川喜田二郎『発想法・改版』 [仕事の小ネタ]
内容(「BOOK」データベースより)
ここで語られる「発想法」つまりアイディアを創りだす方法は、発想法一般ではなく、著者が長年野外研究をつづけた体験から編みだした独創的なものだ。「データそれ自体に語らしめつつそれをどうして啓発的にまとめらよいか」という願いから、KJ法が考案された。ブレーン・ストーミング法に似ながら、問題提起→記録→分類→統合にいたる実技とその効用をのべる本書は、会議に調査に勉強に、新しい着想をもたらす。
先週から今週にかけて、僕の周辺で起きていた出来事を考えてみるにあたり、川喜田二郎先生の「KJ法」をちょっとしっかりと学んでみたいなという気持ちになった。KJ法のことを知ったのは1990年代半ばである。最初に読んだ先生の著書は1995年の『ヒマラヤに架ける夢―エコロジーと参画に基づいた山村活性化』であり、これを読んでから96年にはアンナプルナ・トレッキングでシーカ谷を通った。次に読んだのは、カトマンズのタメル地区の日本人長期滞在者向けの古本屋で見つけた『鳥葬の国―秘境ヒマラヤ探検記』である。
このように、川喜田二郎先生の著書を読んだのは、多分に僕自身がネパールに駐在していたことと関連が強い。その後、『鳥葬の国』は1960年の初版を東京都内の某図書館で見つけ、再読した。その時の目的はヒマラヤ探検隊からその後ブータンでの農業指導に転じた西岡京治先生の、川喜田探検隊在籍当時の現地での活動の様子を知りたかったからだ。これについては、その部分の記述の引用も含め、ブログでも紹介している。
『発想法』の初版は1966年に出て、川喜田先生が「KJ法」を発表したのも1967年のことだから、先生がKJ法の体系をまとめられた頃には、西岡先生は既にブータンでのご活動が始まっていたことになる。ただ、『発想法』を今回読んで、その後で『鳥葬の国』での西岡先生の野外活動の描写を改めて読み直すと、既に野外調査で各隊員が見た経験や気付きを片っぱしから「フィールドノート」に書き込んでいたという姿に、KJ法の萌芽のようなものを見ることができる。そして、自分が村に入った時、ここまで片っ端からノートに書き込むような実践はできていなかったなと猛省させられる。
一方で、いつ始められるのかわからないが次の仕事はもっと現場に近いため、「なんでも見てやろう」的なオープンさが今回は必要となると思う。また、僕自身がそうある必要性だけでなく、同じようなマインドセットを、一緒に仕事をすることになる研究者や学生さんたちにもある程度期待せねばならないと思う。ちょっと前にアイデア出しに関連する書籍を幾つか読んだが、『発想法』を読んだのも、動機としてはそれに近い。ただ、『発想法』の方は、思考の整理法といった感じで、例えば読んだ本に書かれていたことをどう整理するかとか、自分が本を書いたり、レポートを書いたりする時に、どう構成するかとか、そういうのを考えるのに向いているような気がした。その思考の整理を個人レベルだけでなく、グループレベルでやろうとする時にも、KJ法は使える。
こと個人レベルでの実践ということでは、僕がたまに使っている「マインドマップ」と似ているかもなという気がした。KJ法は、膨大なカードを、共通しそうなもの同士で整理し、グルーピングを進めていくが、マインドマップは逆に、どんどん枝を拡散していく方法で、向いている方向はまったく違う。でも、少なくとも個人レベルでの思考の整理では、「マインドマップ」は使い勝手がいいと僕は思う。
ただ、現時点ではあくまでも自分のKJ法の知識は座学にとどまっており、とやかく言えるようになるには実践経験を積む必要があると思う。どうせ次のプロジェクトはいつ始められるのかわからないのだから、この秋はKJ法を使う機会を作って、人にも教えられるぐらいにはしておきたいと思っている。
kj法は懐かしいです。大昔、社命で同僚数人と川喜田氏の研究所(碑文谷)に派遣されました。先生からkj法の講義を受け、kj法を使って当面の問題を深夜まで論議しました。先生は好々爺という雰囲気で、私達の喧嘩のような論議を、ニコニコ眺めておられたことを思い出しました。
kj法で会社が良くなったかは?ですが、『鳥葬の国』の川喜田先生会えたというだけで満足でした。一部終止をビデオ撮影されましたから、残っているかも知れません。
by べっちゃん (2020-08-23 19:12)