再読『夜のピクニック』 [読書日記]
2016年10月30日以来の再読。
2年連続で玉砕しているブータン国際マラソン。今年は3月2日開催だが、性懲りもなくまた申し込んでしまった。リベンジが目的ではない。今回に関しては、思い出作りを目的として、コース大半は早歩きで行くつもりでいる。21km、目標は3時間。離任してしまえばわざわざまた走りに来ることはないと思う。最後の景色、今回は楽しみながら行こうと心に決めている。
その景気付けに読もうと思ったのが、夜を徹して80kmを歩き通すという、高校のイベントを扱った恩田陸作品。最近、小説をあまりにも読んでないので、たまには息抜きしたいと思って年明けに読み始めたのだが、30頁ぐらいのところでストップしてしまい、その後仕事が忙しすぎてずっと読めずにいた。読書再開はこの週末。他にやりたかったことを全部パスして、5時間ほどかけて一気に読み切った。
読みながら感じたのは、①多くのものを覆い隠してくれる夜間の歩行というところ、②これだけ長い時間を集団で、でも微妙にばらけながら過ごすところ、そして、③ゴールが切られているところ等、歩行祭というのはいろいろな物語がうまれやすい状況設定だということだった。こういうのが自分の高校にもあったら、自然と誰かに長らく秘めた思いを伝えるチャンスは到来したかもしれないし、そうでなくても多分高校生活の中で最も長い時間をその相手と共有できたかもしれない。夜間なら相手の目や周りの目も気にならないでオープンになれる可能性も高まるだろう。そして、ゴールがあることで、それまでになんとか実現させなければという思いも生まれるに違いない。
大変な行事だけれど、そういう様々な仕掛けがある行事であり、そういう仕掛けを用意している学校もよく考えられているなと感心もする。
自分が高校時代に経験した修学旅行はどうだったかというと、なんか朝から晩まで予定が決められていて、夜は夜で就寝時刻を過ぎれば少なくとも自分の部屋には戻らなければならなかった。そういうのを破って外に行ってた奴もいたと思うが、そういうのは既に誰かと付き合っている生徒が多かったと思う。思いを打ち明けたり、ひそかに思っている生徒と長く話す時間を取れる状況ではなかった気がする。それに、修学旅行は同学年に限定されるので、1学年上の先輩に話しかけたいとか、あるいは後輩と話しかけてくる隙を作ったりといったことはできない。
そういう意味でも歩行祭ってやっぱりいいコンテンツですね。
思いを伝えることができるケースもあるだろうし、伝えられないケースもあるだろう。いずれにしても、参加する一人一人が自分なりの思いを込めて歩くことができるんだろう。個人的には、戸田忍君のことが好きなのに思いを打ち明けないと心に決めて歩いていた千秋さんが気になった。彼女が言う通りで、高校を卒業してしまったら進路も違って、たとえ思いが伝わっていたとしても、卒業後も付き合える可能性は極めて低いと思う。だから彼女の選択は理解できるのだが、主人公の1人・貴子と一緒に歩いた集団歩行を終えてから、舞台から消えてしまったところは、なんだか登場人物が上手く生かされてないなと思ったところでもあった。
そろそろ自分の子どもたちもこの高校生の年齢層から足を洗うところまできている50代のオッサンが、こんな作品を読んで今頃感動しているのも変な話だが、この駐在員生活3年間の間に読んだ小説の中で何を薦められるかといえば、恩田陸『夜のピクニック』であることは間違いない。そして、うちの子どもたちの中で、唯一これから高校生活を迎える末っ子には、高校生でいる間にこういう作品を沢山読んで欲しいと期待している。
タグ:恩田陸
コメント 0