『大江戸リサイクル事情』 [持続可能な開発]
内容紹介
人口100万を数え、近世では世界最大の都市といえる江戸。膨大な日常消費は草の根レベルの活発なリサイクルで支えられていた。藁、竹、灰、みな太陽エネルギーの有効利用でよみがえる。現代では忘れられ、失われてしまった江戸庶民の合理的でムダのない暮らしの知恵を描いた「大江戸事情」シリーズ第4作。(講談社文庫)
本帰国して戻った我が家は、オヤジが留守にしていた3年間のうちに子どもたちがますます大きくなり、その分手狭になった。最初にどうしてもやらなければならなくなったのは断捨離で、とりわけ僕が大学時代から溜め込んできた蔵書の中でも、こんまり流に言えば「ときめかない」ものについては思い切って捨てることにした。その過程で「ときめく/ときめかない」のチェックはかけているので、この作業は思いのほか時間がかかっている。
中には、僕が溜め込んだわけではない蔵書もある。本書はずっと気になっている妻の蔵書で、多分本人も読了後忘れているのではないかと思う。ただ、今僕は新しい仕事の関係で、江戸から明治にかけての日本の近代化の歴史を学び直す必要に駆られていて、役に立つ立たないはともかくとして、これらの時代について描かれている蔵書については、ちょっと中身の確認はしておいた方がいいと感じ始めている。これが、優先順位を変えてこの妻の蔵書を盗み読みすることにした背景である。
他人の蔵書を読むのもたまにはいいなと思った。この本、江戸時代の社会の凄さを存分に味わうことができる良書であった。著者は江戸時代の庶民生活やエネルギー、テクノロジー事情を研究する学者さんで、「大江戸事情」はシリーズとして何巻かが出されている。なので、本書だけ読んで江戸のエコ事情が包括的に描かれているわけでもなさそうで、もう少しシリーズ本を何冊か読んでみたくなった。文庫本で、かつ一話完結になっているので、通勤時間などを利用すれば苦も無く読めるだろう。
「リサイクル」と銘打っている以上、そのバリューチェーンはしっかり押さえておく必要があるわけで、意外なところでは、当時の竹がどのように利用されていたのかとか、かまどの灰や使用済みロウソクの蝋のその後の活用とか、よくぞまあそこまでシステマチックにやられていたものだと感心させられる。また、「着物は畑でできた」の章では、桑から絹ができるまでの工程、綿から綿織物ができるまでの工程がかなり詳述されていて、当時見られたであろう、狭い地域の中で閉じたバリューチェーンの全体像を理解することができる。
本書の挿絵を見ていると、木綿糸を作るにも、先ずは綿花から種を取り除く「綿繰り」という工程で「攪車」という機械を使っているのがわかるし、次に綿をほぐすための「綿打ち」という工程で弓のような道具を使っているのがわかるが、これと同じような器具を最近、ブータンのペマガツェルの綿クラスターで見た。同じような器具が、かたや日本には江戸時代に、かたやブータンには現在も存在するというは興味深い。どうやって伝番したんだろうか。
ただ、本書のタイトルが謳うような「大江戸」かと問われると、ちょっと首を傾げるようなところもあった。江戸時代の話ではあっても江戸という限られた土地での話でもなさそうな記述は度々出て来るし、昭和30年代までは現存していたなんていう社会システムの話も頻繁に出てくる。そして、毎回、現代の大量生産・大量消費に対する著者のぼやきが語られる。淡々と江戸時代の凄さを語って、価値判断を読者に委ねればよかったものを、毎回毎回「お前ら何やってんだ」ってな苦言を聞かされると、読んでるこちらも「そんなのオレだけのせいじゃないのに…」と心を閉ざしたくなるような気分にもなる。
なんて愚痴を、1990年代に「大江戸事情」シリーズを出していた著者に今言ってもしょうがない。「持続可能な開発」だの「SDGs」だのと喧伝される今の時代だけに、こういう、江戸時代の知恵というのは再評価を受けてもいいのかなという気がする。
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