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再読・『流星ワゴン』 [重松清]

気が付くと、最後にブログ更新したのが1月25日。それから約2週間、全く更新できておりません。誠に申し訳ございません・・・というか、その1月25日から、土日も休みなく出勤しております。仕事がたまっていて残業が深夜に及んだという日もありましたが、どうしても休日にやらないといけない作業があったり、はたまた家にいては論文執筆に集中できないからという理由で、職場に出かけたという日もありました。今日(土曜日)も、実は事情があって出勤です。日曜日も本当は論文が15日締めと期限が迫っているため、職場に行きたいところ。ですが、会社の入居しているビルが全館停電となるらしく、その日だけは強制的に休みを取ることになります。

そんな状態なので、なかなかブログ更新している余裕がないのですが、不思議なもので、その間にブログの閲覧ランキングが結構な急落をしたのもあまり気にならなくなってきました。更新してなきゃ読まれないのは当たり前のことなので、これ自体は仕方ありません。ただ、それでもちょっと気になっているのは、アウトプットの機会を疎かにしていると、インプットの機会を確保するのも疎かになりがちであるということです。この間本を読んでいなかったわけではないのですが、明らかに読書のペースが落ちました。せっかく読んでもすぐにブログの記事にしないから、書かれていた内容を忘れてしまう。忘れてしまうから、ブログの記事がすんなり書けない、そんなのがどんどん溜まっていってしまうから、新しく読む本にもなかなか身が入らない―――そんな悪循環ですね。

そういう時には先ず小説ですね。そんなわけで、TBS日曜劇場でドラマも始まった『流星ワゴン』を久し振りに読んでみることにしました。(ここからは「~である」調で書きます。)


流星ワゴン (講談社文庫)

流星ワゴン (講談社文庫)

  • 作者: 重松 清
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2005/02/15
  • メディア: 文庫
内容紹介
38歳、秋。ある日、僕と同い歳の父親に出逢った――。僕らは、友達になれるだろうか?
死んじゃってもいいかなあ、もう……。38歳・秋。その夜、僕は、5年前に交通事故死した父子の乗る不思議なワゴンに拾われた。そして――自分と同い歳の父親に出逢った。時空を超えてワゴンがめぐる、人生の岐路になった場所への旅。やり直しは、叶えられるのか――?「本の雑誌」年間ベスト1に輝いた傑作。

いかに日曜が出勤になろうと、さすがに午後9時には帰宅している。最近、日曜夜はTBSのドラマを見て終わるというパターンが定着しており、僕としては最もテレビの前にいる確率が高い時間帯となっている。『流星ワゴン』がドラマ化されると聞いての最初の印象は、オデッセイを運転する橋本父子を考えれば親子で見ても十分面白いだろうという漠然としたポジティブ感だった。ただ、同様に10回シリーズでドラマ化された重松作品『とんび』に比べると、展開が短期間に凝縮されており、どうやったら10回ドラマに引き延ばせるのかというのも気にはなった。

僕が重松作品を読むようになってから、『流星ワゴン』というのは比較的早い時期に読んだ作品だ。長年重松作品を愛読してきて、僕的には五指に入るぐらいのシゲマツさんの代表作だと思っている。元々僕が重松作品を読みはじめたのは、彼の初期の作品が「ニュータウン小説」とも言えるほど、舞台が東京郊外のニュータウンに設定されている作品が多かったからだ。同様に現実にはあり得ないような出来事が主人公の周囲で起きるという意味でファンタジー性の強い作品として『ゼツメツ少年』があるが、そのわけのわからなさと比べたら、『流星ワゴン』の方がまだわかりやすい。

主人公カズの置かれた立場と今の自分の立場はよく似ている。父との関係では自分は息子であり、我が子との関係においては自分は父親であるという点で。広島の港町の頑固おやじの息子としての関係は、子どもの頃は決して良くはなかった主人公。その苦い経験から、生活の場を東京に移し、自分はおやじのようにはなるまいとして、新たに家庭を築いて、理解のあるやさしい父親-夫であろうと努めるが、それが逆に我が子を追い詰める結果になり、信頼していた妻にも「異変」が起きる。子育てにせよ、妻との関係にせよ、どこでどう誤ったのかがよくわからない――そんな主人公カズの戸惑いに、もうひとつ、死の淵にあったカズの父・永田忠雄(チュウさん)の、断絶してしまった親子関係はいったいどこでどう誤ったのかわからないという、成仏できない思いが絡まって、過去の重要なポイントポイントに戻るという奇妙な時間旅行が展開される。

オデッセイに乗せられての時間旅行のたびに、カズは未来を変えられないかと試みるが、それがかえって裏目に出ることもあるし、逆にうまく事が運びそうであっても、再びオデッセイに乗り込んでその場から離れてしまうと、妻も息子もカズの言ったことやったことは忘れてしまう。結局未来は変えられないのだと絶望感にさいなまれるが、そうした過去の節目節目で何がどういけなかったのかを自分が理解したことによって、今ここから歩み始める未来への展望も、絶望から多少の希望は持てるものへと変わっていく。

一方のチュウさんは、途中からカズの「時間ドライブ」に、カズと同い年の朋輩として同乗するようになり、一緒にドライブを重ねながら、朋輩としての本音をぶつけ合う。カズと息子との関係を横目で見ながら、自分だったらこうすると奔放な言動を繰り返す。そこでカズは子どもの頃は決して聞けなかった父の本当の姿を知ることになる。そうやって最後に分かり合えるようになることで、チュウさんは安らかに息を引き取るのである。

こうして見ていくと、非常にうまくできたストーリーだと感心させられる。『愛妻日記』を彷彿とさせるサービスシーンもあるけれど、全体的にはファンタジーも絡めて父と子の関係、夫と妻の関係を描いた家族小説であり、巻頭と巻末を比較すれば、ハッピーエンドとはいえないけれども状況はちょっとましにはなっているという、典型的な重松作品の終わり方だ。この頃のシゲマツさんの作品って良かったなあと改めて実感する。(サービスシーンに関しては、ドラマの方では妻・美代子役を井川遥さんが演じており、本当に井川さんがそんなことをやるのかとドキドキだったが、さすがにテレビドラマじゃまずいだろうという製作者側の配慮もあって、どうやら原作とは変えて、「ギャンブル依存症」ということに収めたようです・・・。)

でも、現実には起こりそうもない展開だし、過去の節目に戻って未来を変えようと努力したって変わらないとしつつも、『黒ひげ危機一髪ゲーム』とカズとチュウさんのツーショット写真だけが未来に残ったのもちょっとご都合主義かもなと思える。それに、僕らの親の世代って、こんなに頑固なオヤジばっかりだったんだろうか、と思えるくらいのステレオタイプ的描き方だ。ドラマではあの顔芸・香川照之さんがチュウさん役を演じているが、その口調、頑固さ加減が、2年前に同じTBSで放映されていた重松作品、『とんび』に登場したヤス(演:内野聖陽さん)とまったく一緒で、笑ってしまった。そこはしょうがないかな(苦笑)。

原作を読んでみて改めて思ったのは、この作品を10回ドラマにするのは簡単ではなく、原作は原作、ドラマはドラマとして分けて考えてみてもいいかもということ。まだ3回しか終わってないのに、原作の方では後半のターニングポイントで出てくるシーンが既にドラマでは描かれている。原作を読んだからといって、ドラマの展開が見えてしまうということにはならないのでご安心を。


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