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『日本 二百年の変貌』 [仕事の小ネタ]

日本―二百年の変貌 (1982年)

日本―二百年の変貌 (1982年)

  • 作者: M.B.ジャンセン
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1982/07
  • メディア: -

わけあって、マリウス・ジャンセン先生の日本の近現代史に関する本を読まねばならなくなった。2000年に『The Making of Modern Japan』の初版が出た時、今すぐは必要ないけれどもいずれ読むかもしれないからというので、900頁超のハードカバーを購入した。当時ワシントンポスト紙でも書評が載っていた1冊である。それから18年間も放置して積読にしておいたところ、今頃になって読む必要に駆られる事態に陥ったのである。

とはいっても900頁のハードカバーを短期間に読破できるわけではない。今のタスクに関わっている間は時々目を通して、僕らが日本語でしか習ってない日本史の出来事が英語ではどう表現されるのかを確認するのに使っている。例えば、「自由民権運動」を「Freedom and People's Rights Movement」と言ったりとか。

ただ、こんな大部な本を英語でいきなり読むのもしんどいので、面倒くさがりの僕は、ふと考えた。これくらい有名な日本研究者なら、日本語に訳された著書がきっとあるに違いないと。調べてみたら実際出ていた。地元の市立図書館で蔵書検索してみたら、何冊かヒットしたので借りてみた。今回ご紹介する『日本ー二百年の変貌』は、その中でも比較的短い1冊だ。

原題は"Japan and Its World:Two Centuries of Change"といって、1976年にプリンストン大学出版会から出ている。邦題ではそのニュアンスが消されているが、原題を見ると、日本が有した「世界」の認識の変遷を描いているのだと想像がつく。元々はジャンセン教授が1975年に米国で行った3回シリーズの抄録だという。ちょうど米国が建国200年の記念式典で盛り上がっていた頃で、この200年を日本に当てはめて、1770年代というのが日本にとっても時代の変わり目だったと話しておられる。

この、江戸時代中期に起きた大きな出来事として、ジャンセン教授は杉田玄白の『解体新書』を挙げられている。中国由来の漢方に基づく医療知識の体系への疑問から、西洋医学に対する初めての解説書が発表されたのがこの時期だったのだという。日本人の世界観が、中国を中心としたら東アジアから欧州、そして米国へと広がっていくきっかけとなった出来事で、杉田玄白の当時はそれが長崎の出島という狭いゲートウェイを通じて知識を得ていたが、それが明治の時代になると、岩倉使節団のように国の将来を担うリーダーを1年以上の長期にわたって欧米視察に送り出すという、大がかりなミッションだった。

 岩倉使節団の上層部は、各国歴訪を終えた後、東京での任務に復帰するために帰国しますが、一行の若いメンバーたちは説得されてそのまま西欧に残留し勉強を続けることになります。その中には桂太郎や西園寺公望らも含まれていました。二人は共に、やがて二十世紀初期において日本の首相として活躍することになりますが、1870年代に欧州に長期滞在して経験と学問を積んでいたのです。この二人は、明治維新後に渡欧した日本人留学生群の中で最も有名な例でありますが、1868年から1902年に至る機関に発行された留学生旅券は、実に1万1,248件に達しています。これは近代史上初の大規模留学生派遣であります。(pp.110-111)

 以上を概括するに、まず岩倉使節団の面々は、西欧諸国が決して一様なものではなく、各国の間に大きな違いがあるという見方をするようになっていた、ということができます。彼らは、特定の一国に盲目的に追随することはせず、各国の長所、短所を見極めて記録しています。全体として西欧は、東亜の従来のモデルよりはるかに進んでいたが、最終的にどのモデルを選んで手本とするかという基準は、明治国家にとってどんな利益が得られるかという観点から定められました。ナショナリズム意識に燃えていた岩倉使節たちの道標になったのは、「皇基を振起す」べく「知識を世界に求め」ることをうたった「五箇条御誓文」の言葉でありました。(中略)おそらく岩倉使節が果たした最大の直接的功績は、外交問題にいかに慎重でなければならないかということを、使節の面々自身が、欧米見聞を通じ新たに理解するに至ったことでありましょう。しかし、こうした新しい認識も、長期留守の後に帰国する彼らを政府の重要ポストが待っているということがなかったならば、それほど大きな意味をもつことはなかったでしょう。これはある意味では岩倉使節全体の中で最も注目すべき点であります。今日、トップ・リーダーたちが1年半以上にわたって国を離れるという危険をおかす開発途上国が果たしてどれほどあるでしょうか。これは当時の日本人が、自国社会の安定性と団結性とをいかに強く確信していたかを示すものであり、また近代化のための制度改革の速度を自ら設定し、遂行する自己能力に対する自信をも雄弁に物語っています。(pp.116-117)

このあたりの表現に、今自分が関わっている仕事の意味づけを感じたりするところもあった。仕事柄日本の近現代史について書かれた本は何冊か読んでいるが、これほど枠組みが明確で読みやすいと感じた本はない。こういう日本研究者を輩出する米国はすごい(この方はオランダ人だけど)。これを読むと、岩倉使節団のことをもうちょっと深く知りたい気持ちにすごく駆られる。

ただ、この歳になって日本の近現代史を勉強し直すのは大変だとも感じる。僕が大学の学部で英語を専攻しようと思った当時の状況で言えば、國広正雄先生がラジオ番組『百万人の英語』で、エドウィン・ライシャワーやエドワード・サイデンステッカー、ハーバート・パッシン等の著作を盛んに引用されていた時期であった。その頃から英語学習を通じて日本という国を見る実践をもっと積んでいれば、今の自分の生き方も随分違っていたかもしれないし、それにネジを巻く機会が20年前のジャンセン教授の著書発刊のタイミングでもあったと思う。いずれもタイミングを逃している僕に、今もう一度これをやって仕事で役立てろというのは結構しんどい話だとも感じる。という愚痴も付言しておく。

The Making of Modern Japan

The Making of Modern Japan

  • 作者: Marius B. Jansen
  • 出版社/メーカー: Belknap Press
  • 発売日: 2002/10/15
  • メディア: ペーパーバック


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