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『「幸福の国」と呼ばれて』 [ブータン]

「幸福の国」と呼ばれて: ブータンの知性が語るGNH〈国民総幸福〉

「幸福の国」と呼ばれて: ブータンの知性が語るGNH〈国民総幸福〉

  • 作者: キンレイ ドルジ
  • 出版社/メーカー: コモンズ
  • 発売日: 2014/07/05
  • メディア: 単行本
内容紹介
南アジアの仏教王国ブータンの国是は「国民総幸福(GNH)」。GHNを生み出した現地文化とは? 日常生活とは? ブータンに生まれ育ち、そこに暮らす筆者の眼を通して、GNHの実像が等身大に伝えられる。GNPが伸びて、日本人は幸福になったのか? 日本が学ぶ点は多い。

ブータン行きが内定していた1月、ブータンゆかりの方々には早めにお伝えしたところ、その中のお一人が是非にと言って薦めて下さったのがこの本。先週、当地でお会いしたJICAの専門家の方からも、この本は今のブータンをよく描いているということで薦めていただいた。東京にいた頃は慌ただしすぎて全然読めなかったけれど、こちらに来て最初の週末が三連休になったことから、週末のうちに1冊ぐらい読んでおこうと考え、手に取った。

著者はブータンの日刊紙クエンセル(KUENSEL)の元編集長で、この訳本が出た2014年7月時点では情報通信省の事務次官を務めておられるとのこと。言いたかないが同姓同名の方は結構いらっしゃるようだが、2006年に国王から「ダショー」の称号を付与された偉い方らしい。日本との交流も結構あるようで、実は僕が個人的に存じ上げている方も本書では実名で登場する。クエンセルに派遣されていたJICAのボランティアだから当然か。

わりと最近の本だから、「持続可能な開発目標(SDGs)」なんて言葉も平気で出てくる。「私は、新目標の策定過程では「幸福」(happiness)や「良い生活」(well-being)といった用語が鍵概念になるだろうと予想します」(p.12)と書かれているが、実際、SDGsのターゲット17.19には所得に代わって人々のwell-beingを計測する手法を検討すると書かれている。著者の願いは、新目標が、「生きとし生けるものすべての幸福を慮った「新パラダイム」」(同上)として実現していくことを願っていると書かれている。

但し、世界の「持続可能な開発」への取組みに関してはやや厳しい見方もされている。

 「持続可能な社会」づくりは板ばさみにある。その考え方自体は批判されないものの、実現性に対しては懐疑の念が持たれている。失敗ではないが、成功したとも言えない。多少の進展はあっても、目に見える結果が伴わない。「持続可能な社会」づくりや気候変動への対応のような全世界的取り組みも、大きな会議に象徴される見世物以上の成果を生み出してはいない。(p.201)

「持続可能な開発」への取組みは、結局のところ各国各自が自分たちのできることをやっていくしかない。著者も、結局は答えは母国にあるとして、次のように述べている。

 GNHは自然環境の保護・保全にも力点を置き、「持続可能な開発」をも包摂する考え方である。ブータンの人たちは、生きとし生けるものの相互連関性を直感的に知っている。おそらく、今後私たちがブータンで気候変動対策や生態系保全に取り組むうえで、それが役立つに違いない。(p.205)

本書の翻訳者は、巻末の解説において、本書における著者の問題意識を次のようにまとめている。

ブータンの人たちは「桃源郷」で幸福感に充たされているわけではなく、日々生きることの苦悩や不条理さも感じながら過ごしている。したがって、「幸福の国」づくりのヒントを直截的に引き出そうとするよりは、不条理で苦悩の絶え間ない世のありようをまずは受けとめよう。そのうえで、それでもブータンが「幸福の国」と呼ばれるゆえんを掘り下げてみよう。(p.208)

そう、本書を読んでみると、盲目的にブータンは国民の幸福度が高くていい国だと思うことの短絡さを戒めていて、近代化の波と伝統文化の相克という大きな課題に直面している、いわば「等身大」のブータンを描いている。

日本人の僕たちは、1950年代から進む高度経済成長の中で、伝統文化というものをどんどん置き去りにして、経済成長と競争一辺倒の生き方をこれまでしてきた。そうしてこの歳になって振り返ってみると、大切なものを置き忘れた感覚を味わっている。近年、僕は父が仏教への帰依を強めてきた姿を少しは理解できるようになってきた気がするし、僕らが生まれる前、父や母がどのような青少年期を送ったのかを聞いて記録しておかなきゃと思うようにもなった。民俗学や歴史への関心も、同じような文脈で捉えることができる。行き過ぎた経済一辺倒路線の修正は、僕たち自身がその方向性を考えなければいけないもので、「ブータンから学ぶ」などといった平易な言葉では済ませられないものだと思う。

訳者流の言い回しで表現するとしたら、「日本が社会の変化にどう応じるべきかの真理は、これからも、日本人自身の日々の自覚と実践を通して追求されねばならない」ということなのだろう。

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《ティンプーの繁華街ノルジン・ラム大通りの様子。自動車が増えた》

村落生活を離れる人たちの世界観や優先事項は、新しい暮らしに合わせて移ろいゆく。そのため、村落で暮らし続ける人たちとの間ですれ違いや摩擦が生じてしまう。さらには、村落を出た人たちの新しい生活スタイルは村落にも浸透し、儀礼や慣習、自然環境を大事にしてきた従来の暮らしに影響を与える。(pp.219-220)

本書はこうしたブータンの社会の変化に向き合い、その懸念を率直に共有しようとする良書だと思う。お陰で農村生活の一端や、仏教の教え、今のブータンの政治経済を動かしている人々の昔の姿を窺い知ることができる。

また、本書の著者も含め、多くの有望な青年はインドに国費で留学する機会を得て、その知見を持ち帰って国づくりに生かしてきたが、著者が寄宿学校生活を過ごした北インドの学校とは、西ベンガル州カリンポンにあるドクター・グラハムズ・スクールと思われ、昔訪れたことがある身としては、著者に対して親近感を抱かざるを得なかった。

そのうち会う機会もあるでしょう。

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