SSブログ

『道誉と正成』 [読書日記]

道誉と正成

道誉と正成

  • 作者: 安部 龍太郎
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2009/08/05
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
時は鎌倉末期。後醍醐天皇率いる軍勢が挙兵し、倒幕の気運が高まっている。強いものにつく変節漢とののしられても己の道を貫いた「バサラ大名」佐々木道誉。天皇への忠節を貫き、華々しく散った愛国の士ともてはやされる「悪党」楠木正成。しかし、二人には意外な共通点があった…。未来を予見し、この国の運命を決した両雄の選んだ道は―? 南北朝の真実に迫る長編小説。

NHK-BSで再放送中の大河ドラマ『太平記』では、先週から今週にかけて、湊川合戦が描かれている。ずっと足利尊氏主人公で話が展開してきているが、この2週にわたっては武田鉄矢演じる楠木正成に主人公が交代している。河内国に引っ込んで農作業に従事していた正成が帝の命によって京に召喚され、九州から京奪還を目指す尊氏を迎撃せよとの勅命に対し、新田義貞を切って尊氏と手を結び、尊氏に武家政権樹立を認めて公武併存を図れと提言する。その諫言が後醍醐天皇に聞き届けられないとわかると、死を覚悟して湊川に出陣していく。

このあたりの展開は、南北朝時代に多少詳しい人には常識なので、小説だからと言って大きく変えようがないが、そうした大枠の中で、それでもグレイの部分をうまく用いて、自分なりの解釈でストーリーにエンターテインメント性を持たせる―――それが歴史小説の醍醐味であり、作家冥利に尽きるところでもある。この時代でいえば、「グレイな部分」としては幾つか挙げられる。
◆大塔宮護良親王は本当に足利直義の命で鎌倉で殺されたのか?
◆楠木氏の由来は? 正成の前半生は?
◆天皇の取り巻きの公家連中の話し言葉は?
◆楠木正成と弟正季、足利尊氏と弟直義、兄と弟との性格や戦略性、武芸の練達度の違い。
◆佐々木道誉は足利軍九州入りの際、どこにいたのか? 湊川合戦での彼のポジションは?


なるほど、こういう解釈も成り立つのねという、歴史小説の面白さを味わえた、それが『道誉と正成』であった。2人が登場する歴史小説はいくつか読んだが、ここまで連携しているのは初めてで、そして新鮮だった。考えてみれば、近江と河内を拠点にしていた2人に接点があったという可能性は、河内の楠木が東国の足利と心を通じさせて連携するというような話よりは必然性は高いと思うし、倒幕を目指して畿内で連携していた正成と護良親王の絆の強さも、たとえ後醍醐天皇と護良親王の親子関係がうまくいっていなかったとしても、正成からすれば宮寄りの立場で行動をとったとしても不思議ではない。

そう、この作品のキーパーソンは護良親王である。作品の舞台の同時代性を考えたらこの前読んだ『義貞の旗』とどうしても比べたくなるが、両者に共通するのは、この護良親王の描き方、その影響力だろう。それに、戦は下手だが謀略気質を持った足利直義と、政事への強い執着によって融通を失った後醍醐天皇を絡めていき、護良親王の途中退場につなげていく展開も、両作品では変わらない。

面白いのは、両作品での新田義貞の描かれ方。両極端だった。『義貞の旗』の義貞は、この時代に1人だけ江戸時代から松平忠輝あたりがワープしてきたのではないかというような浮いた感じで、違和感がひどかったが、『道誉と正成』の方は常識的な義貞像であった。そして正成に関しては、前者においてはすごく「普通の人」感を出して義貞と対照的な描かれ方だったが、後者は主人公の1人であり、確固たる意志を持って活動的な人物として描かれていた。

にしても、この正成、竹ノ下合戦にも出没するは、奥州多賀城まで出向いて北畠父子と面会するは、備中にまで出向いて児島高徳とも連携するは、動き方がやたらと華々しい。義を貫いた武将というのはもう少しどっしりと畿内で活動していた人なのではないかと勝手に僕は思っていたが、こんなに海を利用して行動範囲が広かった正成というのは初めてで、新鮮な感じがする。

ということで、歴史エンターテインメント小説として読むと、なかなか面白い作品であった。佐々木道誉についての記述が少なくてすみません。これからNHK-BSを堪能します!

nice!(8)  コメント(0) 
共通テーマ:

nice! 8

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント