『デザインの教科書』 [読書日記]
内容紹介
デザインを知れば、日常生活がもっと豊かになる!
「デザインとは何か」という基本的な質問から、デザインを決める要素、20世紀のモダンデザインから時代が変わっていまのデザインが求められている役割の変化まで。デザイン評論家として知られる著者が書いた、受け手・使い手の立場でデザインを知るための絶好の入門書。
いつ頃のことだったかど忘れしたが、以前、「貧困解決とデザイン」や「生きのびるためのデザイン」といった文脈で参考文献リストアップをしている時に、ヴィクター・パパネック『生きのびるためのデザイン』やFOMS編『いのちを守るデザイン』などと一緒にリストアップしていた1冊である。積読状態の蔵書の圧縮と並行し、読みたい本のロングリストも圧縮したいと考え、先日市立図書館に出かけた時に借りてみることにした。先に挙げた藤浩志先生の話とは全く異なる文脈で読み始めた。
「教科書」と銘打っているだけあって、各章ともテーマについて広く浅く取り上げており、こういう本を読んでから美術館や美術展、アートフェスの会場に出向くと、展示作品の味わい方も変わるかもなと思う。薄めの新書で、挿入写真や図表も多いため、わりとサラッと読み切れてしまう。
本書の中で、著者が訴えたいことはあとがきにまとめられている。
本書は、デザインについて、制作者の視点からではなく、使い手つまり受け手の側から見ることをテーマにしている。デザインは、その制作者であるデザイナーによってのみ実践されているわけではない。わたしたち生活者によってもデザインは、実践されている。たとえば、生活の中で、椅子やテーブルを選んでいることは、すでにデザインをする行為にほかならない。川に石を投げ込み踏み石にすれば、それは現代の技術で構築されているコンクリートの橋桁と同じ意味を持っている。さらにいえば、暑い夏の日差しを遮るために朝顔やゴーヤのツタを窓の前に這わせることもデザインである。デザインは、少しでも心地よく生活するための工夫だといえる。
デザイナーもデザイナーではない人々も、心地良く生活するためにどのような工夫をしてきたのか。それを検討することは、デザインを知ることでもある。デザインの実践は、日常生活の実践そのものでもある。(中略)
ミシェル・ド・セルトーは、「日常的実践」とは「消費者が押しつけらえたものを自分のものにつくりかえてゆく実践」なのだという。そこにこそわたしたち自身の「痕跡」が残され、また、私たちの精神が反映されるのだ。(p. 219)
これにもとづき、第2章「20世紀はどのようなデザインを生んだか」では、それまで生活者自身が心地良く日常生活を送るために、身の回りにあるものを活用し、生活を少しでも楽にするものに再構築するような実践が行われてきたのが、20世紀は「大量生産」とか「デザインによる生活様式の提案」とかが行われるようになってきて、「消費への欲望を喚起するデザイン」にとって代わられていったという。
続く第3章「心地良さについて」もその延長で、19世紀のモダンデザインは人々の生活を少なからず豊かに、心地良いものにしようとする提案だった。美術館などにコレクションされているものは、使い手(生活者)ではなく、送り手(デザイナー)が考えた「心地良さ」ではあったが。それが20世紀になると、デザイナーの側に、「とりあえず使うもの」をデザインしているのだという意識が芽生えてきて、ものの寿命が人間の寿命よりも短くなっていったと指摘されている。僕たちの生活の中にものが入り込んできて、あふれていったのは、1960年代後半から70年代頃のことである。これに対して、先ほどのセルトーの「日常的実践」というのが出てくる。
第5章「デザインによる環境問題への処方」が扱うのは主に2000年以降の話である。「サステナブルなデザイン」という考え方が登場する。こうなってくると、生活者の視点に、地球環境への影響という点が反映されるようになる。生活者の視点に立ったデザインに戻りつつある様子も、このあたりで描かれている。生活者の心地良さに加えて、人類以外の生きとし生けるもの、そして地球自体の感じる心地良さにも思いを馳せるデザインが求められているのだろう。
こういう流れをおさらいしておく良い機会にもなった。
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