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『国盗り物語』(4) [司馬遼太郎]

国盗り物語(四) (新潮文庫)

国盗り物語(四) (新潮文庫)

  • 作者: 遼太郎, 司馬
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1971/12/22
  • メディア: 文庫
内容(「BOOK」データベースより)
すさまじい進撃を続けた織田信長は上洛を遂げ、将軍に足利義昭を擁立して、天下布武の理想を実行に移し始めた。しかし信長とその重臣明智光秀との間には越えられぬ深い溝が生じていた。外向する激情と内向し鬱結する繊細な感受性―共に斉藤道三の愛顧を受け、互いの資質を重んじつつも相容れぬ二つの強烈な個性を現代的な感覚で描き、「本能寺の変」の真因をそこに捉えた完結編。

大河ドラマが桶狭間の合戦を描いて、いよいよ新型コロナ感染拡大に伴う中断に入るという週末に合わせ、『国盗り物語』全4巻を読了した。桶狭間は第3巻で既に描かれていて、第4巻は光秀が信長に対して溜めていった鬱憤を爆発させ、本能寺、山崎の合戦で終焉を迎えるまでが描かれている。1、2巻の斎藤道三編の物語の進行速度からすると、第4巻だけで本当に山崎の合戦まで辿り着けるのかと心配になったが、そこは第4巻だけでも720ページもある大作。見事に展開した。

「織田信長編」となっているが、第3巻こそ信長と光秀という斎藤道三の後継者2人の「新しい世」の実現に向けたアプローチが並行して描かれていたが、第4巻はほぼ一貫して光秀の視点で描かれており、これは「織田信長編」というより、「石田三成編」だと言った方がよい。信長が手持ちの人材をしゃぶり尽くすほど酷使していき、光秀が疲弊して上司討ちにつながるという描き方は、大河ドラマでいえば『信長 King of Zipangu』のマイケル富岡演じる光秀を思い出させる。勿論、大河ドラマの『国盗り物語』における、近藤正臣演じた光秀も同じパターンだったのかと思う。

真面目に一生懸命働き、妻1人を愛し続けるような、絵に描いたようなまっとうな生き方を指向した光秀の姿が、第4巻では際立つようになり、それが信長はおろか織田家の諸将にも疎んぜられ、ややもすれが明智家の家臣にも遠慮されるに至るのは、本人にもどうにもならない運命のようなものを感じる。そういう部下を上手く使いこなせる上司だったらよかったが、残念ながら信長はそういうタイプではなかった。

僕もサラリーマン人生を30年以上やってきて、明らかにパフォーマンスが落ちた時期もあったし、逆にすごくパフォーマンスが上がった時期も経験した。そこで感じたのは、つくづく人のパフォーマンスなんて、一緒に仕事する人々との組み合わせによって右にも左にも振れるということだった。光秀についてもそれを強く感じる。自分が担ぎ出した将軍・足利義昭がこれほどまでにショボくてこれほどまでに陰謀好きでなかったなら、彼の運は開けたかもしれないし、信長がああいった偏屈な君主でなかったなら、光秀も気持ちよく働けていたかもしれない。

「運が悪かった」のひと言で片付けては申し訳ないが、人はつくづく人間関係だよなぁとしみじみ感じる。上司は選べないともよく言われる。サラリーマンは甘んじてその不遇の時期を耐え忍べば、次の部署ではいいことが待っているかもしれないと期待できるかもしれないが、光秀のクラスになってくると、そういう配置換えでいい上司に当たるなんてこと自体があり得ない。切なさが後をひく読後感だ。

さて、『麒麟がくる』の光秀はどう描かれるんだろうか。ちなみに、『国盗り物語』における帰蝶は、本能寺にて主君信長と運命を共にしている。

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