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ブータン国際マラソン参戦記 [ブータン]

高橋尚子さんが1月にブータンに来られた際、ブータンが陸上長距離の高地トレーニングには結構向いているかもとブログでも書いたが、それじゃあブータン国内で開かれるマラソンの最高峰がどんな大会なのかもご紹介した方がいいと思い、3月4日のブータン国際マラソン(以下、BIM)を自ら経験してみることにした。僕にとっては1998年のいびがわマラソン以来、なんと19年ぶりのフルマラソン挑戦である。

ブータン五輪委員会(BOC)の方に聞いたところでは、昨年の参加者は350人ぐらいだったそうだが、あまりにもショートノーティスな募集で、外国のマラソン愛好家からクレームが付き、今年は昨年12月末から募集を開始し、おかげで昨年よりも多くのランナーが集まったそうである。

去年のコースは知らないが、今年はガサ県内のスタート地点からプナカ・ゾンまでの一方向のコースとなっている。スタート地点の海抜は1800メートル弱、プナカ・ゾンは1200メートル強で、高低差は約500メートル、しかも基本的に下りである。ガサまでの道路は、最近ようやく車が通れるようになったぐらいだから、フルマラソンのコースの最初の10キロほどは、未舗装の不整地を走ることになる。トレイルランの延長のようなコースだ。

コースが一方通行だから、当然、ランナーはスタート地点までバスで輸送される。当日朝5時50分、フルマラソンの部参加者は送迎バスに乗り込み、42km先のスタート地点に移動する。1時間30分のバスの旅だったが、周辺に座っていた外国人ランナーと話していたら、わりとあっという間に着いてしまった感じである。僕のまわりには、隣りのアッサム州から車ではるばるやって来たというインド人ランナーや、家族の仕事の関係で米国に住んでいて、米国内のフル、ウルトラマラソンに出まくっているというブータン人女性ランナー、世界各地のウルトラマラソンを転戦していてお互い顔見知りという香港人美人ランナー、タイ人シニアランナー等が座っていた。話を聞くだけでも飽きない。東京マラソンに6回出たという人もいた。皆BIM発参加である。

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《アッサムから来たランナーとツーショット》

7時20分、バスを降りる。スタート地点が急峻な山に囲まれた谷間で、吐く息が白いというのに驚かされた。プナカの前日の最低気温は12度だったので、僕はスタートから半袖Tシャツ1枚で走るつもりでいたが、この寒さはつらいと思い、念のために準備してきていた長袖Tシャツを着重ねすることにした。 しばらく待っていたら、後続のバスに乗ってきた知り合いのブータン人ランナーにも会った。去年のBIMのハーフの部で女子1位になった女子大生ランナーで、これが初フルだという。

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《女子優勝候補とパチリ。結局優勝した》

8時、レーススタート。このコースは基本的には500メートルの下りであるが、最初の5キロの下りの急さ加減と、未舗装で石がごつごつとむき出しになっている不整地の下りコースに戸惑った。こんな不整地を走る練習は今まで全くしてないし、しかもそれが急な下りなので、バランスを崩すとぎっくり腰になりそうだ(僕は腰痛持ちである)。それなりにそろそろ走ったつもりだが、この下りは後半にツケが回ってくるのではないかと気になった。今から思えば、この前半の下りでもう少し自重していれば良かったと思う。

目標は4時間20分だったが、前半は少しペースを上げ、後半粘るというのが僕の計画で、そのためガス欠対策だけは相当入念にやって臨んだ。しかし、前半、舗装道路に入ってからの下りで胸の痛みを感じ始め、ペースが思ったように維持できなくなった。これも今から思えば高地の影響だろう。僕は海抜2300メートルのティンプーで練習していたが、レース本番直前の3週間を日本で過ごしていたので、高地トレーニングの効果を使い果たし、心肺機能が低地バージョンに切り替わってしまっていた。その状態で海抜1800メートル地点から走り始めたのだから、やっぱり心肺機能には負担がかかった可能性がある。

