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『蚕:絹糸を吐く虫と日本人』 [シルク・コットン]

蚕: 絹糸を吐く虫と日本人

蚕: 絹糸を吐く虫と日本人

  • 作者: 畑中 章宏
  • 出版社/メーカー: 晶文社
  • 発売日: 2015/12/11
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
世界一の生糸輸出国だった近代の日本。お金を運んでくれる虫と、私たちはどのように暮らしたのか。養蚕が生み出した文化と芸術を、気鋭の民俗学者が掘り起こすノンフィクション。

2012年のはじめ、僕はインドにおける日本とインドの蚕糸業技術協力の歴史をまとめて、1冊の本にした。その後、南インドの蚕糸業地域にはJICAの青年海外協力隊の隊員の方々が派遣されるようになり、隊員の皆さんは僕の本を参考にしながら現地で活動されているそうだ。僕の次の赴任国はインドじゃないけれど、地理的にはインドには近くなることから、機会があれば南インドをまた訪問して、僕がインタビューした養蚕農家の方々は今どうされているのか、追跡調査もしてみたいし、本を書くにあたって紙面の関係上あまり触れられなかった製糸や織物の話について、もう少し調べてみたいと思っている。勿論、青年海外協力隊の方々と交流させていただけるのも楽しみだ。

次に南インドを訪れる機会がいつ訪れるのかはわからない中ではあったものの、本を出してからの4年間、僕が意識してきたことはむしろ日本の蚕糸業の歴史をもっと勉強しておくことだった。本を書いたおかげで、国内ではいろいろな方々とのつながりができた。そうした方々に誘われて、行ってみた先では今まで知らなかった新たな発見もあった。イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読めば東北地方で養蚕が相当広い地域で行われていたことがわかるし、その名残が後に宮本常一によって改めて紹介されている。宮本の著作には東北に限らず、全国の農村で養蚕が普通に行われていた様子が描かれている。

養蚕自体が主目的でなかった数々の本の中から養蚕のピースをかき集め、それらを組み合わせることで1つの絵図を頭の中で作っておきたい――そういう思いからこつこつ続けていた勉強は、次に南インドを訪れて、特に若い協力隊員の方々との交流の中で、少しは役に立つこともあるかもしれない。また、僕が今度赴任する予定の国にも、産業と言うには規模も小さいけれど、養蚕や絹織物の産地がある。そういう生業を見る際の物差しとして、日本は昔どうだったのかを知っておくことは大事だと思っている。

さて、本日ご紹介の1冊は、その蚕糸業をコアにした、ど真ん中直球勝負の本である。昨年ブログで紹介した、『「日本残酷物語」を読む』の著者、新進気鋭の民俗学者・畑中章宏氏の新著だ。宮本の著作を相当細かく追っかけていれば、バードや宮本自身の蚕糸業に関する記述を拾い出して、「カイコ」や「絹」を主題に1冊の本にすることがあっても何ら不思議ではない。僕が頭の中でやろうとしていたことを、こうして文章化して世に出すというのは、たいへんありがたいことだし、一方で羨ましいことでもある。

本書は基本は4章構成となっている。僕がやりたかったと羨ましがったのは、本書の第1章「蚕と日本社会」である。まさにこの章は、古くは養蚕が日本に入って来た記紀の時代にまでさかのぼり、最後は戦後の蚕糸業の衰退までを、さまざまな史料を引用することで成り立っている。その歴史の幅の広さは類書に例を見ない。但し、この部分で参考にしている文献はわりと限られている。例えば、中世から近世にかけての養蚕の歴史は網野義彦の著書に依っているところが大きいが、結果として生糸や絹織物への偏った記述になっていて、真綿としては庶民にも親近感のあった産物だったとして網野を批判している永原慶二への言及はない。

まあ、そうした点は重箱のすみを突くようなものなのであまり気にせず、この章は通読するには有用だと思う。これを読むと、僕が想像していた以上に養蚕が日本全国に普及していた幕末から明治の頃というのがよく理解できる。

続く第2章「豊繭への願い」と第3章「猫にもすがる」は、いずれも養蚕信仰に関する著者のフィールドワークに基づく内容だ。「お蚕さま」と崇められるほどに農家を潤わせた養蚕で、掃立て前に行われた豊繭の祈りとか、カイコの天敵であるネズミの被害を軽減するために猫が崇められるといった風習とか、こうした部分は僕のこれまでの情報収集ではぽっかり空けた穴になっていた。僕が以前南インドで養蚕農家でインタビューをした際、こういう掃立て前の儀式のようなものの有無や、養蚕にまつわる信仰の有無については一切聞き取りしておらず、やり残したことがまだまだあったということを改めて痛感させる2章だった。

第4章「東京の絹の道」は別の意味でもっと身近だ。東京で「絹の道」といえば、「桑都」と称される八王子市のことだが、僕は「絹の道資料館」の周辺を歩いたことがある。著者のフィールドワークは、この「絹の道」の現地踏査からはじまり、その周辺地域における養蚕の名残を拾い集めて紹介されているが、話は絹の道に止まらず、八王子市内各所にある養蚕の名残をいくつも紹介されている。こういう指摘がなければ何の気なしに通り過ぎてしまっていたであろうものが、実は昔の絹づくりの名残だったというのは、地域の歴史を知る上では重要なことで、そういうのを簡単に忘れてどんどん取り壊していってしまうことが、「日本は時として古いものを見境もなく捨ててしまう」という指摘にもつながってしまう。

これを読んだら、改めて八王子の絹の道を自分でも歩いてみたくなった。ただ、絹の道が実際に横浜までの生糸の輸送に使われていた期間というのは意外と短いとの指摘も本書ではなされていた。要は、中央線が西へ西へと延伸され、やがては岡谷あたりからも出荷ができるようになっていく過程で、八王子の生糸も中央線でいったん東京まで運ばれ、そこから東海道線で横浜まで輸送するほうが時間の節約になったらしい。

ただ、これは宮本の著作を読んでいても感じていたことなのだが、ここにある何々というものはこういう由来があって、同様のものはあそこにもあそこにもあるという形で、1つの事物の深掘りが中途半端になり、話が他の場所の同様の事物に拡散してしまうという傾向は、本書でも見られた。トータルでも200頁少々のボリュームだが、もう少し各章の深掘りをしていれば、300頁ぐらいにはなるだろうし、各章各節についてある程度の満腹感も得られただろう。

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