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『遅いインターネット』 [読書日記]

遅いインターネット (NewsPicks Book)

遅いインターネット (NewsPicks Book)

  • 作者: 宇野常寛
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2020/02/19
  • メディア: Kindle版

内容紹介
インターネットによって失った未来をインターネットによって取り戻す。
インターネットは世の中の「速度」を決定的に上げた。しかしその弊害がさまざまな場面で現出している。世界の分断、排外主義の台頭、そしてポピュリズムによる民主主義の暴走は、「速すぎるインターネット」がもたらすそれの典型例だ。インターネットによって本来辿り着くべきだった未来を取り戻すには、今何が必要なのか。気鋭の評論家が提言する。

なんだかね~。またNewsPicks&幻冬舎かという感じ。当然、バックにいるのは箕輪厚介さん。ヒット連発の編集者なんだけど、NewsPicksって元々名前が売れている論者を著者として引っ張ってきて本を出させるのだから、売れない筈がない。出版不況の中での出版社のサバイバル戦略としては正しいかもしれないけれど、無名のライターには割り込む余地がない。逆恨みだけど、NewsPicksの本を手に取ると、僕は最初からすごい敗北感を感じてしまう。

それで読み始めると、タイトルの簡潔さに惹かれて手に取ってしまった読書が一気に苦痛に変わる。そもそもこういった社会評論的な書物をあまり多く読んでないという自分のキャパシティの問題が大きいのだが、前半の100ページぐらいは読んでて自分はちゃんと理解しているのか確認するのに難儀した。

この著者の本は初めてなのだが、とにかく、AというものとBというものを並置して、それらを同じものを示すメタファーとして使ってみたり、間に対立軸を立てて対立する2つの異なる概念として提示して見たり、時間軸に沿ってAからBへと展開していく姿を描いてみたりと、そういう記述がものすごく多い。

 「民主主義と立憲主義のパワーバランス」
 「エンドゲームと歌舞伎町のピカチュウ」(註:「エンドゲーム」はマーベルの2019年の映画)
 「「他人の物語」から「自分の物語」へ」
 「『Ingress』から『ポケモンGO』へ」
 「仮想現実から拡張現実へ」
 「「大きな物語」から「大きなゲーム」へ」

以上は、目次の小見出しから拾ったもので、これらが前半に集中している。加えて、

 「境界のない世界」と「境界のある世界」
 「Anywhereな人々」と「Somewhereな人々」
 「映像の20世紀」から「ネットワークの21世紀」へ

とか…。しかも、何度か同じ記述が繰り返しで出てきた箇所もあって、自分の読み方がおかしいのではないかと錯覚し、数ページ前に戻ってもう一度読み直すような手間もかかった。

前半だけで疲れ切った。小説が読みたくなった。

ギブアップしても良かったのだけれど、第3章「21世紀の共同幻想論」で吉本隆明とか糸井重里あたりに言及され始めて少し理解できるようになり、第4章「遅いインターネット」で、ようやく著者の言わんとするところがわかった気がする。

現在のインターネットは人間を「考えさせない」ための道具になっていて、かつてはもっとも自由な発信の場として期待されていたインターネットが、今ではもっとも不自由な場となり僕たちを抑圧していると著者は言う。それも権力によるトップダウン的な監視ではなく、ユーザーひとりひとりのボトムアップ的な同調圧力によって、インターネットは息苦しさを増しているという。

また一方で、「予め期待している結論を述べてくれる情報だけをサプリメントのように消費する人々がいまの自分を、自分の考えを肯定し、安心するためにフェイクニュースや陰謀論を支持し、拡散している。そしてもう一方では自分で考える能力を育むことをせずに成人し、「みんなと同じ」であることを短期的に確認することでしか自己を肯定できない卑しい人々が、週に一度失敗した人間や目立った人間から「生贄」を選んでみんなで石を投げつけ、「ああ、自分はまともな側の、マジョリティの側の人間だ」と安心している」(p.184)とも指摘している。「考える」ためではなく、「考えない」ためにインターネットを用いているように見えると著者は言う。

そこで、著者は「遅いインターネット」計画というのを提案しているのである。でも、それで提案されているのは、「遅いインターネット(https://slowinternet.jp/)」というウェブサイトなわけで、僕がそれを読みに行くかどうかは結構怪しい気もしてしまう。

確かに、今のインターネットは速すぎる。うちの子どもたちがツイッターのフォローで大忙しで、睡眠時間を削ってまでリツイートしているのを見ると「アホか」と思うし、Facebookの自分のポストに「イイね」が何人つけてくれるのかをチェックして喜んだり不安になったりしている自分に気づくとこれまた「アホか」と情けなくもなる。うちの会社の事業に批判的な記事を自分のFB友が何のコメントもつけずにリンクだけ張っているのを見かけると、裏読みしたくもなってしまう。これを読んだら読者はどう思うだろうかと考え、ブログやFacebookで書くことには結構自己規制をかけたりもしている。(本音は、友達がほとんどいないミクシィで、公開を家族だけに限定してつぶやいたり日記につけたりしている場でしか全開にはしていない。)

見なければ不安になり、見ても不安になり、書かないと不満だけれど、書けば書いたでこれまた不安になる。インターネットでつながることはしんどい。どうでもいいことだけれど、その速度を遅くしてもう少し考える時間を設けようという著者の主張で、実は僕が思い出したのは、以前通っていた通信制大学院のディスカッションスペースであったというのを最後に付け加えておく。

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