『スモールイズビューティフル』 [持続可能な開発]
内容紹介
1973年、シューマッハーが本書で警告した石油危機はたちまち現実のものとなり、本書は一躍世界のベストセラーに、そして彼は“現代の予言者”となった。現代文明の根底にある物質至上主義と科学技術の巨大信仰を痛撃しながら、体制を越えた産業社会の病根を抉ったその内容から、いまや「スモールイズビューティフル」は真に新しい人間社会への道を探る人びとの合い言葉になっている。現代の知的革新の名著、待望の新訳成る!
これまで何度か挑戦を試み、その度に跳ね返されてきた本書。先週末からインドに行く機会があり、その行きのフライトの中で読み始め、インド滞在の最初の2日間で読み切った。以前イアン・スマイリー『貧困を救うテクノロジー』をご紹介した際にも、「本書を理解する前提としてシューマッハーの『スモールイズビューティフル』を読んでおくと良いかもしれない」と書いていたので、前掲書の再読を果たしたこの8月、できるだけ間髪入れずにシューマッハーの著書にも挑戦すべきだと思っていた。今は終わってホッとしているところである。
本書はいろいろな立場の人がいろいろな読み方ができると思う。第2部第4章「原子力――救いか呪いか」なんて、福島以降論争が喧しい原発開発の可否について、シューマッハーが1967年には警鐘を鳴らしていたことがよくわかる記述になっている。また、以前クレア・ブラウン『仏教徒の経済学』をご紹介した際にも少しシューマッハーに関する引用をしたが、クレア・ブラウンの著書は『仏教徒の経済学』と銘打っている割には「持続可能な開発」全般の啓蒙書のような感じだったが、『スモールイズビューティフル』の中の第1部第4章「仏教経済学」の方はもっとシンプルに「仕事」というものの捉え方についての従来の経済学と仏教経済学というところに絞っての違いとして論じられている。
元々著者が各所で行った講演や執筆論文をまとめた本なので、取りあえずテーマに合わせて1章ずつ集中して読むというのでいいと思う。通読すると、所々記述の重複もあるし、自分の関心と必ずしも合わない章はやっぱり読みづらく、どうしても時間がかかってしまう。『貧困を救うテクノロジー』の趣旨から言って、今回の読み込みで僕が注目していたのは「中間技術」に関する記述だったので、特に第3部の最初の3章――「開発」「中間技術の開発を必要とする社会・経済問題」「二〇〇万の農村」あたりを集中的に読み、そしてマークした。
結論から言ってしまうと、中間技術に関する記述は、デジタル・ファブリケーションの技術が進んだ現代に、さらに妥当性が増しているように思えてならない。シューマッハーが仏教の考え方を取り入れているからというわけではないが、本書の論点はブータンには特にマッチしているように思える。下院議員選挙運動期間に突入し、各政党がマニフェストを打ち出している。ちゃんとした比較分析はまだしてないけれど、各党のマニフェストに貫かれる横断的理念のようなものがあってもいいと思うが、それに援用できそうな主張が本書には多いと感じた。
例えば、今のブータンではどこの政党も「若年失業者」の問題を重要政策課題として取り上げているが、それではどこで雇用吸収するのかという点は必ずしも明確にされていない。この点シューマッハーは明確で、「開発努力の少なくとも相当部分を、大都市ではなくて、直接農村と小都市に注ぎ、ここに「農工業構造」を創り出す必要がある。この点に関連して強調すべきことは、仕事場、それも何百万という数の仕事場が第一に必要だということである」(p.229)と述べている。すごく儲からなくとも、少なくとも働いている実感を持ってもらうのに、農業にも従事するし、小規模製造業にも従事するというような仕事のスタイルを示唆しているという点でも注目したい。「人びとの第一の願いは、なんらかの仕事について小額なりとも収入を得ることである。自分の時間と労働とが社会に役立っているという実感をもてば、はじめてこの二つのものの価値をさらに高めようという意欲が湧いてくる。だから、みんなが何かを作るほうが、一部少数の人がたくさんのものを作るよりだいじなのである」(p.230)とも述べている。
そのための方法論、農村と小都市に何百万という数の仕事場をどう作り出すかについて、著者は4つの具体的な提案をしている。
一、仕事場は人びとが現に住んでいるところに作ること。彼らが移住したがる都市部はできるだけ避ける。そして、この4つの提案で求められる要請を満たす条件として、①開発に対して「地域的な」取組みをすること、②「中間技術」を開発し、適用していくよう意識的に努力すること、を挙げている。
