SSブログ

『本屋を守れ~読書とは国力』 [読書日記]

本屋を守れ 読書とは国力 (PHP新書)

本屋を守れ 読書とは国力 (PHP新書)

  • 作者: 藤原 正彦
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2020/03/13
  • メディア: 新書
内容(「BOOK」データベースより)
日本人の15歳の読解力はOECD(経済協力開発機構)の学習到達度調査で急落。月に1冊も本を読まない中高生や、移動時間に新聞や文庫本を読まず、スマホしか見ない大人たち。町の本屋の数は減る一方。著者いわく、これらは国家全体に及ぶ「読書離れと教養の低下」にほかならない。めざすは「書店の復活」である。愛国の数学者が独自の直観と分析によって達した結論。

最初に謝っておかねばならないのは、僕はこの本を、著者が忌み嫌うネットで、しかも電子書籍で購入ました。巣ごもり中だからお許し下さい。これ注文した後、駅前の本屋さんに行く機会もあったのだけれど、あとの祭りだった。

この本のことを知った時、「本」カテゴリーのブロガーとしては、真っ先に読まねばならぬと思った。今の中高生や大学生が本をあまり読まないのは、我が子を見ていればよくわかる。気が付くとスマホで動画を見たり、チャットをしたりしている。成人をとっくに迎えた長男が、食卓にタブレットを持ち込んで特撮動画を再生しながらご飯を食べたりしていると、さすがに「メシの時にはOFFにしろ」と注意しなければならない。本ブロガーをやっていて、自分の子どもたちがあまりにも本を読まないのを見ていると、ものすごい敗北感に苛まれる。(読むは読むけど実用書しか読まない妻とも、その点では話が合わないから残念…)

読書するオヤジの背中を見せても、子どもたちがいっこうに読書に興味を示さないのは、1人1台スマホを与えたのがかなり大きな理由だと思っている。つくづくスマホが恨めしい。便利な道具だし、それを使いこなしている子どもたちを見ているとスゲーなと思う部分は確かにあるが、それをもほどほどにして、読書に時間を充てて欲しいと思わざるを得ない。自分なりに先読みして、「この本いいぞ」と子どもたちに薦めたことなど数知れず。でも彼らはオヤジの期待などウザいだけで、結局積読で放置する。

その辺のところを、かなり断定的な口調でぶっ叩いてくれているから、本書における藤原先生の論調は好きだ。ただね、頭が切れる人は多分にそういうところがあるのかもしれないが、他人をバカにする言い方をされる。「今の大人はバカばっかりだ」と言われているような気がして、ちょっと反論もしてみたくなる。電子書籍を貶しておきながら、本書にも電子書籍版があるのはなんでなの?というのもその1つ。

確かに、本屋さんの数は減っているという実感はある。残っている本屋には頑張ってほしい。でも、印象を言わせてもらうと、どこの駅前の本屋さんも、金太郎飴のようなラインアップになっている。売れ筋の本でスペースを固めているからだ。これは本屋さんだけの問題じゃなく、出版社が売れそうな本しか出版しなくなったというのも大きい。また、売れ筋だからというので大型の付録付きの本がどこの書店でも多くのスペースを占拠する。客は背表紙のタイトルじゃなく、表表紙を見て買うから、余計にスペースを取る。

確かに昔の東京の本屋さんは、それぞれにもっと特徴があって、僕らはどんな本を買いたいかによって、行くお店を変えていた。掘り出し物の本を見つけると楽しかった。そういう買い方が今はできなくなったのは事実だと思う。だけど、営利でやってるんだから、どこの本屋さんだって、売れない在庫を抱えたくないという気持ちはわかる気もする。

それに、著者は本書の中で町の図書館の役割についてひと言も語っていない。そりゃ、物理的に紙媒体の本を手元に置いて、適宜線を引っ張ったりして、いつまでも蔵書として置いておける大きなスペースがある人はいい。だけど、蔵書を抱えすぎると一般庶民の住宅では家族から白眼視される。断捨離する時がまた大変だ。BOOK-OFFなど多くの中古品買取り業者は、発刊から5年以上経過している本は買取り価格がゼロ査定になる。そんなはずはないと思っていても、そうなってしまう。大学の研究室じゃあるまいし、書架をどんどん増やしていけるほど我々には余裕はない。そんな時、必要な本は借りて来れる図書館の選択肢が2つ3つあるのは実に助かるのである。

教養という点についての著者の論点には賛同する。しかし、それを養うための方法論は、町の本屋さんの消滅を阻止することではなく、図書館の利用率を上げることなのではないかと僕は思う。

また、英語教育を小学校低学年から導入というのにも、その分国語の時間が削られるというので著者は反対しておられる。僕も大学で英語を専攻したが、僕と違って真面目に英語教育の道を目指した同級生の多くは、同様にこれに反対している。しかし、国語の時間が本を読むことを指すのであれば、僕はそんなものは課外でやるべきことだと思うし、社会科や理科の授業で面白い本をサイドリーダーで読ませたりすればいいじゃないかとも思う。体育の授業で、実技だけじゃなく『野村ノート』や『菊とバット』を読ませたっていいじゃないかとも(笑)。それで面白かったら、子どもたちはそれがきっかけになって、別の本に手を出していく…かもしれない。

ちなみに、僕自身が日本史を好きになるきっかけになった本は、小4か小5の頃に学校の図書館で借りて読んだポプラ社古典文学全集の『太平記』と、偕成社児童伝記シリーズの『北条時宗』である。また、クラスで当時回し読みしていた後藤竜二『天使で大地はいっぱいだ』であった。いずれもその後も続く読書習慣のきっかけになった思い出の本である。そういうきっかけとなる本との出会いを、我が子は小学生時代に経験していない。非常に残念なことである。

他方で、著者が言うような「教養」というところに目標を定めるのであれば、小中高生の頃はなんでも読めばいいというところで始まったとしても、次のステップはある筈だ。僕自身は大学が決まってから高校卒業までの間に、高3の担任の先生から、「こんな時じゃないと読めない本がある。大学に行ったら読めないから、今のうちに読んでおけ」とトルストイやドストエフスキーを勧められて、辛うじて『罪と罰』を読み切った(その後、吉川英治『宮本武蔵』に行っちゃったが)。実際、大学生になってから哲学書を読もうという気にはなれず、「教養」という言葉の意味がわかってきたのは40代になってからのことだった。

だから、著者が今の日本を本当にどうにかしたいと思っておられるのならば、大学生とか社会人とかになってから、「教養」という名の下にちゃんと読んでおくべき本にちゃんと向かわせる、何らかの仕掛けの提案も必要だと思う。

ちなみに、著者が言うような国語の勉強をさせろということであれば、こんないい本もある。昔読んだが、僕は本書の論点はかなり的確だと今でも思っている。

国語のできる子どもを育てる (講談社現代新書)

国語のできる子どもを育てる (講談社現代新書)

  • 作者: 工藤 順一
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1999/09/20
  • メディア: 新書



nice!(14)  コメント(0) 
共通テーマ:

nice! 14

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント