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『おどろきの金沢』 [読書日記]

おどろきの金沢 (講談社+α新書)

おどろきの金沢 (講談社+α新書)

  • 作者: 秋元 雄史
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2017/06/21
  • メディア: 新書
内容紹介
人口46万人、観光客は800万人! なぜそんなに人気? 金沢21世紀美術館特任館長が見た、聞いた、本当の金沢。情緒あふれるまち並み、穏やかな古都? いえいえ、とんでもない! 伝統対現代のバトル、旦那衆の遊びっぷり、東京を捨て金沢目指す若者たち。実はそうぞうしく盛り上がっているのです。よそ者が10年住んでわかった、本当の魅力。

著者の近著『直島誕生』については既にご紹介した通りであるが、『直島誕生』では、後に瀬戸内国際芸術祭に発展していく直島でのベネッセの取組みのモデル構築までが描かれている。時期としては2006年頃で、ここからベネッセは直島のモデルを近隣の島にもロールアウトする方向に舵を切るわけであるが、直島のモデルを福武会長の下で創り上げてきた著者は、この方向性に違和感を感じ、ベネッセを後にしている。そして、同じ時期に金沢市の山出市長(当時)から声をかけられ、金沢21世紀美術館の館長に就任するのである。

従って、本書は『直島誕生』の続編ぐらいの位置付けで、著者が金沢21世紀美術館の館長として過ごした10年間の足跡をたどりたいと考えて読み始めたものである。

僕は金沢とは縁もゆかりもない。周囲に金沢大学出身者はいるし、ブータンにいるとShare金沢の話は時々耳にもする。金沢にいらっしゃる方からの問い合わせもたまにある。でも、僕が金沢を訪れたのは社会人1年目の最初の夏休みに1人で能登半島1周ドライブを敢行した際の1回きりである。なので、金沢を知りたいというよりは、著者が金沢で10年間、何をやり、何を見てきたのかを知りたくて本書は手にしたに過ぎない。

ただ、結果的には、この本は勉強になった。金沢で暮らしていらっしゃる方が、なぜそういう発言や行動をされるのか、なぜブータンでそういうことをやろうとされているのか、そんなことを理解するのには、金沢がどんな街なのか、予め知っておくのは意味があることだと痛感させられた。

特に参考になったのは、著者が金沢21世紀美術館館長に就任されて以降に手がけたとされる現代アートと工芸の交流促進に関する行である。

 工芸と現代アートは、平たくいうと立場を異にするふたつの創作領域だ。前者は、素材や技法を守り、発展させて「継続」させることが命題となる領域である。工芸は制作プロセスがひじょうに複雑で、それぞれの工程に優れた職人がいないと完成できないものもある。何代にもわたる職人や作家の、熱心な研究努力の積み重ねの果てに、伝統的な技術や技法が受け継がれ、こんにちのすばらしい技巧的な作品を生みだしているといってもいい。その技巧や技法こそが、ある意味では日本の美術の最も大きな特徴でもあるのだ。
 一方、後者は、価値(階級)闘争を繰り返し、前の時代を根絶やしにする西洋美術の流れの先に起きたものである。19世紀の社会変革時代を経て、美術とは、作家がもつ見方や考え方の「個」の表現が前提で成り立つものになった。そして、それが社会とどのように対峙するかという社会との関係を問題にする美術なのである。
 このように、ふたつの創作領域は、もともと立ち位置がちがうものであり、優劣をつける必要のないものだ。伝統工芸と現代アート、実はどっちもスゴいのである。

この、伝統工芸と現代アートの相克って、そのままブータンでも当てはまるかなと思ってしまった。今のところは伝統工芸の方が圧倒的に優勢で、現代アートの方は作家の梁山泊的な施設がティンプーには1カ所あるが、非常に狭くて常設の展示などはとても行えるような状況にはない。ましてや、著者が直島や金沢で仕掛けた現代アート作家が地域にうって出て、作品をつくるプロセスに市民や展示する土地を何らかの形で巻き込むというところは、今は何もないからそういう発想さえあれば実現しやすいかもしれないが、おそらく実際に行動を起こしていくと、今まで目に見えてなかった制度や社会の壁というのが明らかになってきて、困難に直面することがあるだろう。

一方の、現在優勢な伝統工芸の方は、まさにここで言われているような行動様式が支配的だといえる。

 現代の工芸界は、ほぼ制作者からできている。制作者の意見しかないといってもいいほどだ。研究者、評論家が少なく、評論が希薄な世界なのである。これだけ数多くの工芸ジャンルがあり、すぐれた作家がいるにもかかわらず、現代の工芸について研究したり、評論したりできる専門の学芸員や研究者は、国内に10人ぐらいではないだろうか?(中略)古い工芸を研究する研究者はいる。ところが、陶磁、漆芸などを研究している研究者に研究対象を聞けば、「江戸時代までです」という人たちばかりだ。(中略)「現代」を研究の対象とする現代アートの世界からすると想像を絶する。
 私は、これは工芸界の不幸だと思う。なぜなら、評論や研究による相対化や客観化は、次のステップには重要な要素だからだ。工芸のつくり手の、ときどき顔を出す偏った集団主義には問題があるが、一方で、研究者、専門家がいないことはもっと大きな問題である。

これを著者は館長としてどんどん変えていったわけである。今金沢で伝統工芸に携わっておられる方々が、現代アートとの相克を経てどのように変わって来られているのかには興味があるところだ。そういう方々が、ブータンの伝統工芸の継承の取組みをご覧になった場合、どのような化学反応が生まれるのだろうか。また、ブータンで伝統工芸だけではなく細々とした現代アートの取組みをご覧になられて、それをベースにしてブータン的な「伝統工芸と現代アートの出会い」をアレンジ出来たら、ひょっとしたら面白いのかもしれないなとは思った。

直島も金沢も、自分が引退したら、一度は訪れてみたいと思う。

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