初体験、ハ・メラ [ブータン]
IMTRAT、54回目の創設記念日をハで祝う
IMTRAT celebrates 54th Raising Day in Haa
Kuensel、2016年10月17日、MB Subba記者(ハ)
http://www.kuenselonline.com/imtrat-celebrates-54th-raising-day-in-haa/
IMTRATフェア、大勢の観客を魅了
IMTRAT fair attracts thousands
BBS、2016年10月17日、Yeshi Gyeltshen記者(ハ)
http://www.bbs.bt/news/?p=62868
10月16日(日)、西部の山あいの町ハ(Haa)にて、メラ(お祭り)が開催された。主催は駐留インド軍(India Military Training Team、IMTRAT)。IMTRATは前夜15日夜に関係者を集めたディナーパーティーを開催、16日は様々な出し物が繰り出されるオープニング式典が開かれた。メラには多くのお店が立ち並び、17日まで開催された。
主賓は王立ブータン軍(RBA)のバトゥー・チェリン総司令官。IMTRATのジェイシャンカール司令官御夫妻とともに馬車で入場、式典が始まった。
前半の目玉はIMTRAT空兵隊によるスカイダイビングだったが、風が強いということで中止になった。
続く目玉は眩しい白のランニング・タイツ姿の男たちによる体操。なんだか日本の学校の運動会を思わせるような演目で、最後はタワーを作ってフィニッシュ。この構成、種目は違うけど、映画『ウォーターボーイズ』みたいだ。
その他、IMTRAT構内にある学校の生徒さんによる、インド各地の民族舞踊とか、地元ハの学校の生徒さんによるブータンの民族舞踊とか、地元テコンドー教室の生徒さんによる演武とか、IMTRAT音楽隊の演奏とかが続く。
そしてクライマックスは、シーク教徒に伝わる格闘技「ガタカ」のデモだった。
ガタカって格闘技だと紹介されていたが、格闘シーンを見せる演目はその中の一部で、むしろ格闘より徹底的に「見せる(魅せる)」ことを意識した内容だと思う。サーベルと盾を使ったチャンバラシーンはあったが、鉄球チェーンに火を放って振り回したり、蛍光灯を数本束ねて腹や背中、頭で割って見せたり、寝転んだ隊員のお腹の上のレンガをハンマーでたたき割ったり、寝転んだ隊員をバイクでひいたり・・・・・・。
―――やりたい放題。開いた口が塞がらなかった。
ハまでの行程は、ティンプーから車で3時間。愛車ぶっ飛ばして会場入りした。勿論ハ自体に行くのも初めてで、今回はご紹介していないが、1958年に京大の中野佐助先生が日本人として初めてブータン入りした際、ハで泊めていただいていたという当時のクマール・ジグミ・ドルジ首相の邸宅というのにも足を踏み入れることができた。先生の著書『秘境ブータン』、もう一度読み直してみて、ハの町のどこをどう先生がご覧になっていたのか、今一度考えてみたいと思った。残念ながら、中野先生がご覧になったハのゾンと首相邸宅は、それぞれIMTRATの司令部、司令官の邸宅となっている。
ハもかつてはインドとの国交の玄関口で、ネルー首相やインディラ・ガンディー女史が馬やヤクにまたがりブータン訪問したのもこの町経由だったと聞く。今は中国との国境に近いこの町は、中国と向き合うインドの重要な拠点となっている。この町でのインド人の多さは、メラという特殊なイベントの開催期間だったとはいえ、やっぱり尋常でないくらい多い。
しかも、IMTRATの駐留インド部隊の隊員、僕の話す英語を理解できず、全てヒンディー語での応対となった。ブータンに来て初めて言葉が全く通じないという経験をした。こんなんだったら、インド駐在時代にもうちょっとヒンディー語をちゃんと勉強しとけば良かった…。
IMTRAT celebrates 54th Raising Day in Haa
Kuensel、2016年10月17日、MB Subba記者(ハ)
http://www.kuenselonline.com/imtrat-celebrates-54th-raising-day-in-haa/
IMTRATフェア、大勢の観客を魅了
IMTRAT fair attracts thousands
BBS、2016年10月17日、Yeshi Gyeltshen記者(ハ)
http://www.bbs.bt/news/?p=62868
10月16日(日)、西部の山あいの町ハ(Haa)にて、メラ(お祭り)が開催された。主催は駐留インド軍(India Military Training Team、IMTRAT)。IMTRATは前夜15日夜に関係者を集めたディナーパーティーを開催、16日は様々な出し物が繰り出されるオープニング式典が開かれた。メラには多くのお店が立ち並び、17日まで開催された。
主賓は王立ブータン軍(RBA)のバトゥー・チェリン総司令官。IMTRATのジェイシャンカール司令官御夫妻とともに馬車で入場、式典が始まった。
前半の目玉はIMTRAT空兵隊によるスカイダイビングだったが、風が強いということで中止になった。
続く目玉は眩しい白のランニング・タイツ姿の男たちによる体操。なんだか日本の学校の運動会を思わせるような演目で、最後はタワーを作ってフィニッシュ。この構成、種目は違うけど、映画『ウォーターボーイズ』みたいだ。
その他、IMTRAT構内にある学校の生徒さんによる、インド各地の民族舞踊とか、地元ハの学校の生徒さんによるブータンの民族舞踊とか、地元テコンドー教室の生徒さんによる演武とか、IMTRAT音楽隊の演奏とかが続く。
そしてクライマックスは、シーク教徒に伝わる格闘技「ガタカ」のデモだった。
ガタカって格闘技だと紹介されていたが、格闘シーンを見せる演目はその中の一部で、むしろ格闘より徹底的に「見せる(魅せる)」ことを意識した内容だと思う。サーベルと盾を使ったチャンバラシーンはあったが、鉄球チェーンに火を放って振り回したり、蛍光灯を数本束ねて腹や背中、頭で割って見せたり、寝転んだ隊員のお腹の上のレンガをハンマーでたたき割ったり、寝転んだ隊員をバイクでひいたり・・・・・・。
―――やりたい放題。開いた口が塞がらなかった。
ハまでの行程は、ティンプーから車で3時間。愛車ぶっ飛ばして会場入りした。勿論ハ自体に行くのも初めてで、今回はご紹介していないが、1958年に京大の中野佐助先生が日本人として初めてブータン入りした際、ハで泊めていただいていたという当時のクマール・ジグミ・ドルジ首相の邸宅というのにも足を踏み入れることができた。先生の著書『秘境ブータン』、もう一度読み直してみて、ハの町のどこをどう先生がご覧になっていたのか、今一度考えてみたいと思った。残念ながら、中野先生がご覧になったハのゾンと首相邸宅は、それぞれIMTRATの司令部、司令官の邸宅となっている。
ハもかつてはインドとの国交の玄関口で、ネルー首相やインディラ・ガンディー女史が馬やヤクにまたがりブータン訪問したのもこの町経由だったと聞く。今は中国との国境に近いこの町は、中国と向き合うインドの重要な拠点となっている。この町でのインド人の多さは、メラという特殊なイベントの開催期間だったとはいえ、やっぱり尋常でないくらい多い。
しかも、IMTRATの駐留インド部隊の隊員、僕の話す英語を理解できず、全てヒンディー語での応対となった。ブータンに来て初めて言葉が全く通じないという経験をした。こんなんだったら、インド駐在時代にもうちょっとヒンディー語をちゃんと勉強しとけば良かった…。
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