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『危機と人類』(下) [読書日記]

危機と人類(下)

危機と人類(下)

  • 出版社/メーカー: 日本経済新聞出版
  • 発売日: 2019/10/26
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
国家的危機に直面した国々は、選択的変化によって生き残る―では、現代日本が選ぶべき変化とは何か? 現代日本は数多くの国家的問題を抱えているが、なかには日本人が無視しているように見えるものもある。女性の役割、少子化、人口減少、高齢化、膨大な国債発行残高には関心が寄せられている一方で、天然資源の保護、移民の受け入れ、隣国との非友好的関係、第二次世界大戦の清算といった問題には、関心が低いようだ。現代日本は、基本的価値観を再評価し、意味が薄れたものと残すべきものを峻別し、新しい価値観をさらに加えることで、現実に適応できるだろうか? 博覧強記の博士が、世界を襲う危機と、解決への道筋を提案する。

今月中旬、本書の上巻をご紹介した際に、なんとなく下巻も読まないと済まない気がしたので、上巻を図書館で返却した折に、すかさず下巻も借りた。この2週間、借りた本を読み切るのに相当追いまくられた挙句、下巻を読むのに充てられた時間はわずか3日。返却予定日当日、なんとか帳尻合わせのように読み切った。

本書の分析枠組みは既に上巻冒頭で示されていて、僕もブログでその部分を紹介してしまったので、下巻については、ドイツとオーストラリアという新たな2ケースに、現在進行形の「危機」としての日本の再登場と米国のケースが取り上げられ、最後はどちらかというと人類全体、というか地球自体の危機のゆくえという点での考察につながっている。

ドイツとオーストラリアのケースは勉強になった。第二次大戦後、ナチスの影響が長く残っていたというのは新たな気付きだったし、僕らが小中学生だった頃は、オーストラリアは白豪主義の国だと習った。それが、僕が1980年代後半に大学院生だった頃の指導教官は、『太平洋国家オーストラリア』(東大出版会、1988年)に寄稿しておられたし、21世紀に入ってから僕自身が関わることになった南アジアの国々では、オーストラリアは留学希望先の第1位になっていた。もはや白豪主義という状況ではない。どのようにオーストラリアが変わっていったのかを知るには、いい解説になっていた。

それに続くのは日本を待ち受ける、現在進行中の危機について。天文学的規模に至っている国債発行残高や超高齢化は既に顕在化しているが、著者はこれに加えて、ジェンダー主流化の取組みの遅れや、移民受入れ、中国や韓国との関係のしこりとなっている歴史認識(ドイツとの比較において)等を取り上げている。ちょうど昨日(8月28日)、予想通り安倍総理が辞任を表明したが、日本の課題を改めて整理するには、これぐらいのチャプターの読み直しがちょうどいいかもしれない。

続くあアメリカを待ち受ける現在進行中の危機。これには2章が割かれているが、特に著者が重大だと捉えているのは、政治の二極化である。これも、今、民主党、共和党とも正副大統領候補者の絞り込みが終わったところだけれど、まさに米国で起きていることを裏打ちするような論考だし、ややもすれば日本にも言えることが多々含まれているように感じた。

そして最後が世界全体を待ち受ける危機ということになる。「核兵器」「気候変動」「世界的資源枯渇」「格差拡大」の4点を大きく取り上げているが、「核兵器」を除けば、SDGsで述べられていることの復習のような感じだった。さしずめ今の僕自身のテーマでいえば、「海洋プラスチック」というのもあるのだけれど、持続可能な開発を論じ始めたら1章ではきかないと思うし、そこまで求めるのが本書の役目でもないので、これも参考として読んだ。

そして最後はこれまで扱ったケースを改めて振り返り、国家的危機の帰結に関わりのある12の要因のうち、各ケースがどれぐらいそれに当てはまったのかを検証し、今僕たちを待ち受けている危機に対する展望について述べている。そこでは、以下の一連の行動が国家の危機への対応でモノを言うだろうと述べられている。

-自国が危機のさなかにあると認識すること。
-他国を責め、犠牲者としての立場に引きこもるのではなく、変化する責任を受け入れること。
-変化すべき特徴を見極めるために囲いをつくり、何をやっても成功しないだろうという感覚に圧倒されてしまわないこと。
-支援を求めるべき他国を見出すこと。
-自国が直面している問題と似た問題をすでに解決した、手本となる他国を見出すこと。
-忍耐力を発揮し、最初の解決策がうまくいかなくてもつづけていくつか試す必要があると認識すること。
-重視すべき基本的価値観ともはや適切でないものについて熟考すること。
-公正な自国評価を行うこと。

これは時々思い出したいと思う。こんな当たり前のことであっても、僕たちはときどき無視してしまうかもしれない。第二次大戦では、日本人はこういう当たり前なことを無視して、数百万人を亡くしている。

これまた少し前に読んだ山口周『読書を仕事につなげる技術』の中で、著者は、「「古典の解説書」ではなく「古典」そのものを読め」と主張しておられた。著者のこの主張は主にビジネス書に関して言われているが、対称として挙げられた教養書にもそのようなところがあり、ジャレド・ダイアモンドの著書はこの教養書の部類に入る「古典」として、読み置くのが当然の部類に入ると思う。当たり前のことだが、僕らはもうちょっと歴史を勉強して、そこから教訓を学ばなければならない。『危機と人類』は、その一助となる本だと思う。

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