それでも中間地点は2時間でクリアした。一応サブ4ペースだ。しかし、その直後の上り坂で胸の苦しさが我慢できなくなり、ここで初めて歩いた。胸の苦しさを緩和するため、平坦地や下り坂でも相当ペースを落としてそれでも走ろうと試みたが、30キロ地点から34キロ地点までの間にあった急激なアップダウン、トレイル、吊り橋、そして下り階段で完全に足をやられてしまった。 1カ所痛みが出るとそれをかばって走るので別のところが痛くなる。それに繰り返しだった。

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《マラソンコースに吊り橋!走り終えるとその先には下り階段!》

プナカ・ゾンの対岸からクルタン橋までの下り5キロは、強烈な日差しを遮るものもなく、しかも下流から吹き上げてくる向かい風が強かった。プナカとクルタンの位置関係はわかっていたつもりだったが、1つカーブを曲がって下流が見渡せるポイントに行って橋が見えないと気力が萎える。そしてもう1つカーブを曲がってクルタン橋がはるか遠方に見えると、まだあそこまで行かないといけないのかとさらに気持ちが折れそうになる。この区間、両足の、特に親指とふくらはぎの下の部分に激痛があり、どうしても走れない。本当は歩く一歩一歩もきつかったのであるが、さすがにゴールだけはなんとか切りたいと思い、とにかく歯を食いしばって歩いた。

クルタン橋手前のエイドステーションで、5分ほど費やして消炎鎮痛剤を右足に塗り込んだ。多少痛みは緩和された感じはしたので、クルタン橋を渡ってプナサンチュ川左岸を遡るプナカ・ゾンまでの残り5キロは、上り区間を除いてできる限り走った。そしてラスト2キロは踏ん張って休まず走った。

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《プナカ・ゾンの撮影ポイント。普段なら車で通り過ぎてしまう場所》

走破タイムは5時間20分。1992年の初マラソンの時よりも30分悪い。目標からは1時間遅れだ。ゴール地点のプナカ・ゾン周辺は気温15度はあったので、スタート時点との気温差も大きく、自然条件が相当厳しいレースだった。また、欲を言えば1キロごとの距離表示を設けて欲しかった。このコースではスマホがGPSのシグナルを受信できず、もっぱら腕時計のラップ計測機能に頼らなければならなかったが、肝心の距離表示がないので、ペースが掴みづらかった。

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《タイム悪くても、ゴールした時は感動する》

このレースに向けて、僕は昨年11月から準備に入り、特に1月、2月は月間200キロを走っている。練習をこれだけ積んでもこの惨敗。もう少しトレイルを走る練習を積んでおかないと、BIMは厳しいなというのが正直な実感である。ロードレース用のシューズでは意味をなさない。下りがきつすぎて、親指がシューズの先に当たり、爪が死んだ状態になった。あとは、入りの10キロを相当自重していかないと、後でその負担が効いてくるというのも。

このレース全体を通してありがたかったのは、BOCの会長であるジゲル王子が、マウンテンバイクにまたがってコースを巡回され、ランナーを応援して下さったことである。僕はスタート地点で陛下に挨拶していたので、陛下も覚えていて下さり、都合3回すれ違った際、毎回声をかけていただいた。苦しいレースだったけれど、この時だけは頑張って足を前へ前へと動かした。また、吊り橋の中央ではBOCの事務局長が応援しておられた。こういうところはブータンぽくっていいなぁと思う。

また、ハーフ男子の部の優勝者は日本の星槎大学から派遣されてきていた学生さんだったらしいが、何せ僕のゴールタイムがショボいので、会ってお話することもできなかった。

今年は惨敗だったので、これを教訓として来年もう一度出てみたいと思う。その時は直前に日本に帰るようなことはせず、ティンプーで練習を積むようにしてみよう。また、今回はハーフを走る仲間4人と一緒に出たが、今年出た仲間は「楽しかったので来年はフルを」と言っている。是非やりましょう。皆チームユニを着て目立てるといい。

BIMはタイムを狙うよりも風景を楽しみながら楽しく走るのが大切なのかもしれない。外国から来られたランナーは皆、途中で立ち止まっては風景や沿道の人々の写真を撮りまくっておられた。

タグ:マラソン
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