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『ザ・ジャパニーズ』 [仕事の小ネタ]

ザ・ジャパニーズ―日本人

ザ・ジャパニーズ―日本人

  • 作者: エドウィン O.ライシャワー
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1979/06
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
世界において日本ほど長い孤立の歴史をもつ国はない。その経験と地理的特異性とが相まって、日本人は文化的に特異な民族でありつづけた。つよい自意識と集団性、独自の宗教観、自己完結の傾向、他から学習し自らに適応させる並外れた能力―。日本研究の第一人者ライシャワーが圧倒的分析力と客観性、深い洞察をもって日本を論じた本書は70年代にベストセラーを記録。日本の未来に向けて発した期待と危惧が今あらためて強く響く。

今、放送大学で『シリーズ日本の近代化を知る7章』という講座が放送されている。英語で日本の近現代史を学べる珍しいプログラムである。ただ、番組を1回だけ見ても簡単には理解できないので、ビデオに撮って何度か見直すとか、できれば英文トランスクリプトを入手して文字で追いかけてみるとか、補足で何かをしないといけない。

各回45分の講義である。でも、正直言うと、英語であるか日本語であるかは問わないものの、45分間番組を集中して見続けるのは難しい。こういう先生方は、通常の大学の講義は1コマ90分でなさっている。多少の雑談は設けているにせよ、そうした贅肉をそぎ落としたにせよ、90分で教えるものを45分に圧縮するのは至難の業だ。本当は述べたいけれども、尺の関係で落とした項目も多いことと思う。そういうのを、番組を見ていて所々で感じる。

本当は、番組の中ででも、参考文献を提示してくれていたら、講義の行間をそれを読んで埋めることができて助かるのだが、そういう配慮までは残念ながらされていない。自分でやろうと思って少しずつ読んではいるんだけれども、どうも「これ」というのに出会うことができずにここまで来た。

特に自分にとって難解だったのは第2章「政党政治の盛衰」だった。板垣退助の自由党と大隈重信の立憲改進党の話から始まり、途中で伊藤博文の政友会が出て来て、これが今の自由民主党の先駆けだと講義では言われていた。また、講義では立憲改進党という名前だった大隈重信の政党が、途中から「大隈系の政党」という曖昧な表現に変わっていく。そして戦後はどうなっていたのかまでは述べられない。なのに講義では戦後の自民党の話だけは出てくる。だいぶ説明を端折っているように感じる。それが難解な理由だろう。

上の事例は例えに過ぎない。そういう、「行間を埋める」作業を自分で進めようとして、その一環で読み始めたのがライシャワー元米駐日大使の1977年の著書『ザ・ジャパニーズ』であった。市立図書館で借りる直前、ある大学の先生から、「日本の近現代史を英語で教えようと思った時に困るのは、授業でテキストとして使える良い英語の文献が最近ないこと。ライシャワーの『ザ・ジャパニーズ』以降、更新されたものがない」と聞かされた。それが借りるきっかけとなった。

同時通訳者の國弘正雄先生が訳された日本語版の初版が出たのは1979年。僕がラジオの『百万人の英語』を聴き始める直前のことで、聴き始めた頃には毎週木曜日の講師が國弘先生であった。この國弘先生の担当番組の中で、『ザ・ジャパニーズ』の存在は知った。できれば読みたいと思ってはいたが、A5二段組みで430頁もある本は、すぐには手を出せず、いつの間にか存在すら思い付かなくなっていた。

それを今頃になって初めて読んでみて、ライシャワー博士の日本研究の広さと深さに驚くこととなった。既に40年以上前の作品になってしまっているので、現在の日本の姿とはそぐわなくなった古い分析も所々あるものの、当時の日本の分析としては相当的確である。

