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『定本 日本の秘境』 [読書日記]

定本 日本の秘境 (ヤマケイ文庫)

定本 日本の秘境 (ヤマケイ文庫)

  • 作者: 岡田喜秋
  • 出版社/メーカー: 山と渓谷社
  • 発売日: 2014/01/17
  • メディア: 文庫
内容紹介
昭和30年代前半の日本奥地紀行。1960年に単行本として初めて刊行された際は、秘境ブームを巻き起こした紀行文学の傑作。 戦後の復興を遂げ、都市部では好景気に沸き立つころ、雑誌『旅』(日本交通公社)の名編集長として知られた岡田喜秋氏が、 日本各地の山・谷・湯・岬・海・湖などを歩いた旅の記憶をまとめた紀行文18編を収載。 紀行の名手が紡ぎだす文章は、ときに鋭く、ときにやさしい。 高度経済成長の陰で失われていった日本の風景を描写した、昭和30年代の旅の記録としても貴重である。

ブータンの今を理解したいとき、いちばんいいのは、高度経済成長期を迎える前夜の日本の山村なんじゃないかとふと思った。そんな視点で読み物を物色していて、出会ったのがこの本。僕が生まれる前、昭和30年代前半の日本の、当時でも「秘境」と形容されたような土地を、著者が自ら歩いて、その土地の人々から話を聞いて、紀行文としてまとめたのがこの1冊である。

山、谷、湯、岬、海、湖という6つのテーマで、それぞれ3編ずつのエッセイが綴られている。とはいっても、僕が今までに訪れたことがある土地はひとつも扱われてはいない。辛うじて、北海道の野付岬は近くまでは行ったことがあるという程度だ。これが僕の故郷にほど近い奥揖斐の三国岳や八草峠あたりを歩いて書かれていると、ちょっと感慨もあるんだけど、そもそも揖斐川水系のドン突きでいちばん近場の集落から奥はほとんど民家がないので、秘境は秘境でもやっぱり歩くのには向かないのかもしれない。

それでもなお、自分の生まれ故郷の風景を思い浮かべながら読んだ。僕の記憶が辛うじて残っている奥揖斐の風景といったら僕が10歳くらいの時だから、著者が全国各地を歩かれた頃から既に20年近くが経過していた筈である。従って、僕が当たり前のように覚えている揖斐川水系に何カ所もあった水力発電所も、著者が全国各地を歩いておられた頃には未だ建設されていなかったものがかなりあったに違いない。

僕らが小学生の頃は、既に「過疎」という言葉がちらほらと聞かれ始めた時期だった。とはいっても、切り立った断崖をぬって走る細い道路を、対向車とすれ違うたびに崖下に転落しないかとひやひやしながら揖斐川上流に向かうと、かなり奥の方まで集落があった。既に若者は東京へ東京へと移動していた時期ではあったが、送り出す地方のコミュニティには、まだまだ多くの人口があったように思う。

これがそれよりも20年近く前の著者が全国の秘境で見たものは、コミュニティが共同で運営する湯池であったり、宿であったりしたわけだ。いつ通りかかるかもわからない旅人のために一軒宿を守る夫婦だったり、子女の教育のことを案じながらいつ異動の辞令があるかもわからない遠方の灯台守の夫婦だったりしたわけだ。また、当時はまだ戦後の名残りがあり、大陸や樺太から引き揚げてきた人々を収容して開拓が進められた比較的新しい土地もあったようだ。そういうところでは、集落ではなく、個々の家屋が点々と存在していたらしい。

そして、そういうところに、近代化の波が押し寄せようとしていた。1つは観光地化である。奥地にまで道路が整備されていき、早くから観光地として注目されていたような土地へのアクセスが容易になるにつれ、都会から観光客が訪れるようになる。そうすると、客をもてなす地域の側もどんどんすれてきて、情緒が失われていく。大陸や樺太からの引揚げ者が必死な思いで開拓開発を進めた土地に、近代的なユースホステルが建設される。

2つめは自殺志願者。昭和30年代前半から既にいたんだというのが興味深いが、当時既に足摺岬などはそれで有名になってしまっており、宿の部屋から客が半日出てこないと、志願者なんじゃないかと疑われたという。著者自身は自殺自体をどうこうは述べていないが、わざわざ都会からこんな遠く離れた土地まで来て身を投げなくてもいいじゃないかということは書かれている。

3つめは、養蚕の衰退。西上州の神流川流域は富岡にも近く、谷間では各世帯でカイコが飼われていたようだが、著者がこの谷間を歩いた頃にはすでに遺物的生業になってしまっていた。戦後未だ10年ちょっとしか経過していないのに、ナイロンの普及に追いやられてしまった。そして、敗戦直後の木炭不足の際に、山を唯一の資源とする村人たちは、根こそぎ木を倒して木炭を作った。やがて山は坊主になり、谷間を流れる川は氾濫するようになった。そして、その頃には家庭用薪炭の需要は低下し、各地で水力発電のダム建設が進められようとしていた。

そして4つめは、その水力発電。著者はセンチメンタルな価値判断は提示していないが、「渓谷美」と「電源開発」の相克がそこら中で起きていることは淡々と述べている。

「文明到来」は、今ブータンにも訪れている。幸いなことに、他の国々の経験を反面教師として、それが「悲劇」にならないようなバランス感をブータン政府も意識の高い市民の方々も持っておられるように思う。ただ、全ての人がそうだとは限らない。マイカーはやっぱり欲しいし、安定した仕事にはつきたい。物質的な豊かさを指向するのは当たり前のことで、僕らが清貧でエコな生活を人々に説くわけにはいかないのだと思う。僕らがせいぜい言えることは、昔の日本の山村はこんな感じだったけど、経済開発を優先して環境や社会とのバランスを置き去りにした結果、こんなんになっちゃいましたという、日本の経験を伝えることぐらいなのかなと思ってしまった。

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