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『宮本常一 旅の手帖-愛しき島々』 [宮本常一]

宮本常一 旅の手帖―愛しき島々

宮本常一 旅の手帖―愛しき島々

  • 作者: 宮本 常一
  • 出版社/メーカー: 八坂書房
  • 発売日: 2011/10/01
  • メディア: 単行本

内容(「BOOK」データベースより)
「旅の鉄人」が歩いて感じた日本の原風景。貴重な紀行文、調査記録を収載。

本書は発刊は2011年だが、1981年に73歳で逝去している民俗学研究者宮本が、生涯かかって訪ね歩いた日本各地の離島の人と暮らし、地域の歴史について、各所で行った寄稿や講演の内容が収録された1冊となっている。中心となっているのは1960年代だと思うが、塩飽諸島や小豆島の島々に関する記述は比較的新しく、本四架橋の計画の問題点を指摘する形でまとめられている。読んでいると本四架橋に反対の立場では必ずしもないと思えるが、これらの島の住民の要望を十分汲んだ架橋計画になっているのかという点は厳しく突いている。

僕がこれを読んだのは、隠岐の島々に関する記述があったからだ。昨年12月のブログ記事で、「ブータン人が見た日本の離島」というのを取り上げたが、その昔隠岐島前の海士町を訪ねたであろう宮本が、海士について何を書いているのかをこの際知っておきたいと思ったからである。その目的は一応達成されたが、隠岐諸島全体の記述の中ではほんのわずかで、海士については、古くから隠岐諸島内でも最も開けていた島だったという記述が目についたぐらいだった。

むしろ面白かったのは、知多半島の先にある佐久島に関する記述だった。島民がより良い生計機会を求めて島外に転出するというのは宮本が歩き回っていた頃には既に全国各地で見られた減少だったようだが、島外に出かけて行ってその地で出身者のコミュニティを作り、島に残った人々との太いネットワークを維持していると、宮本はポジティブに描いていた。文脈は相当違うけれど、ブータンにも同郷人会のようなものがティンプーにはあるらしいので、同郷人会が都市と村とをどうつないでいけるのかを考えてみるには日本の都市部にある離島出身者の同郷人会の取組みを知ってもらうのも参考になるかもしれないと思った。

それとやっぱり本書のキモは、経済開発と地域社会のサステナビリティとのバランスだとも思う。本四架橋が通ることで、歴史的にも価値がある遺跡が壊される、漁場が台無しになる、橋桁は建設されるが島民は上方を通過していくだけの橋梁で交通上のメリットをほとんど受けられない等、様々な懸念が表明されている。このあたりは島に限らず、山間地に道路を敷設する際にもよくよく配慮しなければならない話が含まれているように思う。

こういうことが昭和30年代とか40年代とかに既に指摘されていたという点、そして、それに対する配慮も十分なされないうちに開発事業はどんどん進展し、結果地域が衰退してしまったという日本の教訓、これらは僕たちの反省として十分理解し、ブータンの人々に知ってもらうよう努める必要があるというのを改めて痛感した。

本書のあとがきとして、同じく民俗学者の田村善次郎が、宮本の昭和40年(1965年)の寄稿「島に光を」を転載している。田村によれば、宮本の離島に対する思いが端的に描かれているというので、僕も又引きさせてもらおうと思う。

◇◇◇◇

 離島に住む人びとにとって、それが大きい島はともかくとして、小さい島で、海を対象に生きていたものには、海が次第に沈黙を守りはじめていることは何よりもさびしいことなのである。
 魚がとれなくなり、また島に寄り来る船が減って来る。たとえ通るにしてもそれは沖を通りすぎるだけである。この海をもう一度明るくにぎやかにすることはできないものであろうか。
 なかには島が観光地になって多くの観光客が来てにぎわっているが、島民にはそれがかえって心をさびしくさせる。「暑い日に田の中を四つん這いになって草をとっていると、観光バスが砂ぼこりをたててすぎてゆく。バスの中の観光客は涼しそうな顔をしてキャアキャアいっている。何でそいつらの砂ぼこりをあびなければならないのかと思うと仕事なんてする気がなくなります」と佐渡のある青年はいった。
 自分たちの、自分たちだけのものであった世界が周囲のものに荒らされて、その生産や生活体系がはてしなくこわされていく。これでよいものであろうかと思う。
 利益追求のみの資本攻勢から島を守らねばならぬと思うが、島はすでに自分たちの力だけでは再建できないまでになっている。その一番欠けているものは何であろうか。若い者が島を捨てるだけではなく、島を立て直し島を発展させていくための知識と技術を持った者がほとんどいなくなっていることである。
 すぐれた知識とアイデアを島に導入する方法を考えなければならぬ。どうすれば死の海を生きた海にすることができるか、また自分たちの海にすることができるか。
 島民が自主的な生活権を恢復したとき島は明るさをとり戻すはずである。そのために必要な知識の導入ができる方法を皆で考えたい。


◇◇◇◇

離島でなくても離村全般について同じようなことが言えるのではないか。ここで書かれたことを今のブータンに置き換えてみることで、僕らは自分たちのポジショニングを、時折自己点検する必要があるように思える。

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