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『星新一 一〇〇一話をつくった人』 [読書日記]

星新一 一〇〇一話をつくった人

星新一 一〇〇一話をつくった人

  • 作者: 最相 葉月
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2007/03
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
『ボッコちゃん』『ようこそ地球さん』『人民は弱し 官吏は強し』…文庫の発行部数は三千万部を超え、いまなお愛読されつづける星新一。1001編のショートショートでネット社会の出現、臓器移植の問題性など「未来」を予見した小説家には封印された「過去」があった。関係者134人への取材と膨大な遺品から謎に満ちた実像に迫る決定版評伝。

年末年始の9連休、他に読むべき本も沢山あったのだが、年が明けて初めて手にとったのは600ページ近くある大部のハードカバーだった。本来なら、この冬休みを利用して、うちの会社の関係者が半年近く前から話題にしていたピケティの『21世紀の資本』の729ページに挑戦すべきだったのかもしれないが、同じ大部でも、僕が挑戦したのは最相葉月さんのノンフィクションだった。

昨年から最相葉月さんの作品は気になっていた。でも、『絶対音感』にしても、『青いバラ』にしても、『星新一~』にしても、とにかく分厚くて、読みはじめる勇気がなかなか出なかった。年末年始のようなまとまった時間でもなければ、どうしても読もうという気持ちにもならなかったと思う。暦も替わるこの時期、仕事のことを考えようにもなかなかそれに集中することもできず、思い切って仕事のことは忘れて、長めの本で現実逃避を図ろう――そんな気持ちで読みはじめた。

星新一のショートショートは、僕が高校時代に最もよく読んだ本であった。高1の時の現代国語の先生が、生徒全員に作文を書かせ、毎回授業の冒頭で生徒に作文の朗読をさせた。10分程度の朗読が終わると、先生が感想を言われるのだが、その中で度々「星新一」という名前を口にした。既に星のショートショートを意識した作文を書いていたクラスメートが何人かいたのだろう。それで、どんな作品なのかと興味津々で、図書館で借りて読みはじめたのがきっかけだった。どれが自分が読んだ最初の作品だったのかはまったく覚えていない。でも、収録されているショートショートはどれも未来の暮らしを想像させるもので、それが挿入されているイラストととても合っている。短い作品の中にも読者をあっと言わせるオチがあり、しかもそのオチも全部をさらけ出すのではなく、読者が想像することを期待するようなオチになっている。

明るい未来を夢見ていた少年は、一発で星新一にのめり込んだ。『ボッコちゃん』、『きまぐれロボット』、『ようこそ地球さん』、『妖精配給会社』、『ノックの音が』、『おのぞみの結末』、『へんな怪獣』、『おせっかいな神々』―――学校の図書館の蔵書は片っ端から読んだし、個人的にも購入した文庫本が何冊かある。学校の勉強で使う参考書や問題集以外、ややもすると読書から遠ざかってしまうケースが多い中、僕らを辛うじて引き留めてくれたのが星新一だった。

僕らが高校生だった1980年前後の頃に既にこれだけの作品を世に出しており、しかもその多くがもっと先の未来のお話であるということは、この作家には未来を見通す目があったということだ。評伝を読むと、世に出たショートショート作品の中で最も早かったのは1957年(昭和32年)だったらしい。そんな頃から、未来を描いた作品がこれだけ描けたというのは驚きだ。ショートショートどころか、星は日本におけるSF小説の草分けとも言われている。

しかも、この人、星薬科大学として辛うじて名をとどめているが、元々は戦前の日本の製薬業界の最大手の1つだった星製薬の創業者兼社長の御曹司だった。麻酔薬として使われていたモルヒネの製造で業績を伸ばした同社は、戦中戦後に業績を悪化させており、父の急逝に伴って急遽社長に就任した星は、その処理に奔走させられることになる。この製薬会社の所有権を手放して経営の一線から身を引き、それでようやく作家の道に一歩を踏み入れるのである。

この本はそうした星の前半生も描いている。その上で、作家として世に出て以降、多くのミステリー作家、SF作家との交流があり、最相さんのこの1冊をもって、日本の文壇の歴史をおおまかにつかむことができる。実に多くの出版社と編集者、そして作家さんが登場する。江戸川乱歩を皮切りに、小松左京、筒井康隆、眉村卓、半村良、安倍公房等々。

僕らは高校時代、星新一の作品の発表順などおかまいなしに片っ端から読んでた感じだったが、この評伝を読むと、作品ひとつひとつには書かれた当時の背景とか、星自身の置かれた状況、星の考え方等が影響を与えており、発表順に読み直していたら、その作風が微妙に変化していくのがわかたかもしれない。この評伝によれば、僕らが高校生活を送っていた1980年前後の頃は、星がショートショートを書き続けるのに疲れて、長編や伝記等に幅を広げようとしていた時期だったらしい。それが、市中の星新一ファンのショートショートを熱望する声に打たれて、1001作品に到達することを目標に、再び創作意欲を燃え上がらせた。ひょっとしたら、僕らの現国の先生も、そんなファンの1人だったかもしれない。

星新一の作品は、多すぎて「これ」という1編をなかなか選びにくい。というか、選ぶどころか、そもそも作品自体がなかなか記憶にもとどまりにくい。読んでいる間は結末が知りたくてどんどんページをめくっていけるが、読了後は各々の作品のディテールを語るのも難しそうだ。実は星本人もそういうイメージを持たれていることを気にしており、各種文学賞の受賞にとてもこだわっていたらしい。作品から受けるイメージは飄々としたものだが、その内面にはかなりドロドロしたものがあったらしい。

そういうものにもちゃんと光を当てているこの評伝はお薦めだ。

最後に、高校卒業後の僕と星新一の作品との関わりについてひと言。結婚して子どもも生まれ、その子ども達が成長して、なかなか本を読む習慣が身に付かない中で中学生活を過ごしていた上の2人に対しては、時々「星新一でも読んだら?」と言うようになった。読書に興味のない子どもをその世界に引き込むには、昔も今も星新一のショートショートは最適だと思う。

ただ、その一方で、末っ子が通う小学校で児童への読み聞かせでショートショートを使おうと思って『ボッコちゃん』を読んでみたこともあるが、書かれている事物(例えばダイヤル式固定電話)が現代に合わない、或いは男と女のちょっとエロっぽい記述が垣間見える箇所も幾つかあって、結局読み聞かせの題材としては使わなかった。

星さんも、ショートショート1001話達成後、自身の作品が永遠に語り継がれることを望んでいたらしく、そういうのを気にして発表済み作品を現代的な記述に改定する作業に相当時間を費やしていた。とても納得がいく話だ。


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