その頃ルワンダの難民キャンプで一番問題になっていたのは、UNHCRが難民に4m×6mのプラスチックシートのみを与え、それでシェルターをつくるために難民たちが木を切ることだったのだ。200万人以上の難民が木を伐り、大きな森林伐採、環境問題へと発展してしまったのである。UNHCRはアルミパイプを支給したが、アルミはアフリカでは高価なため、難民はそれらをお金のために売ってしまうので、森林伐採は止まらなかった。そこで、ノイマン氏は僕の提案する紙管を使えば売られることはなく、また塩ビパイプのように後で捨てられてもゴミ問題とならないと考え、僕をコンサルタントとして雇い、紙管シェルターの開発が始まった。(p.6)

本書は基本的に、坂茂が慶応義塾大学SFCに在籍していた2000年代に、坂研究室が取り組んだ作品の数々を、実際の作品とその制作工程の写真、それに数々のスケッチで描いている本だ。しかも和英併記になっているので、おそらく海外での販売も想定されていたのだろう。僕はあまりこういう建築とかアートとかの本を読まないのでよくわからないが、こういう編集の仕方の本は結構あるように思う。

でも、どうしてそのスケッチが挿入口絵として採用されたのか(中には試作段階のデザインも結構多い)、また設計開始から完成までにどれくらい時間がかかったのか、それは展示期間が終わるとどこに持って行かれるのか(今ならどこで見られるのか)、といったことを本当は知りたいのだが、そういうことには言及がない。ひょっとしたら、わかる読者であればその辺のことは述べられなくてもわかるということなのかもしれないが。

収録されている作品群への言及はそれくらいにして、本書には、「建築をつくる。人をつくる。――ルワンダからハイチへ」というサブタイトルが付いている。この「人をつくる」という部分では、北山恒との対談の中で、坂は結構印象的なことを言っていて、何カ所か付箋をつけた。本書の紹介の最後に、いくつかの引用をここで挙げておく。

◆◆◆◆

僕は、アメリカでよい教育を受けることができたと思っていますが、教育をしてくださった先生に何の恩返しもできていなかった。唯一できることは後輩に対して教えることだと思いましたし、良い教育によって今の自分ができたという恩恵をつくづく感じていますから、その意味で後進の教育は、建築家にとって重要な責任ではないかと思ったのです。もちろん、教育だけする人もいますが、やはりプロフェッサー・アーキテクトといいますか、作品をつくりながら教育活動をする人という意味で北山さんを尊敬していました。(p.44)

北山―――現在、横浜国大で、(中略)Y-GSA(Yokohama Graduate School of Architecture)という徹底した建築家教育をしています。その建築家教育はテクニックではなく、全人格的教育であって、生き様を見せることが必要なのです。建築を何のために、誰のためにつくっているのかということを理解して教えていかないと、テクニックだけになってしまう。建築は社会をデザインしているわけですから、どのような社会にしたいかという信念がないと建築は教えられないと思うのです。
坂―――特に学生がコンピュータを使うようになってから、テクニックや形にとらわれる傾向にありますね。(p.44)

ゼミ制度は世界でも日本にしかありません。教員が自分のテーマを持っていて、それに興味を持った学部から博士までの学生がゼミに在籍する。そこで長期的なプロジェクトが行なえるのはとても良いことだと思います。僕は災害支援の仕事に特に力を入れてきましたが、いつ災害が起こるかわからないので日頃から準備しておかなければならない。こうしたことは唯一大学のゼミで行なえるのです。日常からフルスケールでものをつくる訓練をさせて、地震や津波が起きればすぐに現地に連れて行って活動する。このような活動がだんだん積み上がっていって成果になる。研究室のカラーのようなものができて、学生が絶えず訓練される。このシステムは日本にしかありません。ほかの国の大学にもスタジオがありますけれども、1セメスター限りですから、経験を積み上げていくことができないのです。(p.48)

僕も学生からVANに入りたいという相談をよく受けるのですが、常駐するメンバーがいるわけでもないのです。そのような心掛けは良いけれど、僕は彼らに「その前に建築家として力をつけなさい」ということにしています。建築が社会的責任を担うことが重要だと気づき、組織を探して入ろうとするのだけれど、建築家としての力がなければ役に立たないのです。ですからまずは、設計事務所などで建築家としての自分を確立してから戻ってこいと言っています。僕もUNHCRに所属していたのでわかるのですが、国連の組織も状況は似ています。世界のために役立ちたいと思う人々は国連に入りたがるのですが、大卒で入ったとしても下働きばかりで上には絶対上がれないのです。組織の上の人たちはNGOのトップや大学の教員で、外部から呼ばれてくるのです。国連の新人スタッフJPO(Junior Professional Officer)も上にはほとんど上がれない。ですから、国際的な組織に参加したいのであれば、まずは他所で建築家としての能力を持っていないといけない。(p.52)

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