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『決戦!関ヶ原』 [読書日記]

決戦!関ヶ原

決戦!関ヶ原

  • 作者: 葉室麟他
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2014/11/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
内容紹介
慶長5年9月15日(1600年10月21日)。天下分け目の大戦――関ヶ原の戦いが勃発。
――なぜ、勝てたのか――
【東軍】徳川家康(伊東潤)、織田有楽斎(天野純希)、可児才蔵(吉川永青)
――負ける戦だったのか――
【西軍】石田三成(葉室麟)、宇喜多秀家(上田秀人)、島津義弘(矢野隆)
――そして、両軍の運命を握る男――
【西軍?】小早川秀秋(冲方丁)
当代の人気作家7人が参陣。日本史上最大の決戦を、男たちが熱く描いた「競作長編」。

連作短編を書く時、主題の割り振りはどのようにして決めるのだろうか。「~をテーマにして、あとは自由に描いて下さい」と言われれば、各々の作家は比較的自由にストーリーを描けるだろうが、今回のように、関ヶ原の合戦に参戦した各々の武将の思惑と各々か徳川家康、石田三成、小早川秀秋、豊臣秀頼らをどのように見ていたのかを描く場合は、どの作家がどの武将を描くのかを先ず決める必要がある。くじ引きだろうか。それとも編集側がある程度割り振りを決めて、各作家さんにアプローチをするのだろうか。あるいは、編集側で作家を7人に絞り込んだ上で、あとは7人の話し合いで誰がどれを取るかを決めたりするのだろうか。

伊東潤が徳川家康を描いているところを見ると、少なくともくじ引きで決めたというわけでもないような気がする。あとの6人は戦国ものを描いたことが今まであったのかどうかがわからないので、間違った想像かもしれないが、予め編集側で候補となる武将のリストを提示し、「お前〇〇やるの?じゃあ俺は△△をやるかな」なんて決めていったのかもしれない。

いずれにせよ、僕の故郷にほど近い関ヶ原で起きた合戦をいろいろな武将の視点から描いたこの連作、最も興味あったのは伊東潤の家康ものが掲載されていたからである。家康が登場する作品は元々多い作家で、家康が一人称で登場する作品として『天地雷動』と『峠越え』もあるが、本能寺の変直後の家康一行の畿内脱出行を描いた『峠越え』以降の家康が描かれた作品がないため、いきなり関ヶ原とはいえ、伊東が「その後の家康」をどう見ていたのかというのには興味があった。その欲求はある程度は満たされたと思う。

各々の武将も立場の違いによって物事や他の人物の見え方も違って面白いが、そもそも通説と異なる人物像というのでユニークだったのは小早川秀秋と石田三成の描かれ方で、そういう見方もあったのかと思わず唸った。

小早川秀秋は、自身が主人公である冲方丁の収録作品だけではく、収録された全ての作品に必ず登場する。そりゃ当たり前だ、合戦の行方を左右するキャスティングボードを握っていたのは彼である。西軍側は、小早川が裏切るのではないかと言う猜疑心を常に抱きながら陣構えを取っていたし、東軍は小早川は味方につくと約束していたのになぜ味方の劣勢時にすぐに加勢しないのかと不信感を募らせたりしていた。いずれも小早川という男は優柔不断だという描き方だが、実際に本人を主人公にした作品を読むと、実は優柔不断というのは自分に火の粉が降りかからないようにという自衛のための手段で、実際は相当に聡明で戦も上手で、かつ領国経営にも手腕を発揮したという意外な描き方になっている。

同じく石田三成も、周囲の人間からは官僚上がりで戦を知らず、様々な裏工作を張り巡らせて信用の置けない奴というのが一般的なイメージである。上司である秀吉に告げ口しまくって有力な武将を次々と貶め、多くの武将の恨みを買ってきたため、誰がどう描いても嫌な奴ということになる。関ヶ原に至るまでの緒戦でも西軍に参戦した武将の怒りを買うような判断を幾つかしてきており、西軍が一枚岩になれない弱さのもとは三成の人望のなさにあったというのが周囲の見る三成像だ。だが、本人が主人公となった葉室麟の収録作品を見ると、これまた別の三成像が展開されている。

そういう意外感を幾つか味わえる興味深い本だ。でも、逆に、織田有楽斎はあってもなくても良かったかも。

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