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『低欲望社会「大志なき時代」の新・国富論』 [読書日記]

低欲望社会  「大志なき時代」の新・国富論

低欲望社会 「大志なき時代」の新・国富論

  • 作者: 大前 研一
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2015/04/23
  • メディア: 単行本

内容紹介
なぜアベノミクスでは景気が上向かないのか―――。
なぜアベノミクスでは景気が良くならないのか? 日本が“借金漬け”から脱する日は来るのか? 「皆が等しく貧乏になる国」で本当にいいのか? それらの難題を読み解く鍵は「低欲望社会」にあり―――。
日本では今、世界に先駆けて未曽有の危機が進行している。人口減少、超高齢化、“欲なき若者たち”の増加……。こうした事態に対し、従来の20世紀的な経済対策や金融政策は全く通用しなくなっている。それは、世界的ベストセラー経済書の著者であるピケティ教授やノーベル賞経済学者のクルーグマン教授らの理解をも超える深刻な現実なのである。 ところが、安倍首相主導のアベノミクスは、相変わらずの中央集権的なバラ撒き政策で税金を湯水のごとく使い、やみくもに公共事業を増やし設備投資や消費を煽ろうとするばかりだ。安倍首相の暴走を止めなければ、いずれ日本は奈落の底に落ちていくことになる。 今、必要なのは、“借金漬け”から脱し、人々の「心理」に働きかけることで経済を活性化させ、国全体を明るくするような“新たな国富論”である。そして、その契機となる政策はまだ残されている。都心再開発、移民政策、教育改革、道州制と国民DBの導入……。 世界的経営コンサルタントが「アベノミクス破綻」に警鐘を鳴らす、ビジネスマン必読の書。

大前研一氏が『新・国富論』を出されたのは1986年、僕が大学4年だった頃のことだ。『新・国富論』は当時ベストセラーで、大学院の指導教官から薦められて僕はこの本を読んだ。ちょうど経済学を専攻していたこともあり、斬新な切り口にはいたく感銘を受け、その後出された大前氏の著書は、何冊か読んだことがある。多作なので全巻読破はとてもできなかったが。こんな人が国政に出たら、日本は大きく変われるだろうなと期待もした。実際に国政選挙にも立候補されているが、政界での多数派とはなり得なかったのは残念だった。

そんな大前氏の著書を久し振りに読もうと思ったのは、「低欲望社会」というタイトルにちょっと惹かれたからだ。大前氏は言う。そもそも今の消費減退は、日本が総じて消費意欲のない国になったことによるもので、日本人、特に物心がついた時期から不景気が続いている今の35歳以下の人たちは、将来が不安で大きな借金を抱えたくないから、住宅ローン金利が史上最低水準であっても反応しない、ケインズ経済学に逆らう国民になってしまったのだという。そういえば、日本人の内向き指向が指摘されるのも同じことかもしれない。大前氏は、日本の若者の大半はDNAが変異し、欲望がどんどん減衰している、だから、今の日本でいくら政府が景気刺激策を打っても、消費が増えて景気が良くなるというのは期待できないのだという。
成熟国家となった今の日本の国民には、自分たちが目指すべき夢や理想――いわば「坂の上の雲」が見えなくなってしまっているのだと思う。そういうかつてない現実に対して、これまでのように税金を湯水のように使って消費を煽るのではなく、心理に働きかけることによって経済を活性化する方法がまだいくつか残っている。低欲望社会が現出した背景には何があり、今後どう対処すべきか――それを論じたのが本書である。(p.11)
そうして舌鋒鋭く、アベノミクスの的外れさをこき下ろしている。

どういう原因なのかの分析はあまりされていないけれど、今の日本には「絶対成功してやる」「会社ではい上がってやる」といったぎらついたところが少し薄れているのではないかとの指摘は腑に落ちる。先日ご紹介した岩崎日出俊著『残酷な20年後の世界を見据えて働くということ』でも、著者は起業して成功を収めている人だから、起業を勧めるのはわかるけれど、皆が皆起業に向いているとも思えないし、日本ではビジネススタートアップの件数がそもそも少ない。そういう制度基盤が整っていないことは勿論あるけれど、実際整えても米国ほど増えるかどうかは疑問だ。僕たちが敢えてリスクを取りたがらないのかもしれない。

だから、ケインズ的な景気刺激策だけでは、日銀はバランスシートを悪化させるし、政府の公的債務残高は今後さらに積み上がってしまう結果になりかねない。著者はそれらの帰結として「国債暴落」と「ハイパーインフレ」は必ずやってくるとまで言い切っている。

それでアベノミクス破綻に備えろというのはいい。でも、ではどうしたらいいのか。若者が欲望をかき立てる社会を再び取り戻すにはどうしたらいいのか。そこは具体的には書かれているとはあまり思えなかった。ピケティやクルーグマンの提言にケチをつけるのもいいが、彼らが日本の現実をわかっていないのは当たり前のことであって、何をそんなに目くじら立てて批判的なことを書かれているのかあまり理解できなかった。

1つだけこれはと思えたのは「成長戦略としての「教育改革」」のくだりである。高度産業は「天才」や「偶然」によって生まれるのではなく、そうした人材を育む教育及び社会の産物なのだと論じ、大量生産・大量消費時代のまま画一的な人材を作ろうとする現在の日本の教育制度では、「突出した人間」を作って高度産業を生み出すことはできないと論じている。さらには、これから日本が勝つためには、そこそこのレベルの人材を量産するのではなく、50人のクラスで1人か2人でよいから世界で戦えるような傑出した人材を育てなければならないとまで言い切る。

そこまで言い切られるのは成功者の上から目線に感じるので気分的にはちょっと抵抗感はある。でもそういう突出した人材を輩出するには母集団自体の底上げは必要なので、その意味ではスタートアップに必要なスキルを学ぶSTEM教育のようなものを広く普及させる取組みは必要かもしれない。著者はそこまで踏み込んでないけど。

閑話休題になるが、先週東南アジアの某国に出張してきた際、首都から遠く離れた地方都市で、学生時代に大学構内にあったデジタル工作機械の作業施設を利用したのをきっかけに、卒業後地元で起業したという女性を含む、何人かの地元の若い起業家にお話を伺う機会があった。皆、国や地域の課題が何で、それを自分なりにどう変えてやろうかと考えて、起業に踏み切ったという。そういう元気な若者と交流する機会があれば、日本の若者も必ず刺激を受けるだろう。そういう、ものづくりを一緒に考えるような協働の機会を増やしていくことも、今後の日本の高等教育の1つのあり方かもしれない。

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政府の政策や他人の提言に対しては批判的な大前氏であるが、「低欲望」対策への具体的な踏み込みは、ご自身でもあまり説得的とは言えない。本書の中でも幾つかの政策提言はされているが、多分に想像や信念に基づくもので、あまり根拠が示されていないような気がした。それに、将来確実に「国債暴落」や「ハイパーインフレ」が来ると言っているのに、何故ご自身の政策提言の中で、政府の財政破綻やハイパーインフレへの備えについての言及がないのか不思議だった。それらの状況の到来はある程度織り込んだ上での政策提言でないと、説得力に乏しく、イマイチピンと来ない。

大前氏って、こんなに「他人が馬鹿に見える」タイプの人だったっけ?なんだか、30年ぶりに『新・国富論』を読みたくなっちゃったな。

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