SSブログ

『空海入門』 [読書日記]

空海入門―弘仁のモダニスト (ちくま新書)

空海入門―弘仁のモダニスト (ちくま新書)

  • 作者: 竹内 信夫
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1997/05
  • メディア: 新書
内容(「BOOK」データベースより)
空海は生まれながらに真言宗祖だったのではなく、自身の自己探求の歩みの帰結としてそうなったにすぎない。人間空海を導き、つき動かすものは、純粋無垢な菩提心だった。山と都市、高野山と平安京、唐代中国と日本、重なり合う複合的な磁場のなかで自らを形づくり、日本文化の設計者となった天才的個性の生涯。

何なんだこのテーマは!?―――と思われる方もいらっしゃるかもしれない。最近このブログで取り上げている記事の傾向からいって、ここで「空海」が出てくるというのは意外だろう。でも実はそうではない。ブータンに来てチベット仏教について多少なりとも知っておきたいと思ったとき、最も手っ取り早い密教へのエントリーポイントは、日本語で空海関連の文献を読むことだと考えたからである。ただ、いきなり思想の方に入っていくのも大変なので、空海の生涯について描かれた伝記からスタートしようかということで、本書を手に取った。

僕の実家は浄土真宗大谷派なので、そもそも真言宗との接点はさほどない筈なのだが、実は僕は「空海」の名前も満濃池を作った人であることも、小学校で日本の歴史を学ぶ高学年になる以前に知っていた。どういう経緯なのかわからないが、実家には空海の生涯を漫画で描いた冊子があった。そんなに分厚い本でもなく、ページをめくったら漫画だったくらいのイメージだ。自分の勝手な想像だが、近所にあった真言宗のお寺とのお付き合いの中でいただいたものだったのではないかと思う。(これとの関連性もよくわからないが、僕はこの頃に「青の洞門」のことも何かの漫画で読んで知った。ほんと、自分の記憶力のいい加減さには情けなくなることが多い。)

今回の空海再訪はそれ以来のこと。僕の知識は平安時代初期の「最澄と空海」というセットでインプットされている程度のものに過ぎない。日本史のテスト問題用の暗記知識でしかないし、両者の違いとか訊かれても全然わからない。

そんな状態だから、先ずはその生涯を学ぶというのからのスタートになる。
本人がちゃんとした記録を残していない限り、歴史上の出来事に関しては憶測の余地が相当に入ってきてしまう。良識ある研究者であれば、引用する史料の背景についても、それが本人が著したものなのか、後世に別の人間が見分したことをまとめた二次史料なのかを峻別し、その信頼性にもウェートを付ける。後者の場合は、第三者の勝手な解釈がそこに介在するので、情報の信頼度はかなりの割引が必要になるだろう。

では一次史料重視で行くとしても、今度は本人が書いたことの解釈の仕方でも様々な見解が出てくる可能性がある。毎日こまめに何をやったか、何を考えたか、誰と会ったか等を記録した日記ならともかく、たいていの場合の一次史料は、当のご本人がその思うところを整理して文章化した、いわば自分の思想を世に問うことを目的として書かれたものなので、著者本人のふだんの言動、行動に関する事実を述べたものでは必ずしもないのである。

そう考えると、歴史上の人物の伝記を書くのはかなり難しい。特に、その活躍した時代というのが1200年も前だというと、雲をつかむような話になってしまう。

それに敢えて取り組んだというのが本書。できる限り一次史料を頼りにし、しかも実際に空海の歩いた道を自身で辿ってみて、そこで見える風景を追体験することで、そこで何を感じたのかを考えてみるという手法を取っておられる。それでも埋まらない解釈の部分は依然存在する。諸説挙げたうえで、自分はこう見るという書き方をされている。

従って、正直言うと読みにくいなと感じるところも多くあった。読み始めから読了までに時間がかかったのは、そういう、あっちに行ったりこっちに行ったりという記述があったからである。歴史研究家は原書からの引用を著書の中にふんだんに取り入れるが、ここは実は読者からすると読むのが大変で、「要は何なの」という手っ取り早く答えが欲しい僕みたいな読者には難所としてそびえ立っていた。

だから、ちゃんと空海の生涯を理解できたのかというと、ちょっとどうかなという気はしている。自分なりにこんなことかなと漠然と思っていることを書いてみる。

僕らは空海は「真言宗」という新たな仏教を学ぶために唐に渡ったのだと勝手に思い込んでいるが、実は渡航に当たっての空海の目的はそうではなく、単に新たな学問、知らないことをどん欲に学びたいという向学心に基づくものだったと見られている。唐の都で多くの人との交流を経て、結果的に良い師に出会い、密教を学ぶに至ったのだという。また、僕らは空海が帰国後真言宗を広めたという習い方をしたが、真言宗は広める宗派というよりも、ひたすら自己と向き合う宗派であり、最澄の天台宗のように、都に近いところで開山して世間に広めようというよりも、高野山のようなところで自然と向き合い、自らの悟りを大切にしているように思える。本書で印象的だったのは、やはり最澄と空海の比較である。

もう1つは、平安初期の弘仁年間を、著者が世界に目を開いたグローバル化の時代だったと捉えている点は印象的だった。日本からも遣唐使の派遣を受け入れていたくらい、当時の唐は世界の中心で、様々な地域から集まってきた人々が交流し、新たなアイデアやイノベーションが生まれた時代だった。そこで得たものを持ち帰った平安初期の日本も、そういう交流を推奨する素地が相当にあったようである。日本はその後遣唐使も廃止して徐々に内向き志向を強めていくわけだが、平安時代初期にそういう世界に開かれた時期があったという著者の指摘は、目からウロコであった。正直あまり興味があって見ていた時代でもないので、こういう新たな視点を得られるのはとても嬉しいことであった。

取りあえずは本書を以って空海の生涯を大づかみでは理解できたと思うので、次は真言密教の中身に入っていく読書を続けていきたいと思っている。
nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0