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若者が地方にとどまる道 [ブータン]


初めて劇場公開されるブータンのドキュメンタリー映画!!急速な近代化に直面するブータンで、先祖代々1000年以上寺院を受け継いで来たある家族の物語。自分を男の子と思っている妹タシと、寺の継承問題に悩みながらもタシを見守る兄ゲンボ。近代化をテーマに、世代で異なる幸福論、家族の葛藤、兄妹愛を普遍的に描く。ブータンの今を感じる映画!!

現在、日本では、ブータンのドキュメンタリー映画『ゲンボとタシの夢みるブータン』(原題:The Next Guardian)が劇場公開中である。映画のFacebookを読んでいると、東京・東中野のポレポレ東中野での公開には、『未来国家ブータン』の著者・高野秀行氏とか、僕の知っている人もトークセッションで登壇されているらしい。結構なことだ。単身赴任中の僕も、東京の家族には見に行けと薦めた。
*映画HP:https://www.gembototashi.com/

実は会場で販売されているプログラムに、寄稿しないかと配給会社の人から頼まれて、5月頃に原稿を書いて先方に送付した。その後すったもんだがあって、結局土壇場で載せない決定が下されたらしい。僕が寄稿したのを知っていて、載るかもと期待して劇場に出かけてプログラムを購入したうちの家族はがっかりしたという。僕の拙い文章力にも問題があったのだろう。配給会社の人が扱いに困ってリライトされた原稿に僕が納得せず、それが土壇場での削除につながったのだと思う。

このまま闇に葬られるのももったいない。せっかくだから、何を書いたかぐらいは公にしておく。なお、ここで改めて強調しておきたいのは原稿削除の事実ではない。理由は書かないけど僕にも強情なところはあったと思うし、譲れないところでもあった。そんなことより、映画はご覧下さい。映画を見て、「聖地巡礼」の行き先の1つにしていただけたら嬉しいので。

◇◇◇◇

『ゲンボとタシの夢見るブータン』の舞台は、ブムタン県庁のあるジャカルの町から、チャムカル川左岸を上流に数キロさかのぼったあたりだ。2人がドリブルしながら坂の多い道路を歩いてサッカーの練習場所に向かうシーンでは、沿道にグル・リンポチェゆかりのクジェ・ラカンも映る。2人が川面を眺めるシーンは、ラカンからさらに上流のクジェ集落の吊り橋から近く、チャムカル川が大きく蛇行するポイントだ。ここも「聖地巡礼」の重要なスポットである。

このエリアには、日本の開発協力の舞台もいくつある。全国の農道建設と維持管理に奮闘する建設機械の維持管理の拠点であるCMU(中央機械ユニット)は、2000年代後半に派遣された日本人シニアボランティアの指導により、5S(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)の概念がブータンで最も根付いた施設となっている。建設機械も日本の協力で導入されたものが多い。今も青年海外協力隊員が活動中だ。

また、クジェの吊り橋のたもとにはチャムカル川の水位を監視する自動水位計が設置されている。水位情報は15分おきに近くの監視センターとティンプーの国立水文気象センターに転送される。地球温暖化の影響で上流の氷河湖が決壊し、水位の異常な上昇が観測された場合、下流のチャムカルの町でサイレンが鳴り、住民はそれにもとづき避難する仕組みも整えられた。いずれも日本の技術協力で整備された洪水予警報システムによるものだ。

もう少しエリアを広げれば、日本の協力により、チャムカルの町にかかる橋(2003年完成)や、マツタケで有名なウラの郊外の山中にある小水力発電施設(同1988年)も建設されている。大日本土木という建設会社が1980年代からブータンに関わり、長く貢献してきている。ティンプーからブムタンまで、拡幅工事が進んだ道路を走ると、同社が建設に携わった橋を5橋渡ってブムタン入りとなる。「日本の橋は落ちない」とブータン人は言ってくれる。なるほどどれも頑丈な構造だ。

日本のブータンに対する開発協力は、西岡京治氏がコロンボ計画農業専門家として赴任された1964年に始まる。パロ谷の農業シーンを大きく変えたのは西岡専門家の功績が大きく、さらに1976年からは、四代国王の命を受け、インド国境にほど近い中南部パンバンを拠点に農業開発に取り組まれた。

こうして、パロ、パンバンといえば西岡専門家の多大な功績が今もブータン人には伝えられるが、ダショーの称号は授与されていないが、ブムタンといえばこの人というもう1人の外国人がいる。フリッツ・モーラーというスイス人で、1969年にブータン入りし、以後ブムタンでスイスチーズ作りを広め、「レッドパンダ」という特徴的なビールの開発製造を主導した。

先輩方のご尽力により、ブータン人の暮らしは昔と比べて格段によくなった。英語による教育が普及し、流暢にしゃべる小学生もいて驚かされる。若者にどんな仕事に就きたいかと尋ねると、ほとんどが「公務員」と答える。首都の昼下がり、ふらっと歩いている若者グループを街で見かけることが多いが、彼らはいつか政府の仕事に就けることを夢見て、毎日クエンセルの求人欄を見て履歴書を送付し、結果を待ちながら過ごしている。若者の失業率は12%を超えているという。

スマホやテレビが普及して、都会の情報が地方でも得やすくなった。道路もきれいに整備され、首都への移動も格段に容易になった。地方の農道も建設が進み、農作物を出荷しやすくなった。でも農作物だけでなく、都会の生活に憧れて、若者まで村を出ていくようにもなってしまった。東部では家族全員が村を離れる空家の問題が顕在化してきている。

何ができるだろうか。いきなり首都じゃなくても、村から近い地方の町で、若者が働ける選択肢を作っていくのがこの国の進むべき姿なのだろう。町でふだんは暮らしながら、週末は農道をひと走りして実家で農作業を手伝える、そんな生活スタイルだ。実現は容易ではない。でも、地方で「クール」な仕事を創出するため、政府もいろいろと考えている。

1つは2018年1月から導入された小規模零細企業向け優遇貸付制度で、単に起業資金を貸し出すだけでなく、技術能力強化や市場アクセス等で手厚い支援をするらしい。もう1つは2017年7月にティンプーに第1号ができた市民向けデジタルものづくり工房「ファブラボ」の地方展開だ。トブゲイ首相は「全国20県にファブラボを」と号令を発する。地元の素材を、デジタル工作機械を使って地元で加工することが可能になり、外国製品への依存度を下げる仕掛けとしても期待される。

また、この道は日本が歩んできた道でもある。過疎化や少子高齢化で、コミュニティの基本機能を維持できない危機的状況から、住民自らが立ち上がり、外から人に来てもらえる地域づくりに取り組んでいる事例が日本には多い。こうした経験を知ってもらい、1つでも多くの選択肢を示してブータンの若者に考えてもらうのも、私たちの仕事だと思っている。

タグ:ブムタン
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