二、仕事場を作るコストを平均してごく安くし、手の届かないほど高い水準の資本蓄積や輸入などに頼らずに、数多く作れるようにすること。
三、生産方法を比較的単純なものにして、生産工程をはじめ、組織、原料手当、金融、販売等においても、高度の技術はできるだけ避けること。
四、材料としては、おもに地場の材料を使い、製品は主として地場の消費に向けること。
(p.232)
このあたりを見ていくと、21世紀の今を生きる僕たちが得られる示唆として、それなら地域をターゲットにした製品開発を、人々が自分たちで中間的技術開発によって創り出す、この中間技術開発にかかるコストを下げるために、公的部門主導で技術開発を支援できる組織を地方に創る、という方向性が考えられる。
―――これって、地方にもメイカースペースやファブラボをもっと創っていくことを示唆しているとは言えないだろうか。
この章の後半、中間技術を発展させる3つの道として、著者はインドのガドギル教授を引用し、次のように述べている。
第一の道は、伝統工業の在来技術を使い、これに先進技術の知識を加味して適当に改良することである。改良であるから、現在の器具、技能、手順は一部は残る。……伝統技術を改善していく過程が重要である。(後略)
第二の道は、最新の技術を出発点として、これを適正技術の要求に合うように改造することである。……場合によっては、この過程で現地で手に入る燃料や動力の種類といった特殊事情への調整も行われよう。
第三の道は、中間技術を確立するために直接実験と研究を行うことであろう。(p.247)
著者によれば、中間技術開発に必要な知識は既にだいたいあるという。あるけれど、整理されてすぐに手に入る形にはなっていないというのが問題だという。そして、開発協力実施機関に対しても、「知識の援助」「役に立つ知識を贈ること」を求めている。
モノを贈ると、受け手に依頼心を起こさせるが、知識の贈り物は―――もちろんそれが正しい知識だと仮定して―――独立心を与える。この贈り物は、また効果が長続きするし、開発という概念にぴたりと合っている。ことわざにあるとおり、人に魚を与えてもその場限りの助けになるだけだが、釣りを教えれば一生の助けになる。さらに一歩進めて、釣り道具を与えるとなれば、かなりカネがかかり、その結果も必ずしもよいとは限らない。かりにそれが役に立ったとしても、もらい手がこれで食べていくには、絶えず道具の補給を受けて相手に依存することになる。ところが、道具の作り方を教えてやれば、もらい手はこれで自活できる上、自信も湧き、独立心も出てくる。
これこそ、今後援助計画の中心課題となるべきものである。つまり、適切な知識の贈り物、自助の方法についての役に立つ知識の贈り物を十分に与えて、受け手を自立、独立させることである。(pp.257-258)
やや冗長な記事になってしまったが、最後にひと言、本書の中で、今回読んでみて最も印象に残ったキーワードを以下に記しておく。
「大量生産ではなくて大衆による生産」―――そして、僕らのような一般市民が生産を行える場所として、メイカースペースやファブラボがある。既にブータンにもティンプーにはファブラボはあるが、一般市民が気軽に行って、ラピッドプロトタイピングに取り組めるところまでは未だ到達していない。そういう人々にアドバイスができ、同時にちょっとした実験や研究開発を進められる人材を育てるところも併せて進め、いずれは市民が広くアプローチしてものづくりにいそしめる、そんな環境ができてこればいい。また、そうした人がティンプーだけでなく、地方都市や周辺の農村部でもアクセスできるよう、ファブラボはもっと地方にできていくべきであるとも思う。
◇◇◇◇
今回も訳本には多くの箇所にマーカーで線を引っ張った。自分が今書いている本の最後の章の最後の節を埋めるためにも本書の記述はかなり有用で、できれば原書ではどう書かれているのかを知っておくことも必要だと考えた。そこでキンドルで原書を入手し、同じくマーカーで線を引っ張りまくった。あとちょっとで原稿は出来上がる。
Small is Beautiful: A Study of Economics as if People Mattered
- 作者: E.F. Schumacher
- 出版社/メーカー: Vintage Books
- 発売日: 1993/10/27
- メディア: ペーパーバック
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