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大地をかき回す~グローバルなインドの発展 [インド]

Churning the Earth: The Making of Global India

Churning the Earth: The Making of Global India

  • 出版社/メーカー: Penguin Books India Pvt Ltd
  • 発売日: 2014/01/15
  • メディア: ペーパーバック
内容紹介
世界はインドのきらびやかな経済発展を羨望のまなざしで見つめ、それが人と環境に影響を与えるものであることを認めるのにためらいが見られる。本書は、Aseem ShrivastavaとAshish Kothariという2人の著者が、この印象的な成長ストーリーについてタイムリーな問いを投げかける。彼らはこの近年の成長が性質的に略奪的であることについて、議論の余地のない証拠を提示し、その持続可能性に疑問を投げかける。際限のない開発は、数億の人びとの生活を可能にする生態学的な基盤を損ない、水、土地、その他の天然資源をめぐる紛争を引き起こし、富裕層と貧困層の間の亀裂を大きくし、文明としてのインドの将来を脅かしている。本書はデータとストーリーを豊富に取り上げる。インドの開発戦略に対する痛烈な批判は、環境の持続可能性、社会的平等、および生計の安全保障の原則に基づく急進的な生態学的民主主義(RED)の提唱につながる。2人は、社会的かつ生態学的な混乱状態への転落を未然に防ぐため、すでに草の根レベルの活動で既に萌芽が見られる代替的な発展径路への抜本的な転換を求めている。本書は、インドで何が問題になっているかだけでなく、グローバル化に基づく成長がもたらした危機から脱出する、ユニークな方策も論じている。

本書の原題は『Churning the Earth: The Making of Global India』という。2012年8月にインドを訪れた際に、『Jugaad Innovation(ジュガード・イノベーション)』と同時に、バンガロールの空港内の書店で購入した。『Jugaad Innovation』の方はその年の12月までには読了していたが、本日紹介する『Churning the Earth』の方は、なかなか読み始める覚悟がつかず、コロナの巣ごもりまで放置してきた。『Jugaad Innovation』は既に訳本が日本でも出ているが、『Churning the Earth』の方はそういうのはない。

英語で"churn"とは、「攪拌する」というような意味らしい。グローバル化に取り込まれた形でのインドの発展が、地球全体を攪拌するというような意味なのだろうか。確かにグローバルなプレイヤーとして台頭したインドは、世界全体のかく乱要因にもなり得るし、逆に安定性をもたらす要因にだってなり得る。なんとなく前者かなと思いつつ、そうすると、CO2排出をガンガン増やして、今後世界の気候変動を助長する可能性が大きいにもかかわらず、なかなか言うことを聞かない国として、インドは捉えられているのかなという内容を予想した。それが、買ったはいいけどずっと積読状態で放置していた理由かなと思う。

でも、今回コロナの影響もあって読み込みに踏み切ると、どうやらこれは「地球をかき回す」というよりもインドの「大地をかき回す」という方が本書の内容に近いという気がしてきた。

ひと言で言ってしまえばそういう内容である。インドは1980年代に経済危機に陥り、世銀IMFの政策提言を容れて91年から経済自由化に舵を切った。それ以降の発展はめざましいものがあるが、著者はこの発展は持続不可能だと指摘している。

経済自由化で、インドは外国企業とつながった。それでさらなる飛躍につながったインド資本もあるし、多くの極めて優秀なビジネスエリートも生み出した。しかし、そこから取り残される人も生み出した。

僕は2007年から2010年頃にインドに駐在していたが、その頃の1つの大きなイシューだったのは、外国の鉱山会社によるオリッサ州の山岳地帯の囲い込みだった。この地域には元々先住民が多く住んでいて、森を含めた自然環境は、彼らの持続可能な生活を保証してきた。しかし、囲い込みが進み、鉱山までの道路が敷設され、そして森林が伐採されてボーキサイトなどの鉱物資源の採掘が進められるようになると、先住民は森林から得られた恵みや水資源の枯渇に直面し、生活の危機に瀕するようになった。この頃には開発を進めたいオリッサ州政府に対して、中央の環境大臣が待ったをかけるような構図になっていた。が、環境大臣も代わり、さらにシン首相の国民会議派中心の政権からモディ首相のインド人民党中心の政権に代わると、企業寄りの政策運営になってきているのではないかという気がする。(本書は、政権交代が起きる前に書かれている。)

こうした経緯もあって、比較的頻繁に引用されるのがオリッサ州の鉱山開発の問題だが、加えて農民の自殺問題もよく扱われている。これも綿花栽培がグローバル経済とつながることで招いている問題だと言える。いわば、自分の駐在員時代の後半、自分が関心を持って追いかけていたインドの社会問題が、それぞれつながった形でまとめて論じられている1冊となった。それが本書なのである。

著者が持続不可能だと断じる発展径路に代わるものとして、RED(Radical Ecological Democracy)の概念が提示されている。いわば、先住民やダリット、女性、子どもなどのさまざまなステークホルダーが自分たちの地域の方向性を決めることに関与できるという地方分権化である。実際、インド国内各地でそうした兆しとなるものが出てきている。本書で紹介されている草の根の取組事例のほとんどが僕にとっては初耳で、その点ではインドの広さを改めて感じる。しかし、そうした草の根の取組事例の単純なコピペでは、スケールアップして大きなうねりをもたらすのが困難だというのも感じる。地域の特性を大事にするという1点においては共通していても、単純にコピペすればスケールアップが実現可能なのかというとそうではない。発刊から8年、結局インドはこの持続不可能な発展径路を今も歩んでいるように見えてしまう。

最後に備忘録。当然、本書では綿花栽培も1つはオーガニック化の取組みがあるべき方向性として示されているのだが、もう1つ、綿花栽培のあるべき方向性として、「地産地消」というのも打ち出されている。低インパクトで労働集約的な産業を地方で振興する一例として、Dastkhar AndhraというNGOを取り上げている。プロボノで某財団の海外事業担当理事をやっている立場の人間としては、機会があれば訪問して、コネクションを作りたい。

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