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『クリエイティブ・クラスの世紀』 [持続可能な開発]

クリエイティブ・クラスの世紀

クリエイティブ・クラスの世紀

  • 作者: リチャード・フロリダ
  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2007/04/06
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
アメリカの都市経済学者リチャード・フロリダによれば、世界経済は「クリエイティブ・クラス」と呼ばれる新しい価値観を共有する人材がリードする、クリエイティブ経済の段階に入ったという。本書は、この産業革命以来の大変化に適応するために、それぞれの国、都市、企業そして人材に必要な変革の条件を明らかにする。

今月15日、日本からブータンに戻ってくる飛行機の機内、及び羽田空港までのリムジンバス、バンコクでの乗継時間中も合わせ、この300頁を超える本を読み切るためだけに時間を費やした。残り80頁というところでブータンに戻って来れたが、先週の週末は続けて本書を読み切るのに相当な時間を充てた。それからすぐに感想を書きたいと思ったが、戻ってからの1週間があまりにも慌ただしかったので、その時間をどうしても作ることができなかった。

元々、この本は、一時帰国から戻った最初の1週間の間に予定されていた2つのイベントでの話のタネにしようと思い、敢えてその直前に読み込みをぶつけたものだ。購入してから1年以上経過しているが、こういう何かしらの目標を決めないとなかなか集中して読み込みというのはできない。しかも話のタネにするのであれば実際に原文ではどう書かれているのかも確認せねばならない。そのため、本書を読了後、原書Richard Florida (2005), The Flight of the Creative Classの電子書籍版をキンドルでダウンロードして、該当箇所にマーカーで線を引きまくるという余計な作業もやった。これが結構時間を喰った。

The Flight of the Creative Class: The New Global Competition for Talent

The Flight of the Creative Class: The New Global Competition for Talent

  • 出版社/メーカー: HarperCollins e-books
  • 発売日: 2010/01/07
  • メディア: Kindle版

都市経済学者として、著者は相当数の著作があるが、その中でも割と初期の著作ではないかと思われる。かなりラフかもしれないが、その後の著作となる『クリエイティブ都市論』や『クリエイティブ資本論』でも展開されていく「クリエイティブ・クラス」の概念を初めて提示した著書である。原書の発刊年(2005年)を考えると、米国の政策に関する記述はちょっと古くて要注意だ。ブッシュ政権の頃の話だ。しかし、オバマ大統領の時代はともかく、トランプ大統領になって以降は本書の議論は有効ではないかと想像する。むしろ、今の方がもっと有効になってきているように思える。

ダイナミックでかつ広範に変化する経済においえは、従来の常識を打ち壊すクリエイティブな産業こそが、これからの繁栄を支えることになるだろうと著者は考え、クリエイティブな人材の獲得競争がグローバルに展開されている中、米国は多様性や新しいアイデアに対する寛容度を低下させグローバルな才能が米国に集まってくることを拒否した。これは米国の持続的な成長への大きな脅威だと著者は言う。グローバルな才能獲得競争力を国レベルで指標化する試みを本書では提示している。「テクノロジー(技術)」「タレント(才能)」「トレランス(寛容性)」という「3つのT」を基準に比較するものだが、これで既に米国の順位低下が始まっているという。しかし、一見するとこの指標での比較は、グローバルな才能の獲得を巡り、国と国が競争しているように見えるが、実際のところは、都市と都市の競争であり、米国内でも、クリエイティブな経済の拠点として成功している都市と、低迷が著しい都市との違いが顕著に出ているのだという。本書では、経済成長における開放性の重要さを示し、経済の長期的成功は、人間一人ひとりのクリエイティブな可能性の強化にかかっているとの主張が展開されている。

もう1つの論点は、クリエイティブな人材とは全労働力人口の3割程度だが、残りの7割がまったくクリエイティブでないかというと、条件次第でクリエイティブになっていうポテンシャルを持っているのだという点である。環境さえうまく整ったらもっとクリエイティブになれるという主張は、新しいことを始めるのに超慎重でリスクを取りたがらないブータンの若者の心にも響くような気がした。

私たちはだれもがクリエイティブであることを認識する必要がある。労働力の三割を利用し、残りの七割は蓄積させたままというやり方では、もうこれ以上繁栄を続けることはできない。むしろ、私たちはクリエイティブ経済が引き起こした根本的な緊張を緩和するメカニズムや政策を導入し、完全にクリエイティブな社会を作るようにしなければならない。先に進むためには、単にクリエイティブ経済の生産方式の追求だけでなく、クリエイティブな社会構造の構築を目指すことが必要なのである。
 この解決法は、大きな政府という古い概念を超越している。市場メカニズムだけではいけないのと同じく、一部のパブリック・セクターが活発に動いたところで解決できるものではない。クリエイティブ時代の対立と格差の増大に対する答えを発見し実行するには、地域の大学や公立学校のシステム、復員兵保護法や研究開発に対する国家的な投資プログラムにおいて、ニュー・ディール政策が小さく見えるほどの大胆な施策が必要だろう。こうした施策には、あらゆる主体のエネルギーを要求する。それは企業、政府、大学、市民セクターであり、国全体を引っ張っていくエネルギーを発揮する際に絶対的に重要な資源となる一般市民一人ひとりである。(pp.26-27)

冒頭、本書をネタに話をする可能性として2つのイベントがあると書いた。1つは前回もご紹介したファブラボ・ブータンである。案の定何かしゃれべれと主催者から言われたので、僕は上記の記述を引用して、ファブラボは既にクリエイティブな三割の人をよりクリエイティブにするだけでなく、慎重で臆病で全然クリエイティブには見えなくて本人たちも自分はクリエイティブだと思っていない残りの七割の人々の鎖も解き放ち、普通の人でもクリエイティブになることを助けてくれる仕掛けだと強調した。言い換えればイノベーションの民主化、モノづくりの分権化だ。うまく活用していけば自分自身が変われる。利用するかしないかはあなたたち次第だ云々。

もう1つは、科学技術教育への示唆だ。ここの国では、先進国の間で工業化時代から受け継がれてきた、組立てライン作業者を輩出することを目的としたような教育システムが採用されているが、著者によれば、これから必要なのは、クリエイティブ時代の価値観、優先課題、必要性に即して、それを強化できる教育なのだという。しかも著者は、才能と寛容性の砦として、大学の役割を非常に高く評価している。

実はもう1つ、この本の記述を話のネタにできる場があるのだが、それは置いておく。

一粒で二度、三度味わえるという意味で、本書の費用対効果は高いと思う。取りあえず超多忙の先週1週間を乗り切ることができたのは、本書のお陰だと思っている。

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