『シビックテック』 [仕事の小ネタ]
シビックテック: ICTを使って地域課題を自分たちで解決する
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 2018/07/21
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
内容(「BOOK」データベースより)
シビックテックとは、シビック(市民)とテック(テクノロジー)をかけあわせた造語で、市民主体で自らの望む社会を創り上げるための活動とそのためのテクノロジーのこと。その活動の一つとして、地域や社会の課題を解決する取り組みがある。近年シビックテックを実践するグループが続々と全国に作られており、アプリの開発などが進められている。その最先端を紹介し、具体的なマニュアルも指南する。
先月から今月にかけて、オープンデータ、オープンガバメントに関する本を何冊か紹介してきた。多くは電子書籍化されているものを読んだが、今月に入って近所の市立図書館が貸出を再開したので、電子書籍購入には躊躇があり、かといっても製本版をネットで購入する気にもなかなかなれなかった1冊を、すぐに予約して借りることにした。
どこかのシンクタンクの研究員が、ネットで調べればわかるような情報を集めて羅列したものとは違い、本書の場合は当事者であるシビックテック・エンジニアが執筆協力しているので、事例の面白さはあったように思う。自治体が市民の利用に便利な形で開示していない行政情報のオープン化という話だけでなく、子育てイベント情報共有アプリなんかは市民が必要としている情報を一覧できるようなプラットフォームを、ユーザーとボランティア・エンジニアが協働で作っていった好例で、しかも複数の自治体に跨る情報プラットフォームにまで発展している。
一方で、どうしてもテック系の人が執筆協力しているから、僕のようなテック系じゃない市民でもどう関われるか、テック系の人から見てそうじゃない市民に何が期待されるのかという視点での記述がちょっと弱いのも気になった。第2章「シビックテックをはじめよう」は確かに、そうした事例が結構豊富に列挙されていて、中には、「ウィキペディアタウン」や「オープンストリートマップ・マッピングパーティ」、「ローカルウィキ」あたりは、アプリ開発を目指すようなイベントではないので、僕らにはハードルはそれほど高くない。主催者も、シビックテック団体が筆頭ではなく、「地域団体」が筆頭でエントリーポイントとしては参考になりやすいと思う。シビックテック団体が筆頭に来ると、実態がどうであろうと、ド素人には心理的ハードルが高いと思う。(先に挙げた3つの事例は、主催することも想定して、もう少し情報収集してみたいと思う。)
ことほど左様に、各章とも、参考にしたい記述も相当ある一方で、もうちょっと踏み込んでくれたらこれ1冊でも足りると思うのにという隔靴掻痒感もあった。
いいなと思った記述としては、第4章「シビックテックのエコシステム」にあった「スマートシティ2.0」。地域活動や行政における「協働」について近年注目されている概念らしい。
これまでのスマートシティ1.0は、地域におけるさまざまな取り組みをエネルギーや交通インフラ等を扱う企業が主導し、ともすれば住民不在のまま技術検証を行う側面が強く、結果が出ないものが多かった。対してスマートシティ2.0は、初期段階からユーザーとなる住民を巻き込み、住民が必要とするサービスを対話や協働のプロセスを経て、実装するといった一連の流れが特徴である。類書でもさんざん出てきたスマートシティの話を、1.0と2.0という対比で描いた文献はこれが初めてであった。数年前に聞いていたスマートシティの話はまさに大企業が席捲していた感が強かったが、このところのスマートシティの話では、テック系だけでなく、一般市民のプレゼンスも相当高いものがあると感じていた。その2つを明確に区分できたのが、本書を読んでのメリットだった。また、公園整備や花壇の整備への住民関与ってのもスマートシティとして読めるというのも、新たな発見だった。
スマートシティ1.0からスマートシティ2.0へ移行したポイントは、まず住民にITを使わせるのではなく、行政が自らの業務改善をITを用いて行うという点にある。またトップダウンで降りてくるタスクをただ実行するのではなく、双方向のコミュニケーション(いわゆる協働)も挙げられる。そして単なる大企業の技術検証の場ではなく、地域のニーズに基づいた開発と利用が促進されている。
スマートシティ2.0では、住民を共同クリエイターと捉え、チームで地域をより便利に作り上げていく。「クリエイター」というと何やら難しいイメージがあるが、ゴミ拾いや道端に花を植える活動なども、共同クリエイターとして重要な要素となる。(p.100)
本書の編著者は、行政学の研究者らしい。なので、シビックテックの実践のところはその道の実践者に執筆を任せ、自身は第5章「市民と行政の関係を変えていく」というところの執筆に専念しておられる。この章は面白かった。昔は自分たちで身の回りの問題は解決していたが、明治維新後の近代国家の建設を契機に、政府は市民から見て遠い存在になっていった。シビックテックは、遠くなってしまった政府に市民が近づいていこうとする歴史の中に位置づけられるという。
これ読んで、僕は自分自身の立ち位置の劇的変化に苦笑いしてしまった。ちょっと前までまさに日本の近代国家建設の経験を肯定的に捉えるような仕事をしていて、そういう文献ばかりを読んでいたのに、今はともすればそういう近代化が、自分たちの問題は自分たちで解決するという市民実践の感覚を失わせる原因ともなっていったという立場で、市民がそれを取り戻そうとする動きを肯定的に捉える文献を読んでいる。改めて、明治維新って何だったんだろうねと思う。
最後に、この編著者、サンフランシスコ市の元市長の取組みに相当感化されて、それがこの主題に取り組むきっかけになったと述べておられる。本書からの派生で、この、ギャビン・ニューサム著『未来政府』は、いずれ近い時期に実際に読んでみたいと思う。
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