そして改めて驚かされたのは、放送大学『シリーズ日本の近代化を知る7章』で扱われたテーマのほとんど―――たとえそれが「日本の国際協力」であったとしても―――が、本書ではカバーされていたことである。本書を読めば、放送大学の番組の行間を相当部分埋められる気がする。先ほどの「政党政治の盛衰」の話に戻せば、自由党―政友会の系譜と、立憲改進党ー民政党の系譜は、戦後の保守合同の中で、自由民主党になっていったという。そういうことまで本書には書かれている。放送大学の番組の参考文献として、本書はおススメだ。

最後に、現在の日本の姿とはそぐわなくなった記述、印象に残った記述のいくつかを挙げておく。

◆◆◆◆

近代都市工業文明がさまざまな問題をひきおこし、民主主義の自己管理能力に疑問を投げかける一部の学者もいるくらいだが、この分野で日本が逢着している問題は、他国におけるほど深刻ではない。福祉国家を志向しつつも、日本人は目先の利益のために、将来を「質に入れる」愚はおかさなかった。
 対外債務もほとんどなく、個人としても国民全体としても、将来の恩沢のためには、あえて今日の消費を差し控えるという心がまえができているように思われる。欧米の民主主義国の一部ではとかく深刻な政治問題になっている少数民族はさほど多くなく、恵まれない集団も少なく、地域間の反目も存在しない。(pp.328-329)

日本は国内的にみればうまく機能しているようにみえる。ただ、一たび目を広く国際社会全体に転じれば、日本にとっての展望は、国内ほど楽観をゆるさない。日本人はその全存在を、膨大な量の財が自由に出入りすることに賭けており、いったん、戦争が勃発したり、国際貿易機構が崩れるようなことでもあったらさいご、その基盤は破壊されてしまう。この種のショックが日本を見舞った際に、どのような政治変化がおきるか、だれ一人として予測できるものはいない。
 日本人が従来の軌道を大幅に転換せざるを得なかった例は、近代史に二度みられたが、それはいずれも基本的には対外関係の圧力がしからしめたものであった。
 一つは、開国とその後を襲った明治の巨大な変革であり、いま一つは、日中、太平洋の二戦争と、その結果としての戦後の変革であった。

 もし万が一にも、日本人が現在のコースから大きく逸脱するような事態がおきたとすれば、この方向転換への原動力が、日本の外部からのものであろうことは、ほとんどまちがいない。(pp.330-331)

 ここ二十年ほどの間に、私は何十人もの日本の閣僚と知り合ったが、そのうちで、知的に真剣な会話を英語でかわすことができるのは、せいぜい三名しか思いつかない。西洋史を含む歴史の教授も、ここ四十年間に何百人となく知り合ったが、同じことのできる人の数は、閣僚の場合をそれほど上まわらない。
 七、八十年前とくらべて、状況がむしろ悪化している面もある。1885年から1912年にかけて閣僚の椅子を占めた政治家についての調査によれば、かなりの対外経験をもつものの比率は61パーセントにも上っていたという。ところが、1945年以前の時期については、それが21パーセントにまで落ちこみ、戦後期についてみれば、戦前の教育状況を反映してか、わずか16.6パーセントにすぎない。
 日本自体の教育制度がよくなるにともなって、指導者層の対外経験は少なくなっていったのである。このような状況がつづくかぎり、工業通商民主国家が互いに必要とする緊密かつきめの細かい協力関係を打ち立てるという作業も、日本の場合、他の第一世界のどこの国にも増して、困難を極めるであろうと予想されるのである。(p.384)

◆◆◆◆

幸いなことに、本書は、2カ月前に角川文庫から再刊になっている。座右に置いておいて必要な時に適宜調べ物をするのに使いたかったので、図書館に返却するついでに、本屋さんで1冊購入することにした。

ザ・ジャパニーズ (角川ソフィア文庫)

ザ・ジャパニーズ (角川ソフィア文庫)

  • 作者: エドウィン・O・ライシャワー
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2019/10/24
  • メディア: 文庫



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